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コルサコフ市内の、地区行政府庁舎へ通じる道が在り、「中心街が始まる」感じのする辺りに緑地が整備されていて、市民の憩いの場の一つのようになっていますが、その一隅に胸像が据えられているのに気付きます。
胸像の人物の衣装を見ると、肩に飾りが付いていて、「昔の軍服」を想わせます。この人物は、ロシア帝国の“東シベリア総督”を務めたミハイル・セミョーノヴィチ・コルサコフ(Корсаков, Михаил Семёнович)(1826-1871)という人物です。
コルサコフでは、「サハリンで最も古い街の一つ」という紹介の仕方を耳にすることが在りますが、彼らは「1853年にネベリスコイ提督らが、この地に“ムラヴィヨフ砦”を開いた」ことを「街の起こり」と考えています。
この“ムラヴィヨフ砦”は、クリミア戦争等の事由で運営出来なくなり、1854年に一旦閉じてしまうのですが、1869年に復活しました。その際、改めて東シベリア総督に因んで“コルサコフ砦”と命名しました。
この“コルサコフ”の名が地名として受け継がれ、日露戦争後の1905年に“日本領化”するまで続き、1946年に“ソ連化”された際には、この名が持ち出されて“コルサコフ”という街の名前になりました。
“東シベリア総督”の“総督”(Генерал-губернатор)とは、管轄区域の民政と軍事を掌る、大変な権限が在った役職だそうです。
「1853年建都」という考え方によれば、2012年は「159年」ということになります。
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