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こちらでは学校が休みに入りました。8月までが休みの期間になり、何か“夏らしい風情”が感じられます。木々の緑も濃くなり気温の上昇で薄着の人が多いです。それでもユジノサハリンスクは盆地状の地形のため、まだ朝晩は肌寒いこともありますので、寒暖両方に対応できる服装が必要です。
この時季になると店や路上の売店ではサングラスを売る店が沢山出ています。アイスクリームや飲料水も人気があって、警察官や軍人さんが制服のままほおばったりしていて、おおらかな感じです。
6月ですが日本では“ジューンブライド”などと言われ「6月に結婚式」というのが人気と聞きますが、サハリンでは特段に“ジューンブライド”というお話しは聞きません。年間を通じて結婚式がありますが、比較的に夏から秋の結婚式が多いようです。冬の期間のものの片付けや庭の手入れ、畑の種まきが一段落して、皆が集まりやすい時期にお祝いをするようです。
サハリンでの結婚式ですが、当日は昼から花嫁・花婿が付き添いの友人たちと一緒に車で市内の名所を訪れ、そこでカップルは二人だけの誓いをたてます。さらに花婿はまだ封をしたままの酒のビンを叩きつけて割って“酒を慎みます”と誓います。夕方になってカップルはパーティ会場に現れて出迎えた親戚や知人のお祝いの言葉や贈り物を受け取って、明け方までの祝宴や全員参加のダンスに興じます。長時間の祝宴やダンスは日本人は苦手ですが、こちらの方は遊ぶことが大好きなお国柄でしょうか平気な様子です。
6月に結婚式を行う“ジューンブライド”が特段に意識されているようにも見えないのですが、5月だけは敬遠されているように見えます。ロシア語の“5月”-“マヤ”という言葉が“悩む”-“マーヤッツア”という言葉に似ており、日本語の「まいった」にも似ているのですが、破局をイメージするせいか結婚式を挙げる人はほとんどいません。
もっとも最近では式をしない“事実婚”も増えていますので、いつのまにか結婚・出産という人たちもいます。最近のロシアの制度で、3歳まで子育てをした女性には200万円ほどのチケットが支給されるようになり、女性は出産や育児を恐れなくなったと言われていますので、人口政策に有利に働く反面、離婚を言い出す女性も多くなったそうで、離婚率は非常に高くなっていると聞いています。 夏に向っていく訳ですが、サハリンでは不思議なことに夏に日本のお祭りのような恒例の行事はほとんどありません。長期に夏休みを取得して家族で旅行に出かけることが多いためか、そろってお祭りをするのは、秋に催される街の建都を祝う行事や1月7日のクリスマスだけのように思います。このほか国が定めた6月15日の“医者の日”や10月の“教師の日”など職業人を尊ぶ日がありまして、その日はその職業の人たちが集ってお祝いをしたり叙勲を受けたりします。このほか、秋の収穫祭、クリスマス、お正月、バレンタインデーなどに組織や会社ごとに花火を打ち上げたりパーティを開いたりしているような状況も見受けられます。
2007年5月にサハリン事務所に赴任したので、サハリンで迎える2回目の夏となります。サハリン事務所は2002年5月の開設で6年目です。稚内市は1972年にネベリスク市と、1991年にコルサコフ市と、2001年にユジノサハリンスク市と友好都市の提携を調印しており、長くサハリン州と交流を続けていますが、サハリン事務所もその交流の一翼を担っています。 これまで稚内市とサハリン州の友好都市三市は主に“友好交流”を進めてきており、他の都市にはない緊密な成果が得られ知人・友人も増えてきております。これからは、これまでの交流に加えまして、さらに観光や水産・農業などの面で経済的なつながりを深めるための協力関係をつくっていくことにより稚内の活性化に寄与できればと思っております。
サハリンでは魚釣り体験や自然景観を楽しむことが出来るほか、ヨーロッパスタイルの街並みの中に旧日本時代の建物や遺跡が残っており、ロシア国内でも貴重な場所になっております。また、多民族が同居してそれぞれの言語が飛び交う市場などを歩いていると、どこの国にいるのかわからなくなってしまいます。正にここは交易の拠点になっているように思われます。その他、ロシア伝統音楽や舞踊・料理なども楽しめるといった、不思議な感じを受ける土地柄ですので、これらを味わい楽しむためにぜひサハリンを訪れてみてはいかがでしょうか。
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