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ユジノサハリンスクでは、8月9日頃から、夜に熟睡できないほど、蒸し暑くなりました。台風の余波だっだのでしょうか?まわりの方とは「北海道やサハリンに梅雨はないはずですよね?」と話しあうような状況でした。が、幸い16日からは、少し涼しくなり、からっとした爽やかさが戻りました。
8月2日午後に、市サハリン課から電話がありました。「サハリン南部で本日午後に地震があったと報道されたが、そちらの被害はどうか?」という問い合わせでした。この事務所では全く揺れを感じなかったのですが、ユジノサハリンスク市内でも、高層の建物の4階や5階は揺れていたということで、人々が避難したそうです。
そのうちに、地震の情報が各機関から入ってきて、ネベリスク市が被害を受けたことがわかりました。ロシア語版インターネットのサハリンコミュニケーションも逐次情報を流していました。
この日、少年少女サミットで5日と6日にネベリスク市内でホームスティ予定の稚内の子ども達10人と引率2人の一行は、サハリンへ向かうフェリーの船上に居て、このホームスティ先の被害状況がどうなのか、受け入れができるのか気になりました。夕方、ネベリスク市教育委員会から「残念ながら、今回のホームスティ受け入れは中止せざるを得ないので、連絡を願いたい」とのお話しが伝わってきました。急遽、市サハリン課とコルサコフ港に着いた団長に連絡し、行動日程の変更を検討することになりました。
幸い、ホームスティ予定の2日間、子ども達はキャンプ場で、夏休みで滞在中だった大勢のサハリンの子ども達と元気に過ごすことが出来、8日に無事に帰国しました。
地震から一夜明けた8月3日、11日にネベリスク市で予定されている、稚内市とネベリスク市との友好都市35周年記念式典のことも気になりましたが、それよりもネベリスク市民の方々がどんな被災状況なのか心配でした。その3日の午前中、各種報道だけでは実情が見えないため、現地に直接行って状況を確認するよう、またネベリスクのパク市長へお見舞いのメッセージを届けるよう、市サハリン課を通じて市長から指示がありました。とるものも取りあえず、準備をして通訳と一緒に自動車でネベリスクへ向かいました。
ネベリスクは、水道・電気などのライフラインが途絶え、道路も封鎖中でしたが、理由を話して通ることができました。道路は被害がないようでしたが、市内に入ると4階建て以上の高層集合住宅の被害が目立ちました。市民は落ち着きを取り戻した様子でしたが、余震が続いているため、テントの中で過ごしているとのことでした。ネベリスク市役所前でパク市長にお会いし、市長からのメッセージを手渡すと、心遣いへの感謝の言葉と共に、「大変申し訳ないが、今回の友好都市35周年記念式典を中止せざるを得ない。横田市長へ伝えていただきたい」とのお話しがありました。
今回の地震では、ネベリスク市の南に位置するゴルノザボーツク市も建物に被害を受け、サッカー場でテント生活をしていると聞いています。いかに大きな地震であったかと、感じずにはいられませんでした。一日も早く復興され街に活気が戻ることを願うものです。
8月9日からは市長を団長に、稚内市代表団がサハリンへやって来ました。14日に一行を無事に送り出したばかりです。
8月10日、13日には友好都市の皆さんと4本の会議が催されました。11日午前には、稚内市を代表して横田市長が新しい州知事の就任式に出席したほか、午後には同市長、日ロ経済交流協会長らが震災見舞いのためネベリスク市を訪問しました。さらに、忙しい中をぬって13日午後には、横田市長、吉田道議らが数箇所の事業所にトップセールスに赴いております。今回の訪問は、稚内市とサハリンとの結びつきがより一層深まったように感じられ、意義深いものだったと思います。
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