アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2009年6月)
2009年6月12日から6月14日、ロシアの祝日の関係で3連休となったことから、アレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねてみました。車でアレクサンドロフスク・サハリンスキーまで出掛けるという友人の誘いを受けたので、未踏の街を訪ねてみることにしたのでした。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーは北緯50度のラインから北に位置する街です。
樺太・千島交換条約(1875年)以前の日本名では落石(おっちし)と呼ばれていたそうです。1905年以降、南樺太が日本領であった時代には亜港(あこう)と呼ばれていたこともありました。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、帝政ロシア時代から1946年頃までは、ロシア領サハリンの中心的な都市でした。『サハリン島』を著した作家チェーホフが1890年に上陸したのも、このアレクサンドロフスク・サハリンスキーです。
ユジノサハリンスクからは、ドリンスクへ出てオホーツク海側を北上し、マカロフ、ポロナイスクを経て、内陸を更に北上し、ティモフスコエから日本海側へ向うとアレクサンドロフスク・サハリンスキーに着きます。(地名を右側の略地図に落としてみました。)
往路は、朝9時30分頃にユジノサハリンスクを出発し、アレクサンドロフスク・サハリンスキーの宿に到着したのは午後9時前です。途中休憩もゆっくり取りましたが、概ね11時間程度を要しました。因みに復路は、途中のポロナイスクに泊まり、ポロナイスクからユジノサハリンスクへ引揚げました。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーには、貴重な資料も収蔵している図書館や、ここからサハリンに上陸したチェーホフの事跡を伝える博物館が在ります。また自然景観も、ユジノサハリンスク周辺よりも相当北になるため、若干雰囲気が違います。
稚内の北のサハリンで、「更に北」を目指した経過を、写真でご紹介します。

ユジノサハリンスクからマカロフの手前辺りまでは舗装道路が多く、若干の雨でもスムーズに走行出来た。マカロフ以北には、道路整備工事をしている様子が随分と見受けられた。

“ライオーン”とは“地区”のことで、サハリン州内の道路を走っていて、ある地区に差し掛かる辺りで、こういうような看板を見掛ける。


中心街と見受けられる場所に立地しているが、静かだった。アパートの一画をそのままホテルにしたような雰囲気である。客室は3階部分で、1階と2階にはカフェや衣料品、化粧品などの店といったテナントが入っていた。








杉本良吉は1939年にスパイ容疑で処刑されてしまった。岡田嘉子は幽閉されてしまった。戦後、アナウンサーとして活躍し、舞台演出も手掛けた。日本に帰国した時期も在ったが、モスクワで他界している。

博物館の入館料は70ルーブルで、館内で写真を撮る場合は“撮影料”が50ルーブル必要となる。

チェーホフはアレクサンドロフスク・サハリンスキーやティモフスクで活動した後、船でコルサコフを訪ねている。



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