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稚内港とコルサコフ港とを結ぶ<ペンギン33>を利用してサハリンを訪ねた稚内市代表団は、到着翌日にコルサコフを訪ね、<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>に臨みました。
この会議は、航路を巡る様々な問題の解決と利用促進に関し、航路の発着地である稚内とコルサコフとが協議を行う場として、開催地を隔年相互で移しながら継続しているものです。昨年はコルサコフ市を始め、サハリン側の関係者の皆さんを稚内にお迎えして開催したのですが、今年は稚内側からコルサコフを訪ねました。
今季のサハリンは天候不順が続き、週の初めには肌寒い感じでしたが、会議が催された7月12日は好天に恵まれました。
会議の冒頭、開催地のコルサコフを代表し、ルダコフ市長は「地域間の関係は航路に負うところが大きなもので、航路の利用客を含む街を訪れる人達が過ごしやすい街の整備に力を注ごうとしている」と挨拶し、それに対して工藤市長は「様々な課題があることは間違いないが、地域の“思い”を受けて、色々な事案の解決に努力したい」と応えました。
コルサコフ側、稚内側から各々代表者が報告を行い、それを受けた意見交換という型で会議は進められました。
稚内・コルサコフ航路は日ロ両国間を「直接に結ぶ」船の航路としては“唯一”のものとなっていて、これを守って行くことが大切であるという点で、また現行の旅客輸送に限定されてしまっている状況を、貨客輸送が可能な状態にして行くことが必要であるという点で、双方の考え方は一致しました。
稚内側から、コルサコフに到着した旅客向けのバス路線の整備や、情報提供サービスが必要という意見を出せば、コルサコフ側は「現在進める街の整備のテーマの一つ」と応じました。
更に、現在はコルサコフやユジノサハリンスクで、「優遇制度の下に企業等が投資事案を起こし、産業の基盤が強化されることを促す」ことを目的とした、<自由港>、<先導的社会経済発展地域>という制度が導入されています。そうしたビジネスチャンスが、地域間の交通の利用促進につながるはずであるという意見もありました。
こうした様々な話題を論じましたが、今後も地域間で航路を巡る事案で手を携え続けて行くことで一致し、次回会議は稚内で来年催すこととなりました。
会議後は、コルサコフの<郷土博物館>を訪ね、アンナ・バブショク館長に御案内を頂きました。小さな施設ですが、「地域の子ども達が街の古いことや、上の世代の人達の暮らしの様子を学ぶ場」として、あるいは一種の文化ギャラリーとして盛んに利用されている様子でした。
<郷土博物館>からルダコフ市長も同行し、稚内代表団はコルサコフ港や街を一望出来る丘に上がりました。市街や港を見ながら、「サハリンを訪れる人達の“玄関口”として」というテーマで、街の整備構想を語るルダコフ市長の様子が強く印象に残りました。
それから文化センターで、児童生徒芸術学校の絵画や手芸の体験デモンストレーション、音楽や舞踊の披露があり、興味深い時間を過ごしました。
やがて、会議で話し合った内容や次回会議に関する確認を盛り込んだ<議定書>について、工藤市長とルダコフ市長が署名することになりました。両市長が署名し、会議は閉幕ですが、地元報道関係者によるインタビューが行われました。今回は、<ペンギン33>の運航後としては初めて、永く続いているこの会議のために稚内代表団がコルサコフを訪れたことから報道陣の関心は高いと見受けられ、以前の訪問の際以上に時間を要しました。
稚内とコルサコフとは、かつての“稚泊航路”で結ばれていた時代のように、新たな世紀の中でも共に発展して行くことを願って友好都市交流を四半世紀以上にも亘って継続している間柄です。今後も手を携えあって、稚内・コルサコフ航路の事案に向き合って行かなければなりません。
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