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稚内も気温が一桁になってきたそうですが、サハリンも「冬?」という雰囲気が色濃くなっていると思います。
サハリンの皆さんは、「少し南に位置する日本は暖かい」と考えているらしく、「あちらは暖かいのですか?」とお尋ねいただくことが時々あります。
そんな時は、地元の稚内や北海道の大半は、サハリン南部とさほどの違いはなく、本州の西寄りや四国や九州では、11月前半の時季でも日中は15℃位にはなるであろうと説明しています。
「あちらは暖かい?」と尋ねる方もあるユジノサハリンスクですが、11月に暦が改まって、日が進むにつれて朝の最低気温が下がっています。氷点下5℃程度になっている場合も見受けられるようになりました。これはユジノサハリンスクの地形の故に見受けられることであると思います。風が弱い日が多いので、「そんなに気温が下がった?」と考えるようなこともありますが。
他の街では、氷点下の気温は11月前半時点であまり聞きません。が、こういうような状況になってくると、足元が凍っている場合もあり、外を歩く時には特に気を付けたいものです。
秋が深まり、冬が本格化しようとする感な中、少しずつではあるものの急速に日が短くなっています。
「冬」と言えば「スキー」を思い浮かべる人が多いかもしれません。ユジノサハリンスクにも立派なスキー場がありますが、オフシーズンでも人の出入りが存外にある場所となっています。
ユジノサハリンスクのスキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>ですが、ここはメンテナンスの期間に休業する以外、スキーのオフシーズンである夏や秋にもゴンドラを動かして営業しています。スキー場は「街を一望する大展望台」ということになります。
“オフシーズン”でも「展望台」という様相のスキー場にゴンドラで上がり、市街の眺望を楽しむことが出来ます。
ですから、スキー場の中にあって食べ物や飲み物を売っているカフェに関しては、ゴンドラが動いて人の出入りがあるので「普通に営業」しています。
これらのカフェは、スキー場がスキーやスノーボードを楽しもうという人達でにぎわっている時季だけではなく、「街を一望する大展望台」ということで訪れる人達がある時季にも、食べ物や飲み物を求められるのです。最も近い時期としては、10月末に訪ねてみた時も営業していて、風が冷たかったので屋内に入り、コーヒーを頂いて一息入れました。夏には建物の周りにテーブルや椅子が並んで、戸外で食べ物や飲み物を楽しめるようになっていて、存外ににぎわっています。
実は最近、日本国内からサハリンを訪れた人達とお話しをする機会がありました。滞在中に天候が良くなったので、街の眺望を楽しもうとゴンドラでスキー場の上に行ってみた時、カフェが営業中であると気付いて、軽いランチを頂いたというように聞きました。そういう具合に、非常に気軽に楽しむ、「ちょうど、小腹が空いたと思えば、食事をとる店があった」というくらいで寄るような場所なのです。
スキー場は、純粋にスキーやスノーボードを楽しむ場所ということに留まらず、地元の人達や来訪者が憩う場となっているのだと思います。
ネベリスクの学校で、稚内とネベリスクとの交流に関する話題提供を行いました。
稚内とネベリスクとの交流等に関する話題提供を行うことに関しては、かつて1924年から1945年に「稚斗航路」で結ばれていた歴史的経過を踏まえて、1972年にネベリスク側の提言を稚内側が受け入れて友好都市提携を行った経過や、1980年代末に北海道とサハリンとを直接に結ぶ定期交通路が未確立な時代に、ネベリスクの皆さんがヨットを動かしてみたことが契機で地域間の交流が盛んになっていた経過をご紹介しました。さらに、稚内港北防波堤ドームの建設やその際に参考にしたとされる大正時代のコンクリート橋梁のことや、1920年代に樺太でも走っていた8620形蒸気機関車が、現在でも九州で観光列車をけん引して動いているというようなことも話題にしました。それから、「稚内とサハリンとの距離」を紹介する中で、アジアリーグアイスホッケーに参加する日本の各チームの本拠地がある街を引き合いに出して、存外にウケていたようでした。
文化体験では書道についてです。
書道に関しては、いきなり「さぁ、試しましょう!」でも良かったのかもしれませんが、少し考えて準備しました。「日本の文字」に興味を寄せて下さった皆さんに向け、漢字、カタカナ、平仮名が登場して現在も使われている経過や、小学校の6年間で漢字を千文字程度学ぶというお話しから入りました。そして皆さんは、漢字を書くことに関して「(画を)描く」というイメージを持っているようですから、「“描く”ではなく“書く”」ということを話しました。
実際に筆を使って字を書く段では、書道で「永字八法」と呼んでいる、“永”という字を使って説明される、基本的な筆の動かし方を紹介しました。それから色々な字を各々書いてみる訳です。漢字は“意味”も表すようになっているとして、書いてみる字の意味を紹介したところ、紙の隅にメモをしている生徒達が多く見受けられました。
「文化体験」で書道をやりました。
このときの話がきっかけで、何人かでも、1人であっても「日本語を学んでみようか・・・」という生徒が現れれば、それは大変に喜ばしいことです。
ネベリスクの学校を訪ねた際、“給食”を頂くという、少しだけ変わった機会に恵まれました。
このネベリスクでの催しは昼からだったのですが、何やら「昼食が出ます」と総領事館のご担当から連絡を頂いていました。それでネベリスクの学校に着いてみれば、校内にある<食堂>に案内され、「こういう様子で児童生徒の皆さんがランチ?」と少し驚きました。
校舎内に食堂が設けられています。60名から70名が一度に食事を取れそうなホールです。
児童生徒が昼食を取る、校舎内に設けられている食堂です。
こういう食堂は、ネベリスクの<第3番学校>に限らず、サハリン各地の、更にロシア国内の学校で一般的なものだと言います。
地域毎に多少の違いはあるのかもしれませんが、原則的には1年生から4年生は“無料給食”で、決められた時間に食堂へやって来て食事を取ることが出来ます。それ以上の学年は、別な割り当てられた時間帯に、簡易なカフェテリアとして有料で食事を取ることが出来るようになっています。また、4年生より上の学年であっても、家庭の事情等により給食ということになる児童生徒もあるといいます。
サラダ、スープ、メインの料理で、脇にパンが添えられます。ついでにジュースが出ました。
この日のメインの料理はイカにライスを詰めたもので、ジャガイモが付け合わせでした。スープは野菜と肉団子が入ったものでした。
ネベリスクの学校で頂いた“給食”です。
食堂で“給食”という体裁で食事という場合は、こういうようなサラダ、スープ、メインの料理が「セット」で出て来ます。簡易なカフェテリアとして有料で食事という児童生徒に関しては、「セット」の他に、例えば「サラダとパンだけで・・・」というように、好みのモノだけを求めるということも出来ます。
学校に通う児童生徒達が食事を取る場合に関しては、こうした催事で学校を訪ねるということでもなければ見る機会もありません。少し貴重な経験となりました。
早朝に「0℃以下」が見受けられる日が多くなってはいるものの、今シーズンはユジノサハリンスク市街での降雪が未だです。降れば「雨」です。
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