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“国境”または“境界”と呼ばれる地域は日本国内に多く在り、稚内市もそうした地域の一つと目されています。
こうした“国境”または“境界”と呼ばれる地域には、現在の国境とは一味違う「地域間の結び付き」の歴史が在ります。
このような地域の歴史や文化、現在の問題等を研究する活動をする研究者等が参画するNPO<国境地域研究センター>では、日本と周辺の国の海を挟んで接する国境地域を新たな観光資源にしようと「国境観光」という提言をしています。
「国境観光」では、「国境地域で“国内”と“国外”を一連の日程の中で訪ねる」という、これまでに在りそうで、例が殆ど無かった型の旅行商品の造成を目指しています。
この取組の一環として、6月15日から6月19日の日程で、初めて<サハリン国境観光モニターツアー>が企画され、34名の皆さんが参加しています。
今回の旅程は、各地から稚内入りし、稚内市内を巡った後にコルサコフへ渡航し、ユジノサハリンスクに滞在しながらサハリンの街を訪ね、コルサコフからのフェリーで稚内へ帰国し、各地へ戻るというものです。今回のツアーには、北海道内の他、本州各地や九州方面から参加されている皆さんも見受けられました。
稚内が明確に「国境の街」ということになったのは、第2次大戦後のことになります。それ以前には「樺太と各地とを結ぶ接点」として発展した経過を有していますし、更に以前には日本海沿岸の全国各地と北海道内各地や樺太とを行き交う船の寄港地、“海のハイウェイ”の“サービスエリア”のような役目も担っていました。
稚内入りしたツアー参加者の皆さんは、そうした歴史の片鱗が感じられる宗谷公園に立寄りました。宗谷公園は、“宗谷場所”と呼ばれた交易や漁業の拠点となっていた村の跡地に相当する場所に設けられた公園で、色々なモニュメントが在ります。1808年と1809年に樺太探検に出た間宮林蔵や、「北方警固」で1807年、1808年にやって来た武士達も、現在は公園になっている一隅に足跡を記した筈です。
更に宗谷丘陵から宗谷岬を訪ね、「氷河が削った」と言われる宗谷丘陵の独特な地形、宗谷岬周辺の様々なモニュメントを視た他、風力発電に関する説明も受けました。宗谷岬に関しては、“最北端”のモニュメントがポピュラーですが、岬の後背に在る丘陵の「国内では類例が思い当らない」という景観に、非常に見応えが在ります。
宗谷岬では、「この時季の稚内ではやや珍しい?」または「最近としては一寸珍しい?」と感じられるような“20℃”という気温が見受けられました。しかし、この気温と冷たい水温との温度差の故か、「稚内市開基百年記念塔」辺りに至った頃には急速に深い霧が拡がりました。「急激に様子が変わる天候」というのも、「海に張り出した」ような地形の稚内に特徴的な様相で、好い土産話となることでしょう。
ツアー参加者の皆さんは、海峡の対岸で出くわすであろう様々なものに期待を膨らませながら、元気に稚内港国際旅客ターミナルを出発しました。
旅行に出てみれば、訪ねた先で色々なものに出会うこととなるでしょうが、稚内やサハリンに間違いなく在った「地域間の結び付き」の歴史は、他所には余りない「大切な地域の個性」の一つです。そうしたものに眼を向けようとする“国境観光”が「ポピュラーなもの」に発展していくことを願って止みません。
企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)
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