ここからメインメニュー

メインメニューここまで

サイト内共通メニューここまで

ここから本文です。

第52次日本南極地域観測隊 市川正和隊員の南極越冬記(6)

平成23年7月の報告


第52次日本南極地域観測隊ロゴ

 1. マイナス35度

 2. 帰ってきた太陽

 3. ビアガーデン

 4. 南極教室

マイナス35度

7月1日 マイナス35.2度(今年の最低気温)
マイナス35.2度(今年の最低気温です。)

 7月1日の最低気温はマイナス35.2度。 

今度こそと思い温度計を外にセットし下がりきるのを待って写真を撮ってもらいました。

 場所が食堂の非常口で風がほとんど吹いていなかったので、Tシャツでも何とかなります。もちろん長くは居れませんが…。

 7月最初の日は今年一番の冷え込みとなりました。

 ちなみに今年の最高気温はプラス4.9度。

 1月は天候が悪く寒かった印象があるのですが、気温はプラスになった日もありました。

 昭和基地周辺では8月頃が一番寒いと言われています。

 マイナス45.3度がこれまでの記録ですが、今年はどうなるでしょうか。

 せっかくなので記録が更新されるのを生で感じたいと思いつつも穏やかな天候を望む今日この頃です。

帰ってきた太陽

 7月10日の12時過ぎのことです。

 昭和基地に放送が流れました。

7月10日に見た蜃気楼

7月10日の蜃気楼

「蜃気楼の太陽が見えます。」通信担当の近藤隊員が窓の外に現れた太陽のことをみんなに教えてくれました。

 計算によると初日の出(極夜の終わりを告げる日の出)は13日の予定ですので、やはり蜃気楼です。しかし、幻とはいえ久しぶりに見る太陽は眩しく、安らぎを与えてくれました。

 翌日の11日からはあいにくの空模様で、初日の出はおあずけとなってしまいましたが、15日、雲の隙間から今度は本物の太陽が顔を見せました。

 15日も雲が多く、しっかり太陽を見ることが出来たのは21日でしたが、極夜の終わりを告げる日の出です。

7月15日に昇った太陽

7月15日の太陽

 蜃気楼(上の写真)と本物の太陽(左の写真)、どちらも写真を撮ってみましたが違いがわかるでしょうか?

 私の技術で撮影した写真ではわからないですね。

 でも、間違いなく10日の太陽は蜃気楼で15日は本物が昇ったんですよ。

 国立極地研のホームページに「帰ってきた太陽」(同じタイトル)で私の書いた記事が掲載されていますが、その写真は久光隊員と岩波隊員が上手に撮影したものなので、是非ご覧ください。

ビアガーデン

 「7月といえばビアガーデン」稚内では少し早い気もしますが、昭和基地には本州出身者が多いので、この様なイベントも思いつくんです。

 前日に有志が準備した手作りソーセージや調理の工藤さんが作ってくれた料理を皆で運びましたが、急いで準備してもすぐに冷えてしまう(と言うより凍る)ため、コンロとフライパンも持って行き温めながらの食事です。

 とは言っても、このときの温度はマイナス16度。

マイナス16度
マイナス16度 

 料理を温めるはずのフライパンがなかなか温まりません。

 そもそもコンロに使うカセットが冷えてしまい、ガスがしっかりと気化されず、炎が大きくならないんです。

 それでも必死に温めながら、みんなで乾杯!ビアパーティーを楽しみました。

ビアパーティー
ビアパーティー

南極教室

 以前も照会しましたが、私の業務の一つに南極教室の実施というものがあります。

 隊員の出身校やお子さんが通っている学校などと

南極教室の撮影風景

南極教室風景

いろいろな機材を駆使して制作します。

TV会議で交信するものですが、7月21日は私の番でした。

 交信してくれたのは南中学校と港小学校の皆さんです。

 会場となった南中体育館に全校生徒児童の皆さんが集まってくれました。

 交信中は話すのが精一杯で一人ひとりの顔を良く見る余裕はありませんでしたが、久しぶりにお会いした稚内から元気を分けてもらうことが出来ました。

 これまで他の隊員の南極教室を一緒に作ってきたのですが、自分の番となると、何を紹介すべきか悩みました。

 極地南極に来たからこそ感じられる感動を簡単に伝えることは出来ませんし、「ペンギンやアザラシに会えたよ」なんて話しても、稚内にもいますからね。

 そこで、「夢」を叶えた仲間たちに、稚内の子どもたちへ夢を持つことの素晴らしさや、その夢が叶った時の感動を紹介してもらいました。

市川隊員(右)と2度目の越冬中の樋口隊員(左)昭和側で映っている映像

南極教室風景(2)

隣は2度目の越冬中の樋口さん

昭和側ではこんなふうに映っています。

たくさんの質問ありがとうございました。

 第52次隊の中には、子どものころから南極に憧れていた人や、最近になって自分でも行けるかもしれないという話を聞き、その方法や身につけるべき資格を取得して公募で参加した人などたくさんいるんです。

 私は稚内に育ったおかげで南極に来るチャンスをいただきました。

 稚内は南極に来る近道なのかもしれません。

 私が出会った「夢」を叶えた人たちの話を直接聞いて、稚内の子どもたちに「夢は南極」なんて思ってもらえたら嬉しいですね。

本文ここまで

ここからフッターメニュー