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去る平成20年(2008年)7月19日に催行された「稚内市制施行60年記念式典」の後、式典に参加した来賓の皆様等が集い、夕食会が催されました。
その席上、式典翌日の友好都市経済交流促進会議などに参加するために稚内を訪れた、サハリン州行政府国際対外経済地域間交流委員会のメーリニコフ副委員長からサハリン代表で御挨拶をいただきましたので、下記に御紹介いたします。
稚内市長様、そして稚内市民の皆様、皆様の稚内市が市制60年を迎える訳ですが、こうして稚内にお邪魔したサハリンの代表団を代表し、心よりお祝いを申し上げます。
文字どおり「つい先日」のことでございますが、このホスピタリティ溢れる北海道の地でG8サミットが催されました。このサミットの中で、ロシアのメドヴェージェフ大統領と日本の福田首相による両国首脳会談が開催され、ロシアと日本が非常に近くにある国どうしであるのみならず、その経済、社会政策、環境問題へのアプローチ、その他様々な政治的な問題の解決に向けて、対等な立場で協力していけるであろうことが確認されたのであります。近年の両国関係ですが、殊に文化的な交流においては目覚ましい成長を遂げていると言えます。
60年という年月は長い歴史の尺度では瞬間のようなものかもしれませんが、この年月を経て、稚内は小さな漁業の町から現代的な日本の都市へと変貌を遂げました。こうした経過の中には、サハリンも貢献させていただいたものであることを指摘しなくてはなりません。稚内は、コルサコフ、ネべリスク、その他サハリンの各都市から地理的に近く、漁業や水産加工業に関しては両国関係の恩恵を直ちに受け入れながら、地域の産業発展を図ることが出来た経過があったのだと思います。私には非常に印象深く記憶していることがあるのですが、25年程前、既に稚内では魚やその他の海産物を単に採捕するのみではなく、一定程度保護しながら市場の要請に応えていくという漁法が正しい手法として主張されていたことです。
近年、稚内市とサハリン州との間では経済、文化、スポーツなど各分野の関係が進展し、深まっています。稚内市の行政とユジノサハリンスク、コルサコフ、そしてネべリスクと各市の行政レベルでの連絡は常時行われており、稚内市の行政とサハリン州行政府との関係も良好であり、最近は議会レベルにも良好な関係が拡がりを見せていると言えます。本日の祝賀の席に、サハリン州議会からボロトニコフ議員をお招き頂けたことについて、感謝の意を込めてここでご報告させていただきます。
1年程前ですが、ネべリスクに壊滅的な打撃をもたらしてしまった地震災害が発生しました。サハリンでは多数のお見舞いのメッセージを、また国外の政府、企業、個人から様々な支援の申出をいただいたのでした。が、こうした中で真っ先に人道支援物資を送り、義捐金を支出するという型で手を差し伸べてくださったのは、ほかならぬ稚内市民の皆様でした。大変困難であったその瞬間に救いの手を差し伸べてくださった皆様に、ロシアの全ての人々が深く感謝しています。
今年、稚内市民の皆様にとっては大きな出来事があったのではないでしょうか。コルサコフ・稚内間の国際貨客輸送の拠点となる、新たな国際旅客ターミナルが稚内港に開設されました。これは大変素晴らしい、輝くように美しく快適な建物であり、サハリンと日本との距離を縮めることに益々寄与することでしょう。このような立派な仕事を成し遂げた日本の建築関係の皆様が、これと対になるサハリンのフェリーターミナルについて御助言いただけますことを願わずには居られません。
この秋、サハリン州と北海道との間で取り交わされた「友好と協力に関する覚書」の提携10周年の記念祝賀行事を計画しています。催しの計画に基づき、ちょうど1週間前、第20回平和の船、並びに第3回北海道・サハリン州市民会議に合わせて、催しの準備会合のために北海道を訪ねたばかりです。
また稚内の皆様がサハリンの独特な自然景観に親しんでいただけますように、サハリンの写真家による作品展を現在開催させていただいておりますが、その写真展の件もここでご報告させていただきます。
末尾になりますが、皆様の素晴らしき街稚内の御発展と、全ての市民の皆様のご健勝と御多幸を御祈念申し上げ、御挨拶とさせていただきます。
※本文中の写真展は平成20年8月12日に終了しました。
※式典の様子に関しては下記を御参照ください。
企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)
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