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前任者からの引継ぎを受け、2019年7月から現地に赴任して以降、やや月日が経過しましたが、ここで改めて、今のサハリンの様子を報告したいと思います。
私自身は、2013年以降、毎年、何度もサハリンへ渡航していましたが、現地赴任の立場でユジノサハリンスクの街を見ると、今までと違った部分も見えてきます。
まず基本的な前提として言っておかなければならないのは、サハリンは、本当に「独特な地域」であるということです。
一部では「日本に一番近いヨーロッパ」などと単純化して語られることもありますが、決してそうではなく、ヨーロッパ、コーカサス、中央アジア、東南アジア、韓国、日本などの文化や生活様式が混在しています。
皆、ロシア語を話しているという意味では「ロシア」なのですが、ロシア国内の他地域とは、明らかに様相を異にしています。
<市場の様子>
例えば、街で買い物をするとき、生鮮食料品を販売する市場の雑踏は、東南アジアを思わせる雰囲気に満ちています。
昼食を摂るためレストランに入ると、食事のメニューでは、ウズベキスタンなど中央アジア由来の料理が非常な人気を博しています。
<市内に新しくできたショッピングモール内の様子>
工事現場の作業員やタクシー運転手などは、最近はキルギス方面からの出稼ぎ労働者を目にすることも多くなってきました。
夕食時にアルコールを注文すると、そこではコーカサス地方ジョージアのワインが供されますし、クラスノダル産のお米は、日本米と遜色ありません。
市内の通りを歩けば、行き交う人々の多くは韓国系が多く、彼らはサハリンのビジネス界でも重要な役割を果たしています。
音楽・演劇などのイベントは毎日のように市内の教会・劇場などで催されていますが、そこでは偉大なロシア芸術の粋の一部が披露されます。
州知事を筆頭に、官公庁などで要職を占めているのは白系ロシア人の方々が多く、サハリンにおける行政の中核的な役割を担っています。
ユジノサハリンスク市内の街路の基本的な構成には、日本時代・旧豊原の面影が今でも残されていますし、市内のビル建設などには日本との合弁も多くみられます。
<市内広場でのイベントの様子>
このように、サハリンとは、ロシアの一部ではありますが、決して一言では片づけられない、重層的な歴史・文化が畳み込まれている地域です。
このサハリン事務所レポートでは、、私が見た現在進行形のサハリンの様子を、不定期となりますが、なるべく分かりやすく伝えていこうと思います。
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