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去る平成20年(2008年)7月19日に催行された「稚内市制施行60年記念式典」には、サハリン州の友好都市の代表にも御参加いただきました。
式典の席上、最も古くからの友好都市であるネべリスクのパク地区長にサハリン代表で御挨拶をいただきましたので、下記に御紹介いたします。
式典の様子に関しては下記を御参照ください。
祝賀式典にお集まりの稚内の皆様、こんにちは。
年を追う毎に、日本、ロシア両国の都市による友好交流は拡がりを見せており、多面的な性質をも獲得していると思います。
遡ること30年以上、ネべリスクと稚内は友好都市関係を始めることとし、『友好と協力に関する合意』を締結したのでした。私達は、相互理解、相互信頼、また互いへの関心に依拠した両市の友好関係を高く評価しています。
毎年、稚内の商工会議所で、稚内市役所でネべリスクからの研修を受け入れていただくことで合意を交わしています。これまでの長年に亘るこの取組を通じ、市行政、製造業、商業、社会資本の維持整備、水産加工技術、日本製自動車修理など様々な分野で、既に20名以上の研修生が学んできました。
稚内の横田耕一市長や稚内商工会議所の関係者の皆様に対しましては、ネべリスクからの研修生を温かくお迎えいただいていることに、また様々な分野で経験を学ぶことの大切さに御理解をいただいていることに深く感謝申し上げたいと存じます。
日本、ロシア両国による相互関係を深めていくためには、両国の若い世代による交歓が欠かせないと考えます。若い世代の交流ということでは『友情の船』という運動が大きな役目を担ってきました。2006年には、ネべリスクの子ども達がこの運動に参加し、稚内での少年少女サミットに参加させていただきました。
子ども達が隣国の習慣などに関心を寄せるようになるというようなことですが、大変大切なことであると考えます。ネべリスクと稚内で、ロシア、日本両国の子ども達が相互に訪問してホームステイを経験するという取組ですが、これは既に両市の間の良き伝統となっています。
若い世代による協力が進むということは、地域間の相互の活動にとって重要であると確信致します。友好的な関係を築いた子ども達は将来の交流の担い手となり、世界に平和をもたらすという考え方に向って邁進していくこととなるでしょう。
両市の間では文化の分野でも関係が深まっています。ネべリスクの少年少女アンサンブルを日本へ派遣させていただいた折りには大変御好評をいただきました。逆にネべリスクへ稚内から芸術グループにお運びいただいた折りにも、ネべリスク市民の間で大変な評判になりました。この5月でございますが、高い水準を誇る<雅道会>による日本の古楽器演奏にネべリスク市民が耳を傾ける機会を設けていただいたところです。こうした文化交流も非常に大切です。双方で互いの文化を鑑賞する、或いは公演を行うということを通して醸成される“心のつながり”というものは両友好都市市民の相互理解を深めるものとなる筈です。
私達は文化のみならず、スポーツにあっても良い交流を続けています。2006年でしたが、ネべリスクでロシア初のミニバレー大会が催され、ネべリスク、ホルムスク、そして北海道ミニバレー協会のチームが参加しました。こうした大会の最大の成果は、両国のチームが試合を通じて友好を深めたということです。
私達はネべリスク市と稚内市との温かい友好的な関係を非常に高く評価しています。両市の永く続く友好関係は公式儀礼に止まらず、常々新しい分野を拓いてきました。そしてそれらはすべからく、両国関係の強化に寄与してきました。私達両市が取組んできた様々な分野における交流は、日本、ロシア両国民による友好的な関係の良き見本となるものであると思います。
ここに全てのネべリスク市民を代表し、同時に私個人として、稚内市民の皆様が最も困難であったその時にお示しくださった御配意に対し、感謝申し上げたいと存じます。2007年8月2日の壊滅的な被害をもたらした地震災害発生に際しては、ネべリスク市の被災者に向けて素早く必要な支援の手を差し伸べて下さいました。
私はこうした両市による、市民に平和と繁栄をもたらすことが叶うような友好関係が末永く続くことを願って止みません。
稚内市民の皆様、本日は皆様の稚内市が市制60年を迎えたことを心よりお祝い申し上げます。皆様の御健勝、御多幸、安寧、更に皆様の御活躍と市勢発展を御祈念申し上げ、私の御挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)
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