第52次日本南極地域観測隊 市川正和隊員の南極越冬記(1)
平成22年(2010年)11月~12月の報告
出発の日
11月11日12時、晴海ふ頭を出港。いよいよ南極へ向けての出発である。
これまで、隊の準備、積み荷に追われ「早め早めの行動」を心がけてきたにもかかわらず自分の準備すら中途半端な状態で、この日を迎えてしまった。せめて隊の物資の忘れ物が無ければ…と願いつつ朝を迎えた。前日の壮行会から横田市長をはじめ多くの方が稚内から駆け付けてくれ、周囲からも「すごいな稚内」と言われたほどであり、どれほど心強く、そして、ありがたかったかは言葉では言い表せない。「あったかいまち稚内」から送り出していただいたことをあらためて実感し、「始まる前から後ろを向いても仕方が無い。今は前だけを向いて精一杯自分なりに取り組もう。そして楽しもう。」と決意を新たにした。
観測隊本隊とは2週間の別れとなり、5名だけが晴海ふ頭からしらせに乗艦した。
私の仕事は観測隊本隊としらせ及び国立極地研究所との連絡調整と輸送業務の事前調整が主となる。ここから先はすぐに相談できる経験者は大塚副隊長のみ。基本的にはこれまで学んだことを基に行動するしかないが、かなりの制約を受けるといってもメールや電話でのやりとりも可能である今のシステムに感謝する。
稚内から来てくれた母、親戚、市長をはじめとする稚内の皆さん、そして、大事な素敵な観測隊本隊の仲間たちに見送られ、晴海ふ頭を出港。
いざ太平洋、インド洋そして寄港地フリーマントル。
フリーマントルまで
盛大な見送りを受けて晴海ふ頭を出港。レインボーブリッジを潜り振り返ると船からしか見ることの出来ない風景がある。お台場まで船で行ったときは夜景が綺麗だったが、昼は昼で綺麗なものであった。
船の科学館を通り過ぎるときは汽笛を鳴らした。若干とはいえ大きくなった新しらせから見えた初代「宗谷」は以前見たときよりもさらに小さく感じ、南極へたどり着いたことに対しあらためて驚きと尊敬の気持ちが自分の中で交差した。先遣隊5人はしばらくの間、見ることのできない日本の風景を06甲板から眺めていた。
しらせ179名、観測隊5名、計184名の船での生活が始まった。最初の食事(昼食)は出国祝い弁当。80人で使う観測隊公室で豪華な弁当を5人そろって食べた。
船での一番の楽しみは食事。本来観測隊が食べる場所は観測隊公室。しかし、最初は5人だけなので船の乗組員の皆さんと一緒に食べることになっていた。乗艦前に聞いていたのは科員食堂。ここはしらせの乗組員の中の下士官が食べる食堂である。
しかし…最初の昼食前に補給士が「昼食は弁当ですが夜からは士官室です」と私につぶやいた。「お聞きしていたのは科員食堂では?」の問いに「いいえ」とニヤリ。我々観測隊員はしらせの中では士官待遇であるため当然といわれるかもしれないが、楽しみにしていた食事が、慣れるまでは一番緊張する場になってしまった。しかも座席は艦長、副長以外の人はくじ引きで決まる。毎日3食、食べる前にくじを引く。これは毎日同じ顔ぶれだと会話もなくなり、楽しい食事の時間もつまらなく感じるため考えられた手法であり、とても良いとは思いつつも毎食前のドキドキはいかがなものかとも…フリーマントル到着までの間、光栄なことに誰よりも多く艦長の横、副長の前というスペシャル席で食事をいただいたのは私でした。
食事の次に楽しみなのは、毎日変わらないようで刻々と変化する景色と気象環境を肌で感じること。伊豆大島付近を通ると「日本の景色はこれが最後だよ」と大塚副隊長に言われたのが印象的だった。その後はいつ外を見ても海。水平線を見ていると地球は丸い!と本当に実感した。写真でもビデオでもきっと伝えられないだろうと残念に思いつつ、この景色を毎日見ることが出来る環境にいる自分が幸せだと感じた。
我々の行き先は南の果て南極。日本を出てひたすら南下するしらせの中は日に日に暑くなり、甲板に出ると太陽が真上に来るようになる。最北端から東京に行っただけで毎日ヒーヒー言っていた私には耐えがたい暑さ。しかし、暑いと思えるのは1年半くらい無くなってしまうため、その暑さを楽しむことにした。できるだけ甲板に出る、もしくは部屋に閉じこもることにした。私の部屋は船の構造上、もともと冷房が入りにくく、赤道直下の気候では海水温が30度を超えるため、海水を利用している冷房では主要な部屋を冷やすのが精一杯で、私の部屋は無風状態。それもまたよし!として閉め切って寝てみたがさすがに朝起きると汗だくだった(稚内でもいつもそうだった気もしますが…)。
船内での訓練やレイテ沖洋上慰霊祭に参加するなど、自衛官と共に日課をこなすことも。そんな中、2010年11月17日19時47分46秒、赤道を通過した。いよいよ南半球に入った。赤道通過のセレモニーは翌18日に開催された。19日にはバリ島横を通過し14時過ぎにインド洋に入った。ここまでしらせはまったく揺れず、船酔いを心配してはいたが問題なく、快適な船旅が続いた。
船では艦上体育という日課がある。甲板でランニング、ストレッチやキャッチボール等の運動をして、体力の維持に努める。私も数回走った。多少の揺れはあるが炎天下の下で気持ちの良い汗をかいた。何度も泳ぎたいと思ったが…
出港してから毎日不定期に打ち合わせが入る。庶務としての業務であるから当然ではあるが、予定されている調整会議的なものの他に、個別に打ち合わせが必要な事項が多く、内容によっては隊長判断を要するもの、極地研に確認をしなくてはならないものがある。船の上ではメールは1日4回の交信しか出来ない。電話はいつでも可能だが1分約400円と高額なため、メールでの確認が増える。1度に送れる容量も500キロバイトと制限され、また、船の状態、感度の状況によっては送受信できないこともあるため、1つの確認作業に1日から2日かかることもある。
極地研隊員室に7月1日から詰めてから、1日100件を超えるメールを受け、返信していた日々を思うとホッとする時間でもあったが、連絡がつきにくい状況に苛立ちを覚えることもあった。
合間を縫って個人斡旋品の仕分け、配送を行う。個人斡旋品とは免税の酒やタバコなどのことであり、日本を離れるまでは開封が禁止されている個人で買った物のことである。ここ10年は全員がオーストラリアまで空路での移動だったため、しらせ乗艦後の作業だったが、52次では我々が先乗りしているため、本隊合流前に行うこととした。3日かけて1300箱を超えるビールやジュースの配送作業を行った。運動不足になりがちな船内生活では良かったような気もするがかなりハードな作業だった。斡旋品の取り扱いは庶務の業務であり、この作業を行うと言ってくれた副隊長と反対しなかった3人に感謝である。これで本隊のみんなは作業が減り、フリーマントルでのフリーな時間が増える。
11月22日24時(23日0時)→22日23時、はじめての時刻帯変更があった。日本を出たことが無い私にとってははじめての体験。この日はいつもより1時間多く寝られる。23日の明け方、今までで1番の揺れだったようだが、爆睡で気付かず。残念なような良かったような…
本隊合流の前日。この日も朝から晴れていた。のんびり流れる時間を満喫しようと朝から艦橋で海を眺める。はじめてみる海外の風景。オーストラリア大陸は山や丘がなく、平らな印象。この日は停泊だったため、夜は船からフリーマントルの夜景を見たが、月が低く綺麗に輝いており、なんとも言い表せない風景だった。
本来であれば空路でフリーマントル入りのはずであったが、日本からしらせに乗れたことは極地研究所の配慮であり、大塚副隊長の心遣いであったことは間違いない。稚内からの派遣という立場が私に貴重な体験をさせてくれた。稚内と極地研、南極とのパイプを築いてくれた先人、先輩、そしてこのような環境に送り出してくれたわがまち稚内にあらためて感謝。
フリーマントルから
11月25日。フリーマントル到着。本隊が空路で先に着いている。本隊の盛大な出迎えの中、しらせ接岸。
5人の入国手続き、本隊の乗艦手続き、昼食、ミーティング、斡旋品の配付。これまでの船旅が嘘のように慌しく時間が過ぎる。斡旋品の配付がスムーズだったため隊員のフリーな時間が増える。予想通りだが庶務は質問攻め。はじめての隊員がいる以上、当然のことではあるが、あっという間に1日が終わった。
フリーマントル停泊中は全員作業が1回あるだけであとは関係する部門のチョットした作業のみ。隊員以外の人との最後のコミュニケーションを取れる場である大陸を出来るだけ満喫して欲しいと願う。
11月30日。フリーマントル出港日。7時半から出国手続き。その後も出港行事、観測隊の自己紹介、艦内旅行、安全講話等、夕食後のミーティングまであっという間に時間が過ぎる。その後も連日、訓練や打ち合わせ、調整会議が続く。あらためて「始まった」と実感する。しかし…そう思ったとたんに船が揺れだし船酔い者続出。経験者や晴海から乗った者には影響が無い程度の揺れだったが、始めての人は体調不良を訴え、ドクターが準備した酔い止めが底をつく勢い。帰りの分はなくなりそう。
12月1日よりしらせ乗組員に対し観測隊員による「しらせ大学」講座が始まる。また、2日からは海洋観測が始まる。1日に1~2回船を止め、その場所の海水や生物を数種類の方法で採取する。また、観測用ブイを投入し、海流の調査等も行う。生態系や海水温、潮流の変化を観測する。いよいよ観測隊として始動したという感じ。
南緯55度付近からペンギンや鳥たちが頻繁に現れる。泳いでいるペンギンは簡単には写せないが、みんな撮影に必死である。時折、鯨も姿を見せるが、写真におさめるのは困難。
平成22年12月5日 南緯55度通過
南緯55度を超え、めっきり寒くなってきた。初氷山は12月6日16時51分に確認された。残念ながら天気が悪く、綺麗な写真は撮れなかった。船の中では時間当てクイズが開催されることがある。赤道通過時刻当てクイズに続く第2回目として初氷山視認時間当てクイズが開催された。初氷山をその日の当直士官が視認する時間を当てるもの。最も近い時間を投票した者から3名が表彰されるのだが、観測隊員が1、2位という偶然にもすばらしい結果だった。ちなみに私は7日の8時としていたため論外。
遠くに見えるのは氷山です。
この内容は12月7日までの活動を振り返ったものである。叫ぶ40度、ほえる50度、狂う60度と習ってきたが、新しらせのおかげか、偶然なのか、船はほとんど揺れず、寝ている間に終わってしまったマックスピッチ角度(前後のゆれ)10度程度(未確認)で、今は南緯61度付近を西北西に向かって進んでいる。今後も氷縁を避けながら一路昭和基地を目指す。外は今日から氷点下となる。太陽は21時頃まで沈まず、日の出も2時台。
太陽が沈まない南極の白夜はもうすぐである。
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