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観光スポット2ヶ所 美味しいモノ2つ(2017.08.18)

8月の雰囲気ですが、7月後半の様子の「延長戦」のような案配で、季節が動いているという感じは薄いです。

朝の明るくなる時間帯がやや遅く―少し前の5時半が6時という感じ―なり、夜の暗くなる時間帯がやや早く―少し前の夜9時半近くが夜9時近くという感じ―なったということに「気付く」ようになりました。そういう意味で季節は動いています。

20℃を挟むような気温、あるいは20℃を切った気温の日が多いように思います。寧ろ温度よりも陽射しが強めか、弱めかの違いで、時々少し暑く感じる場合があるというのが最近の感じです。

稚内であれば、稚内駅や駅前バスターミナル、あるいは宗谷岬のような場所で「どこかから稚内を訪ねている人達だな」とわかる感じの皆さんをよく見掛けますが、ユジノサハリンスクではそういう場所はやや少ないかもしれません。あえて挙げるとすれば、大型商業施設の<シティーモール>に、「どこかからサハリンを訪ねている人達だな」とわかる感じの皆さんが多く居るのを見掛ける場合があります。

最近、サハリンではコルサコフ港に大型クルーズ船が寄港する場合があり、そういう日には目立つTシャツを着た旅行会社の人に先導された旅行者の一団を見掛けます。

その他にも、少しまとまった人数で移動している旅行中の皆さんを時々見掛けますが、最近は少人数の個人旅行の方も時々見掛けます。

そういうような具合に、サハリンへの旅行でどういう場所を訪ねるのかという話になります。

訪ねてみたい場所として2つ挙げておきたいと思います。
「2つ」としたのは、「樺太時代からの流れ」が感じられる場所と、「最近の勢い」が感じられる場所ということで2つにしました。

「樺太時代からの流れ」が感じられる場所としては、<サハリン州郷土博物館>は外せません。
サハリン州郷土博物館 (サハリン州郷土博物館)
 
1937(昭和12)年に竣工した建物で、今年で80年ということになりました。1930年代に一部で流行った帝冠様式(ていかんようしき)という、コンクリート造りの建物に、瓦屋根等の和風の意匠を採り入れた独特な様式です。どことなく、城の天守閣か何かを思わせるものがある建物です。注目する人は少ないのですが、頑丈な扉にしっかりと「菊の御紋」が入っていて、間違いなく日本の建物だとわかります。何か、「建物そのもの」も「博物館の展示品」という感じがします。

この郷土博物館は、竣工当初から博物館として利用されていて、戦後は北緯50度以北のアレクサンドロフスク・サハリンスキーに設けられていたソ連の郷土博物館が“移転”ということになっているようです。中には樺太時代以来の貴重なコレクションもあります。中のコレクションでは、アイヌやニブヒなどの“北方少数民族”に関するコレクションが秀逸です。そして建物の周囲には様々な「屋外展示」も為されていて、これらも興味深いです。

博物館を見学するという以外にも、開館時間中は敷地内の庭園でゆったりとくつろぐことも出来るようになっていて、いつも多くの方が訪れている場所です。


「最近の勢い」が感じられる場所ということで<ハリストス生誕大聖堂>を挙げたいと思います。  
ハリストス生誕大聖堂 (ハリストス生誕大聖堂)
 
“ハリストス”というのはロシア正教でいうキリストのことです。北海道では函館にロシア正教の教会があるのが有名ですが、あれも正しくは<函館ハリストス正教会>と呼ぶそうです。

ロシア正教というのはキリスト教の流れの一つです。東西に分かれたローマ帝国の、東側で盛んだった「オーソドックスチャーチ」(=正教)の流れをくむ、ロシアで主流派を占めているものになります。サハリンでは「ロシア連邦」の体制になった1990年代以降、方々にこのロシア正教の教会が建設されるようになっています。

サハリンは、ロシアの中では、資源開発の関連等で2000年代には著しい発展を遂げた地域に数えられています。方々で様々なモノの整備が進んでいる状況ですが、第二次大戦から70年の2015年を目途として大聖堂の建設が行われ、2016年に竣工したのが<ハリストス生誕大聖堂>です。

サハリン州を含めて、ウラジオストクがある沿海地方、ハバロフスクを擁して広い面積を持つハバロフスク地方、中国との国境に近いアムール州、そしてカムチャッカ州等で構成される<極東連邦管区>というものがロシアでは設定されています。この<ハリストス生誕大聖堂>は「極東連邦管区最大」で高さが58mあるそうです。おおむね20階前後の大きなビルのような高さです。“クーポル”と呼ばれる丸みを帯びた独特な型の屋根が5つ載せられた、ロシア正教の教会に特有な型をした、見上げるような巨大な建物です。

何人かの方が話題にしていたのですが、クーポルという屋根を建物に載せる段階になって、「あの大きさ、重さの屋根を、あの高さにどうやって揚げるのだ?」という騒ぎになったそうです。使用を計画していたクレーンで対応困難ということになって、「建設計画の行方は?」ということにもなっていたそうですが、遠くオーストラリアから船で特別なクレーンを持ち込んで、それを使って無事に完成させたということです。

出来上がってから日は浅いのですが、最近は内部に足場を組んで何やら作業をしていて、内装の素晴らしさはちょっと見にくいのですが、あの巨大な大聖堂は「ロシアの中で勢いがある地域」を実感させるものですし、日本国内では見る機会が多くないと見受けられる、一味違う雰囲気が楽しめると思います。


旅行先で、どこかを訪ねた後には「何か美味しいモノを頂いてみよう」ということになると思います。

サハリンの街で、「この街の名物料理の○○」というような売り出し方をしている事例を未だ視たことがありません。何処かの飲食店に入って、「どちらにしようか?」というような感じになった時、お店の人が「こちらが…いいかな?」とでも言うような感じのお勧めという事例には出くわしましたが。

ロシアの街では、ソ連時代に「ロシア以外に由来するモノ」が色々と広がった経過があることから、そういうモノが特段に「○○料理」と明示はしていない「普通な飲食店」で登場する場合もあります。日本国内で色々な外国由来の料理を供する場所があるのと同じ感じで、様々な外国由来のモノを提供する場所も多く見受けられます。

食べるモノは「個人の好き好き」という要素が非常に大きいので、一概に「これがいい」、「あれがいい」というお話はし難い側面があります。が、最近出くわした中では、ソ連時代に入ったと思われる「ロシア以外に由来するモノ」に大変に気に入ったモノがありました。

中央アジア方面に由来する<シュルパー>というスープがありました。色々な呼び方で、中央アジア方面のスープが日本でも多少は紹介されているようですが、余り見掛けたことはありません。

中央アジア方面は“遊牧”の伝統があって、羊の肉を利用した料理が色々とあるようですが、<シュルパー>は骨付きの大きな羊の肉や、適当に煮込んだ野菜が入ったスープです。見掛けは“スープカレー”に少し似ていますが、カレーの様に香辛料を色々と加えたような味でもなく、ナチュラルな色々と交じり合った美味しいスープです。
シュルパー

ロシア語では、スープに関しては「飲む」ではなく「食べる」と言います。当然、“汁”は飲むことになりますが、たっぷりの具材を食べるというのがスープなのです。

ロシアでは色々なスープが親しまれていて、そういうモノを頂くのもなかなかに楽しいものです。出くわした中で「カラフトシシャモを使ったスープ」というモノがありましたが、これが秀逸でした。
カラフトシシャモを使ったスープ

“カラフトシシャモ”というのは、「シシャモの代替え」ということで、北欧諸国などから多く輸入されていて、「子持ちシシャモ」等と言って日本国内で売られているモノです。“カラフトシシャモ”という名が示すようにサハリンでも漁獲があるそうです。サハリンではロシア語で“モイワ”と呼ばれます。魚の種類としては“キュウリウオ”の一種ですが、“キュウリウオ”よりもかなり小さいです。

「子持ちシシャモ」等と言って日本国内で売られている“カラフトシシャモ”は、専ら焼いて頂くと思いますが、こちらではこれを「スープの具材」に使います。

ロシアでは魚を使うスープについて、直接的に「魚のスープ」という意味になる<リーブヌィースープ>と呼ぶ場合もあるのですが、大変古い言葉に由来する<ウハー>という名で呼んでいることが多いと思います。これには色々なモノがあるのですが、<三平汁>や「魚介の粗汁」を思わせるモノがあって、中々に美味しいと思います。

こういう、訪ねてみたい場所や、頂いてみるとよさそうな料理という話題は尽き難いものです。
 

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