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(天候:晴・最大瞬間風速:5.1m/s・気温(最高:2.0℃ 最低:-6.5℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
カウントダウンの除夜の鐘が鳴り響き、午前0時に高々と鳴るサイレンの音と共に、2006年の幕開けです。昭和基地での生活も残すところわずか1ヶ月。この1ヶ月の一つ一つの出来事を大切にそして記憶に残しながら過ごして行きたいと思います。
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(年越しそばが振る舞われます) | (特製「除夜の鐘」をつきます) |
今日は昭和基地での最後の当直業務。午前9時から、調理隊員が数日前から今日のために仕込みをしていたおせち料理の準備を行なったのです。お重箱に綺麗に詰められたおせち料理が出来上がり、午前11時、越冬隊長より新年の挨拶、設営主任の乾杯で僅か1日だけのお正月気分を味わいました。
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(豪華なおせちです。味も最高) | |
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(越冬隊長の新年の挨拶です) | (元旦の全員写真です) |
明日からはまた通常通りの業務が始まり、3日からはヘリコプターによる空輸で大忙しの昭和基地になるのです。
(天候:曇・最大瞬間風速:5.4m/s・気温(最高:0.2℃ 最低:-0.4℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
今日が昭和基地での仕事始めで、手空き総員での冷蔵、冷凍庫の整理作業を行
いました。
明日から始まる空輸で47次隊の物資が続々と運ばれてきます。その中で越冬のための食料40トン余りが来ます。この食料を倉庫棟冷蔵庫と冷凍庫などに保管するのですが、まだ私達46次隊の食料があります。この食料を全て移動しなければ47次隊の食料が入りませんので、実質の冷蔵庫の明け渡しの作業となります。予備の冷蔵庫もありませんので搬出されたビール、ジュース等については日陰になる屋外の天然冷蔵庫に移動を行なったのです。屋外の天然冷蔵庫に積まれた多くのドリンク類。この様子を確か1年前に45次隊が同じような作業、保管をしていたのを思い出しました。
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(冷蔵庫から運び出す調理隊員) | (飲み物も移動できました) |
でも、野菜、果物類については屋外に出しておくとさすがに鮮度が落ちてしまいますし、またオオトウゾクカモメが飛んできて悪さをしますので、これらの食材については冷蔵庫のほんの一角を貸してもらうことになります。
整理の終わった冷蔵庫の中はがらんとしてしまい、この様子からも交代時期がひしひしと迫ってきているのを実感します。日を改めて冷凍庫の整理も行なわれます。
このようにいたるところで引渡しの準備が着々と進んでいます。
居住棟でも私物の整理が盛んに行なわれており、深夜までダンボールに荷物をつめている音が多くの部屋から聞えてきます。ちなみに私は、今日現在、ほとんど梱包が進んでいません。
本格的に引越しモードになっている昭和基地に取り残されているのです。
(天候:晴一時薄曇・最大瞬間風速:5.9m/s・気温(最高:2.6℃ 最低:-3.3℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
氷上輸送が終わり、大晦日、元旦とゆっくり休日をと思いましたが、年齢のせいか?夜勤疲れがなかなか取れずじまい・・・
そんななか、本日からヘリコプターによる本格空輸が開始されました。氷上輸送ではヘリコプターでは運ぶことのできない大型物資を、雪上車を使ってしらせから昭和基地に陸揚げしましたが、それ以外の物資についてはヘリコプターで全て空輸します。
最初に運ばれてきたのは、47次気象部門が観測に使用するヘリウムカードルで、これを46次隊が気象棟裏に運びこむのです。このようにしらせで運ばれてきた食料、私物、ドラム缶等以外は全て46次隊が配送を担当し、47次隊が越冬交代後スムーズに観測や生活ができるように協力をします。これも私たち越冬隊の大事な業務のひとつとなっているのです。
(天候:晴・最大瞬間風速:7.2m/s・気温(最高:2.5℃ 最低:-5.1℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
本格空輸が順調に進んでいます。今日でほぼ一般物資の運び込みが終了し、残すところは燃料ドラム缶、越冬用食料と私物になりました。
燃料ドラム缶の一部の輸送が今日の午後から始まったところですが、1回の空輸でヘリコプターに積み込まれる本数が8本、最終的には1,000本余りが運ばれてきます。この運ばれてきた燃料ドラム缶をヘリコプターの乗降口に板を取り付け転がし、それを隊員がタイヤを使い受け止めヘリコプターが飛び立つまで一時へリポートに仮置をします。その後ヘリコプターが飛び立ってからヘリポート下にあるドラム缶デポ地(約50~60m離れた地点)に1本ずつ、坂の傾斜を利用して一気に転がし落とします。全ての本数をこの方式で行なうのですが、この方法はかなり前から取られてきた方法らしいです。
しかし一見すると古典的に思えるのですが、実際にやってみると意外と効率的な方法です。坂道の途中には、数人がタイヤを持って構えていますが、これはドラム缶の方向とスピード調整を行なうためにいます。希望しない方向に曲がっていく場合がありますので、タイヤを投げ込んだりして方向を調整し、またスピードが出すぎる場合もありますのでこれもまたタイヤを使いスピードを緩めてやるのです。
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(ヘリコプターからドラム缶が) | (それを受け止めます) |
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(今度は下の保管場所で待っている場所へ転がし落とします) |
ちょうど1年前、同じ作業をしたことを本当に昨日のように思い出しながら、懐かしんで拝見させてもらいました。
昭和基地での生活は、残すところあと27日となりました。私物の梱包がまだ終わっていません・・・
(天候:曇一時晴・最大瞬間風速:7.2m/s・気温(最高:-0.1℃ 最低:-4.7℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
今日からしらせ乗員が47次夏オペレーションの支援でやって来ました。昨年も強力な助っ人としてとてもお世話になりました。これで支援体制も確立し本格的な夏オペレーションが進むことになるのです。来月上旬までの約1ヶ月間、この支援を受けて計画されている47次隊の夏オペレーションが天候に恵まれ、そして安全に終了することを祈っています。
昨日から燃料ドラム缶の空輸が始まっていますが、そのドラム缶を持込んだ際の帰りのヘリコプターを利用して、持帰り廃棄物が詰まっているタイコン108個の輸送が終了しました。本格的な持帰り物資の空輸は、47次隊の持込み物資が数日後に終了しますので、その後に始まり、この持帰り物資の空輸が20日頃の完了予定となっています。その後に各部門の引継が31日まで行なわれる計画になっており、今月末まであっという間に過ぎてしまいそうです。あと僅かの昭和基地での生活を楽しんでというような余裕がさてあるのでしょうか。
また本日のBARに、しらせ乗員のみなさんが大勢やって来ました。昨年、昭和基地に支援に来た人は、ほんの数名しか確認できませんでしたが、元気な若者でBARがしばらくぶりに活気に満ち溢れ、大盛況となったのでした。
ちなみに満員になるのを見越してBAR当番を3名体制にして臨んだのですが、やはり予想通り30名近い人が一斉に来ましたので、てんてこ舞いでした。他の隊員数名がヘルプしてくれて何とかなりましたが、まるで満員の居酒屋で働いているような気分も味あわさせてもらいました。今月はあと2回当番が回ってきますが、頑張ります!!
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(しらせ乗員の皆さんです) |
(天候:快晴・最大瞬間風速:5.5m/s・気温(最高:1.1℃ 最低:-4.5℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
昭和基地周辺では、47次隊の夏オペレーションが各所で行なわれています。その一つに多目的大型アンテナのレドーム補修があります。
これは、大型アンテナを保護するためにアンテナ全体を覆っているもので、アルミ合金の枠と内部に繊維を持つゴム素材のパネルとで作られています。このゴム素材がブリザード等で劣化して内部のケプラー繊維が表面に現れます。
この繊維は紫外線に弱くさらに劣化が進んでしまい、このまま放置するとレドームの倒壊の危険が生じてしまうそうです。その様な事態にならないように、
ゴムパネルにシリコンコーキング剤を塗り応急処置をしています。
この作業は42次隊でも既に行なわれており、43次隊では劣化の激しいパネルを交換しているとのことです。今回の補修箇所はブリザードの際に風上側の約100枚にシリコンコーキング剤を雪上クレーン作業車を使い、また1.5mの長さの「ウルトラロングヘラ」という優れものを使って補修作業が行われているのです。
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(クレーン車を使いコーキング剤を塗っていきます) | (上部はウルトラロングヘラを使います) |
(天候:曇時々晴・最大瞬間風速:12.2m/s・気温(最高:3.9℃ 最低:-3.9℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
昭和基地の建物周辺には、47次隊が持込んだ荷物がどんどん増えてきています。特に気象棟前には観測用機材や生活用品、事務用品などがどんどん置かれて行っています。一部はブルーシートをかけて風、雪から保護しているのもありますが、今のところ強風が来ていませんので、特に問題はありませんが、昨年は強風で荷物を覆っていたブルーシートが飛ばされそうになってしまい、強風の中、数名でシートごと飛ばされそうになりながらかけ直したことを思い出しました。今年はそんな強風が来なければいいと祈っています。
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(気象棟前にたくさんの荷物が集積されています) |
また、管理棟の通路は私たちの持帰る荷物がダンボール詰めになったもの、木箱に入れられたもの等たくさんの荷物が所せましと置かれています。また、居住棟では私物の梱包も終盤を迎え各隊員の部屋の中には、ダンボールが山積になっていることでしょう。
昭和基地ではこれから始まる荷物とこれで終わる荷物が入り乱れているのです。
(天候:曇・最大瞬間風速:14.9m/s・気温(最高:5.1℃ 最低:-0.6℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
今日は1月1日以来の休日日課となりました。47次隊の空輸で運び込まれる物資が越冬用の食料のみとなりこの食料と今後運ばれてくる私物に関しては46次隊の配送作業が生じないということで休日となったのです。
休日といえども持帰り荷物の梱包やらで、ゆっくりとした隊員はいなかったことでしょう。そんな中、1月の数少ない休日に越冬最後の居酒屋、寿司屋を行なうということを先月の全体会議で報告していましたのでこれも急遽、開催することになったのです。
これで最後の居酒屋、寿司屋のイベント。2ヶ月に1度のペースで開催され、居酒屋では毎回5~6人の隊員が自分の出身地の料理や得意料理を作り皆さんに食べてもらおうと毎回どんな料理が出てくるのか楽しみにしていました。また、寿司屋はレクリエーション係から2名ずつ手伝いを出し、慣れない手つきでお寿司を握って提供してきました。私はこの寿司屋の店員を2回行ないましたが、自分の握った寿司を人に食べてもらうなんて初めての経験でしたので、ご飯の握り方、硬さ、大きさ、ネタとのバランスなど調理隊員の握っているものを見よう見真似で握りましたが、最初は大きすぎたり、小さすぎたり、硬すぎたり、柔らかすぎたりで握るたびにばらばらでしたが、握っていくたびにそれらしくなっていきました。2回目の時は、最初の経験を生かしながら作ることができ、前以上にそれなりの美味しそうなお寿司を握ることができました。どちらも食べてもらった隊員に「美味しい」といってもらったことがとても印象的だったこととしてこれまたいい経験をさせてもらいました。最後はゆっくりと寿司を味わいましようと思いきや、居酒屋の当番がいよいよ回ってきたのです。
さて、何を作ろうかと思ってはいたのですが、料理が全くできない私は、調理隊員に助けをもらい最終的には「シャケのちゃんちゃん焼き」を作ることになりました。しかし、ちゃんちゃん焼きといえば「しゃけ」ですが。シャケの上からかける「たれ」で美味しさが決まるといっても過言ではないくらいの重要なものですが、これもどのように作ったら良いのか、どんな味にしたら良いのか全く解りませんのでこれもお任せしてしまい、結局私がしたことはオーブンレンジで「焼くだけ」でした。でも皆さんの前に出す時にはあたかも私が全て作ったかのように出してしまいました。皆さん、ごめんなさい・・・
たのしいひと時がこれでまた一つ終わっていきました。残すところあと、23日です。
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(天候:晴・最大瞬間風速:14.9m/s・気温(最高:5.7℃ 最低:-2.6℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
今日は、46次隊が行なう最後のTV会議システムを利用した中継が、日本科学未来館と行なわれました。この日本科学未来館とは、2001年7月お台場にOPENした博物館で、宇宙飛行士の毛利衛さんが館長をされており、参加型の展示や実験工房により、ロボット工学や生命科学など最先端の科学技術に触れることのできる「場」であり、球状ディスプレイ「Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)」は必見らしく、「プラネタリウム」もこれまたすばらしい博物館だそうです。(一度遊びに行かれてはどうでしょうか?)
46次隊が中継してきたTV会議は50回近くになりますが、その最終回が日本を代表する博物館との中継となったわけです。いつものように日本側からの質問に関係する隊員が回答するというやり取りでした。最後に館長の毛利さんから観測隊員には道産子は多いのですか?など数問の質問が回答隊員にありました。一人の隊員はあの毛利さんと会話ができたと大変喜んでいたのも印象的でした。ちなみにこの隊員も北海道出身でした。
私はその横で一緒に会話に参加したかったのですが、いつものポジションで基地周辺を撮影するために外でビデオカメラを回していました。残念・・・これらの会話はPHSで中のスタッフと連絡をするのですが、そこから全て聞えてきた内容でした。私もぜひ、毛利さんとお話がしてみたかったなぁ~
このTV会議で、日本全国いろいろな場所で多くの子ども達に南極のリアルタイムの映像、そしてさまざまな質問を通じて南極のことを伝えられたと思いますが、まだまだ南極のほんの一部分しか伝えることができていません。もっともっとより多くのことをより多くの子ども達に伝えなければなりませんし、知ってもらわなければなりません。なぜなら、私たちの地球をこれから私達が守っていくための多くのことが、この南極には詰まっているからなのです。
(天候:晴・最大瞬間風速:10.3m/s・気温(最高:2.0℃ 最低:-4.2℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
47次隊の夏オペレーションが各現場で盛んに行なわれています。電離層棟ではアース施設工事が行なわれており、超耐食性接地体サンアースTB工法という何やら難しい工法で行なわれています。第1夏宿では、新しい外壁(ガルバニューム鋼板)を貼り付けています。
また、コンクリートプラントもフル稼働しており、伝統のように今年もプラント名は医療隊員の名前をもじって付けられていました。衛星受信棟の横にあった旧放送棟が予備食専用の保管庫として迷子沢に移設されます。見晴し岩にある金属タンク防油堤工事、燃料移送配管工事等多くの夏作業がしらせ乗員の支援を受け、2月上旬に夏隊が昭和基地を離れるまでの工期になっています。その工期までに完了させるために一生懸命に作業を行っているのです。
また、47次隊の同行者として環境省地球環境局から1名来ています。目的はというと、南極条約に基づく「昭和基地が周辺環境に与える影響について」の調査を行なうそうです。具体的に環境モニタリングとして土壌、生物、土地利用などの調査項目があり、環境省の3年間の調査プロジェクトだそうです。昨日は第1廃棄物保管庫前の土壌をサンプリングしていたということです。
どんどん施設規模も大きくなり、人員も増えてきており、非常に生活のしやすい環境になってきている昭和基地。また、建設や観測の効率性を上げるために重機や大型雪上車、スノーモービルといったものを持ち込んでいます。当然、燃料は油ですから動かすとどうしても不必要なものが排出されてしまいます。
しかし、このような動力がなければ今行なわれている同じような夏作業(施設の建設、補修など)は、夏期間という限られた中では絶対に不可能になってしまいますし、越冬期間中での観測や生活にも欠かせないものがたくさんあります。今後、南極観測事業で、そして昭和基地で何をどのように優先させるのかがキーポイントになるのではとも思います。
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(現在の昭和基地全景です) |
ですから私たちは、でき得る限りこの南極を汚さないように様々な努力と工夫をしながら生活しているのです。
(天候:晴、霧を伴う・最大瞬間風速:5.8m/s・気温(最高:1.9℃ 最低:-5.8℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
今日の14時過ぎに、お正月用に飾られていたお供え餅で「ぜんざい」が調理隊員によって作られたのです。いわゆる昭和基地版の「鏡開き」といったところです。お餅好きの私にとっては焼きたてのものを醤油とのりとでそのまま食べたかったのですが、「ぜんざい」として美味しくいただきました。
さて、明日はS17地点で行なわれている日独共同航空機観測のドイツ人スタッフ8名と飛行機(バスラー)のパイロットなど3名、合計11名が昭和基地を訪れ、昼食を一緒にすることになりました。3つのテーブルにゲストを配置し、その間に私たちが座って交流を図ろうということですが、見事?運よく?私もその席に座ることになりましたが、英語が・・・
でも何とかなるでしょう。単語を並べたり身振り手振りで何とかコミュニケーションはとれるかとは思います。こんな時に英語が話せたらとは思いましたが時すでに遅しです。明日のためにちょっとした歓迎用の飾りも通信隊員に作成してもらいました。
今日、明日と昭和基地は英語、ドイツ語が飛び交うインターナショナルな基地になることでしょう。楽しみにしています。
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(日本、ドイツ、カナダのペンギンの輪です) |
(天候:快晴・最大瞬間風速:7.4m/s・気温(最高:2.8℃ 最低:-4.1℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
午前8時過ぎに、S17地点で日独共同航空観測関係者であるドイツ(8名)、カナダ(3名)、両国あわせて11名がヘリコプター2便に分乗して昭和基地にやって来たのです。最初に訪れたのが5名でその中の一人は女性で、航空機の整備士として来ているそうで、私より確実に大きかったので180smはあったように見えました。この女性を46次隊の女性隊員が基地内を案内していましたが、数日前からドキドキしていたそうで、今日はそのドキドキも最高潮。笑顔もどことなく緊張していたように見えました。その後に男性6名が訪れたのですが、こちらの皆さんも身長の高いのにはビックリです。基地内の見学を簡単に行なった後に洗濯、シャワーをされていたようです。
その後、隊員とゲストの皆さんで昼食を取りましたが、何と今日のメニューは「うなぎ丼」。さすがにこれにはびっくりしていたようです。調理隊員が機転をきかせ急遽、ソーセージとザウアークラウトが一緒に出されており、ドイツの皆さんは昭和基地でザウアークラウトを食べることができるなんて不思議だと言っていた人もいたそうです。
私は英語が話せませんので、うまくコミュニケーションはとれませんでしたが、来ていただいた方々は5時間程度の昭和基地滞在でしたが充分に楽しまれて、そしてリラックスしていかれたのではと思います。
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(一緒にうなぎ丼を食べました) | |
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(最後は全員で) |
(天候:晴時々曇一時雪、霧を伴う・最大瞬間風速:6.1m/s・気温(最高:0.4℃ 最低:-7.9℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
22時過ぎに通信室にS17地点からの緊急通信が入りました。けが人が出たとのことで、しらせヘリコプターを要請し、けが人を昭和基地に運び込むとのことでした。けがの様子はというと、左手を造水機の分厚い蓋にはさめて、もしかしたら骨折の可能性もということでした。しらせからドクターがS17地点に行き現場で応急処置をしてから昭和基地に搬送してきました。
急遽、居住棟に患者としらせドクターが泊まる可能性が出てきたため、空き部屋を整理し、準備を整えたところにけがをしたドイツ人がしらせドクターと47次隊のドクターに付き添われてやってきました。そうしたら、何と昨日昭和基地を訪問したドイツ人パイロットで、昼食の時に私の向かい側に座った人だったのです。診断の結果は左手親指の爪のところを骨折していたそうです。本人は平然としており、痛そうな顔ではありませんでしたが、現場で痛み止めを飲んできたようなことを言っていましたので痛そうな顔をしていなかったのでしょうか。私も中指の先端を骨折していますが、指先でかなり痛かったので彼も相当な痛みをともなったものと思います。いずれにしろ、想像していた最悪の状態よりかなり程度がよかったので一安心です。
しかし、本人はパイロットですから親指を負傷していると操縦するのに支障が出るのではと思いますし、本人も自分のけがのせいでフライトが中止なるのではと心配そうにしていたそうです。いずれにしてもけがには要注意ですね!!
(天候:晴時々曇一時雪、霧を伴う・最大瞬間風速:8.0m/s・気温(最高:0.6℃ 最低:-5.7℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
昨日から持帰り物資空輸が始まりました。13日はまず、Aへリポート近くに集積されているドラム缶からのスタートです。このドラム缶には鉄くず、複合物、アルミ缶、スチール缶、廃油、焼却灰などこの1年間の越冬生活の中ででた廃棄物が入っています。
一つのパレットに、重さが300~400kg程度になるように重さを調整した3本のドラム缶をユニック車とクローラークレーンそれぞれで吊り上げ、トラックに2~3パレット積み込み、ヘリコプターが来たら直ぐ積み込めるようにAへリポート横に順番に並べていきます。その並べられたものを通称「フォーク」小型リフト車でしらせ乗員が手際よくヘリコプターに積み込んでいくのです。この積み込みが非常に手際よく感心するくらいのスピードで進んでいきました。
その後、残りのヘリコプターの便数とパレットの数を考えたら、少しパレットの方が余りそうでしたので、3本積みから4本積みに急遽積みなおし、積込み個数を減らして対応したのでした。その変更の努力が実ってか、無事にパレット積みのドラム缶、約300本の輸送が全て終了。
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(ドラム缶をパレットに4本積みに急遽変更) |
今日は、スチールコンテナ(この中身は主に鉄くずが入っています)を輸送しましたが、この日のためにAヘリポートの脇に一つの重量が300~400kgのスチールコンテナを2段積みにして集積していたものを、大型クレーン車を使い順序良くトラックに乗せてヘリポートに運び、昨日と同じ要領でヘリコプターに手際よく積み込まれていきましたが、予想ではもう1日かかるかどうかの数でしたが、多くの皆さんの協力によりどうにか廃棄物全ての持帰りが終わりました。総重量は約200トン。これは46次隊の行動実施計画の一つである昭和基地周辺のクリーンアップ4ヵ年計画の初年度でその中で持帰り重量が200トンとなっていたために何としてでも初年度の目標をクリアーしようと環境保全担当隊員を中心としてこの1年間をかけて持ち帰る様に準備をし、そして今日、無事にしらせに積み込んだのです。真冬の厳しい寒さの中での使用済み雪上車の掘り起こし。ブリザードであと一歩まで掘り込んでいたものが、すっかり埋まってしまったこともありました。
また、チルホールを使い、隊員の力によってアンテナ島にかなりの年数、残されていた使用済み雪上車も全て運び出し、迷子沢に集積し、その一部を持ち帰りやすいように解体をし、氷上輸送でしらせに持っていくことが出来ました。
このクリーンアップ4ヵ年計画の終了する頃には見違えるような昭和基地周辺になっていることでしょう。
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(チルホールでようやく動かしました(2005年5月29日撮影)) |
(天候:雪・最大瞬間風速:28.8m/s・気温(最高:0.4℃ 最低:-1.9℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
今日は久しぶりに低気圧の影響を受け、早朝から風が強くなり15m/sを越え始め、回復の見込みが本日は無いことから空輸も早々と中止になりました。18時25分には28.8m/sを記録するほど。気象予報ではピークは明日16日、17日まで強風が続くだろうとのことでした。
昨日のミーティングの時点で、強風の場合は休日日課とすることが決定されていましたので、少しゆっくりとした1日となったのです。この空輸が始まってからの最近は慌ただしい日々が続いていましたので、気持ち的にも身体的にもリラックスができたのでは?でも、持帰り物資の整理は各所で行なわれていました。
また、47次隊の外作業も強風により中止となり、ちょっぴりホッとしていることでしょうが、この強風がもう少し続きそうで、明日以降も作業中止となると、日程が後半詰まってくることが予想されますので、担当者はやきもきしているかもしれません。でも疲れがたまってきてピークを迎えているでしょうから疲れを取って気を取り直しまた作業を続けてほしいものです。
また、怪我により昭和基地で治療をしていたドイツ人パイロットがS17地点に帰ることが出来ずに残留です。早く帰りたい気持ちはあるのでしょうが、この強風ではどうにもすることが出来ませんので、本人もあきらめているでしょうね。
また、この荒天で今後の持帰り空輸の日程がずれ込みそうです。最初の計画であった17~19日で終了し、20日は休日日課として47次隊とのソフトボール対決をと思っていましたが、なんとも微妙なことになりそうです。今までの伝統?で越冬隊が負けたことのなかったソフトボールですがもし、試合が出来なかったら伝統は継続するわけですから、そのほうがよかったりして・・・いずれにしても天候次第で今後の日程が左右されるのです。
突然、20時すぎに、火災警報の音が鳴り響きました。瞬間的にこの強風だと火が出るような場合の火災だと大変なことになるのではと、頭の中をよぎりました。すぐさま通信室に行き情報収集をしたところ、発報場所はAへリポート横の待機所となっていましたのでまず、そこに電話をしたところ、話し中でつながりません。やはり誤報ではなく、出火しているのだろうかと思っているところに待機所からの電話があり、ストーブの空焚きによる煙で煙探知機が作動したとのことで、ホッと胸をなで下ろしました。その直後に現場指揮担当者が待機所に到着し、確認したことも報告があり一安心です。一斉に飛び出していった皆さん御苦労様でした。でも、後から考えると遠方の対応場所のため防火区画Cで待機では・・・???
(天候:雪後一時曇・最大瞬間風速:32.0m/s・気温(最高:1.0℃ 最低:-0.8℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
昨日から続いている強風は今日1日中吹き荒れ、一時は雪も混じり視程もかなり悪くなり、ちょっとしたブリザード状態でした。このため朝からヘリコプターは飛ばず、野外観測に出ている人は今日も昭和基地に帰ってくることができませんでした。また、怪我で治療のため宿泊しているドイツ人パイロットもS17地点に帰ることができずに今日も宿泊。本人はこの天候ではしょうがないとあきらめ顔。この強風のため連泊したおかげで、ドイツ人パイロットと隊員がずいぶん親しくなり、私は骨折仲間として楽しく会話?することが出来ています。けがの功名ではありませんが、最初は施設訪問で来て再びけがの治療で訪れそして強風で足止め。こんなことは全く予想してなかった出来事でしょう。南極では何が起こるかはわからないところですね。でも国際友好にはうってつけの場所なのです。
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(骨折仲間になりました) |
さて、持帰り空輸もこの強風で延期、その準備作業として各観測棟にある荷物の集積作業も中止。しかし、外作業はできませんでしたが、管理棟内にある持帰り物資の集積が行なわれました。通信、装備、機械などそれぞれの部門がそれぞれの搬出し易い出口付近に集積。
それぞれの場所に高く積み上げられ搬出準備が整いつつあります。また、私物も梱包準備が出来た隊員から順次、集積場所となった通路棟にしらせの船倉行き、船室行き、梱包したダンボールの大きさなどで振り分けてこれも高く積み上げられてきました。まだまだ半分以上の隊員が出していないようですが、それぞれ時間をみつけて一生懸命に準備しています。ちなみに私はほぼ完了です。
昭和基地は完全に帰国モード一色です。
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(通路棟に私物を集積する隊員の顔は帰国モードの笑顔です) |
(天候:雪後一時曇・最大瞬間風速:32.0m/s・気温(最高:1.0℃ 最低:-0.8℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
一昨日からの強風がようやく治まってヘリコプターが飛べるようになり、ドイツ人パイロットがS17地点へと帰ることができました。結局13日の夜に怪我で急遽、昭和基地へ来て結局、4泊5日の長期滞在?になってしまいましたが、いろいろお互いにプラスになったことが多かった実りある4泊5日の滞在だと思います。でもちょっと、残念だったのが、けがによってアルコール制限がかかっており、お酒を飲んでさらなる交流はできませんでしたが、昭和基地からのささやかなプレゼントとして現在、昭和基地にいる隊員全てのサインを入れたカードを贈り、本人はとても喜んでいたのでした。
また、この強風によって野外で観測をしていた地学部門、宙空部門それぞれの隊員も予定より2日遅れの昭和基地帰りとなったのですが、予定では2日ほど前に帰ってきて私物の梱包をしてしまおうと考えていたようでしたが、今日は徹夜で梱包作業をしなければと嘆いていました。その中の一人は今日帰ってきて、なんと明日また直ぐ野外に出なければならないハードスケジュールに・・・。南極の自然にはほとほとお手上げといったところでしょうか。
そんな中、持帰り空輸が本格的に明日からスタートしますので、その準備の集積作業に追われた1日となったのです。2チームに別れ一つは第2夏宿横に既に集積してあったヘリウムカードルをヘリポートに移動し、明日、ヘリコプターに積込む準備をするチームとそれぞれの箇所に集積されている一般物資をヘリポート周辺に集積し、パレットにヘリコプターに積込める範囲内で荷造りをし、最後はラッピングをして荷崩れが起きないように仕上げる作業を行いました。夕方にはほぼ全ての荷繰りが出来上がり明日以降の空輸に備える体制が出来たのです。荷物は残すところ公用氷、私物となりこの空輸が終了となります。
いよいよ気持ち的にシドニーモードに移り変わっている隊員がかなりいるのでは?・・・
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(第2夏宿横に集積されたヘリウムカードル) | (Aヘリポートに集積しています) |
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(Aヘリポートに集積されラッピングで固定します) |
(天候:雪後一時曇・最大瞬間風速:10.1m/s・気温(最高:2.6℃ 最低:-1.8℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
今日からヘリコプターによる持帰り物資の空輸がスタートしました。昨日あらかじめAヘリポート付近に集積しておいたヘリウムカードル、スチールコンテナ、単管ボンベが輸送されたのです。午前8時から始まった空輸は午前中、2便増加して13便、午後からは5便増加して25便。合計38便の空輸となったのです。準備されていた物資がヘリコプターで空輸されていったのです。
明日は、私が担当して隊員の皆さんに協力してもらい中ダンボール150箱(1個25kg)、小ダンボール208個(1個13kg)を何とか採取することができた公用氷を持帰るのです。
11月上旬に発電棟冷凍庫に保管したときは雪がまだ多く積もっており、外側の入口にソリを横付けしてそのまま搬入できたのが、今は完全に雪が解けてしまい高床式で高さが約2m近ある冷凍庫になっていますので、運び出しに方法に多少戸惑いました。
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(ほぼ満杯の冷凍庫から運び出します) | (公用氷のマーキングです) |
しかしそこでひとひねり、クレーン付の荷台の高いトラックを冷凍庫入口に付けても、まだ段差が70~80cm。そこでこの段差を利用して通称「ソロバン」を備えつけ、冷凍庫から一気に送り出します。またユニック車両3台一度に並べ、再びソロバンを延長して設置しベルトコンベアー状態を作り出し、150個をできるだけ腰に負担をかけないで積込む作戦を行なおうと密かに頭の中でシミュレーションをしたのでした。われながら完璧と思っていても本番当日は何か抜けていることが多い私ですから、できるだけその様なことがないように再度、これからシミュレーションをしようと思っています。越冬庶務が中心になるオペレーションはめったにというかほんの数回しかないので、できるだけスムーズに行くようにとも思っています。それと安全第1で行ないたいと思います。
(天候:晴・最大瞬間風速:10.8m/s・気温(最高:-0.7℃ 最低:-4.0℃)(日出:出たきり、日入:沈まない))
公用氷の搬出作業が午前11時よりスタートしました。昨日のシミュレーションどおりユニック車3台を並べ、通称「ソロバン」を使って冷凍庫からの搬出。微調整をしながらもスムーズに積込まれていきます。予想通り?に3台のユニック車に150個の中ダンボールの公用氷がきれいに並べられ、まずはヘリポートに集積です。ここで再びパレットを敷いたトラックに氷を1つのパレットの重量が500kg(20個分)になるように移し変えます。この後にミニフォークでパレットごと降ろしAヘリポートに集積されていきます。
次に208個の小ダンボール分の公用氷です。無事にこれも3台のユニック車に積み込まれ、ヘリポートに集積されました。午前11時から始めた集積作業は13時のヘリコプターの到着までの2時間の間にほぼ準備を完了しなければならないプレッシャーとも戦い?ながら、他の隊員の協力を得て終了することができました。事故無く安全に作業が終了したことをうれしく思います。
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(ソロバンを使い公用氷を冷凍庫から運び出します) |
その作業が終了した後、今度は私物の搬出、集積作業です。通路棟に山積みされていた私物をこれもまた「ソロバン」を使い順序良く運び出されていきます。この作業も無事に18時過ぎには終了しました。これで一部の荷物を除き殆どの持帰る物資(公用品、私物)がしらせへと積込まれたのです。
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(今度は通路棟から私物を運び出します) |
これでほとんどど帰る準備が整った46次隊。そして47次隊へのスムーズな越冬交代を残すのみとなった昭和基地です。
また、今日は46次隊が行なう最後のTV会議が行なわれました。今回は47次隊夏隊庶務の地元の福井県の小学校とつないで行なわれてのですが、47次隊への引継を兼ねていましたので全てのポジションには46、47次両隊員がついて行なわれたのです。私は外部カメラマントして47次越冬庶務の隊員にカメラセット、カメラワークなどを引き継ぎました。事前のテストでほぼ説明は終わっていましたので、本番は47次隊員に行ってもらいましたが、なかなかうまくカメラを回していたように思います。これなら大丈夫!!
このTV会議は接続テストを含めると50回近く行なわれましたが、(その内2回は稚内市と中継)多くの皆さんに南極昭和基地のリアルタイムの映像を届けることが出来ました。また、南極に関しての多くの疑問にも答え、理解をしてもらったと思います。今後、このTV会議がきっかけとなり南極観測隊員として昭和基地へ来ていただき、南極の素晴らしさを体感してもらえればと思います。スタッフの皆さん本当にお疲れ様でした。
(天候:曇・最大瞬間風速:9.9m/s・気温(最高:1.7℃ 最低:-3.7℃)(日出:0:45、日入:0:05))
今日の午前中に、昨日Aヘリポートに集積した私物がヘリコプターで運ばれていき、これで持ち帰りの空輸はほぼ終了となり、残すは2月1日以降に持帰る分の荷物のみとなりました。通路棟を中心としていろいろなところに置かれていたダンボールが綺麗になくなり、何事もなかったかのようにサッパリした管理棟内になりました。
これからは居住棟、管理棟の清掃が始まります。定期的に全体清掃を行うなど、掃除はしているのですが、特に管理棟の通路は47次隊、しらせ乗員と管理棟を利用する人数が飛躍的に多くなりましたので、汚れも倍増します。特に長靴についている泥汚れはきれいに落ちきらずに多くの人が利用していますので、かなり汚れています。あまり早い時期に清掃を行なうとまた汚れてしまいますので、タイミングを計っているところです。この清掃が終了し、綺麗な管理棟にして47次隊に引き継ぐのです。
午前中に空輸が終了しましたので、午後からは休日日課とし、47次隊との恒例の親睦ソフトボールがCへリポートで開催されました。このソフトボール、言い伝えによりますと、越冬隊が今までで次隊に負けたことがないらしいのです。そこで私達46次隊がこの歴史を変えるわけにもいきませんので、スターティングメンバーは選りすぐりの隊員で臨みました。その反面、47次隊はレクリエーション気分で、約50名近くでの登場です。チームを4つ作ってもまだ余りが出るくらいの人数でした。
両越冬隊長の握手で試合は始まり、先行は47次隊。こちらの先発ピッチャーはエース(通信隊員)で迎え撃ちます。やはり試合に臨む気構えが違うために最初から全力投球。
これには47次隊もビックリ。あっという間の三者凡退。その裏の攻撃は怒涛のつるべ打ちが始まり、気がつくと打順が3順目に。結局15点。ここで勝負ありでした。2回はすでにエースが降板してリリーフが登場する余裕も。47次隊はようやく1点を返しましたが、その裏またまたつるべ打ち。7点をもぎ取り。ここで22対1。ここで完全に46次隊は親睦ムードに。結局5回で終了する予定が、47次隊側よりの依頼で全員が打ち終わるまで何とか続けてほしいとと泣き?が入り最後は、47次隊全員が打ち終わるまで46次隊が守りっぱなしという変則ソフトボールに変わりました。最終的には32対5で何とか越冬隊としての面目をたもつことができ、歴史を変えることなく無事に終了しました。最後は全員でスコアーボードを中心に写真を撮りましたが、来年は47次越冬隊に勝利を託してソフトボールが終了したのでした。
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(バットにボールがあったっていません) | (鋭いスイングですが、ボールは何処へ?) |
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(最後は全員で) | (試合結果です) |
(天候:薄曇・最大瞬間風速:11.5m/s・気温(最高:1.3℃ 最低:-4.3℃)(日出:1:01、日入:23:49))
昭和基地には二つの水槽があり、一つは130kl造水槽(冬期間は雪を入れて造水する)と100kl貯水槽(130kl水槽で造水された水を貯水する)です。100kl水槽に溜められた水はゴミ、塩分等が含まれていますので、脱塩装置により飲料水に適した水を作っているのです。
この100kl貯水槽内に溜まったゴミを毎年1度、越冬交代前に全体作業できれいに落とすのです。
清掃作業に集まった隊員は17~8名と47次隊から引継ぎを兼ねて3~4名が参加。続々と100kl貯水槽内に参加した隊員が入っていきます。数日前からこの清掃のために水を抜いていたそうで、中に入るとメガネがくもるほどの暖かさです。これは脱塩装置の機能を満たすために水温を25~30℃に保たれるようになっているため、その水温の暖かさが充満しています。水槽の壁一面には1年間の汚れが見事についており茶色一色。それをデッキブラシでこするとドロが見事に落ちていき、水色のシートに戻っていきます。見る見るうちに水槽内がきれいになっていきます。汚れた水は排水ポンプ3台を使って外へ排出。最後の仕上げは雑巾で床をきれいに拭いて仕上げ完了。約1時間で清掃が終了しました。
ここ昭和基地で生活するために欠かせない水。でもいくらでも使い放題というわけではありません。脱塩装置の製造能力は1日9トン。短時間に多量の水を消費すると場合によっては水の使用禁止になることもあります。このために毎日の生活の中では当たり前のように節水に努めていますし、この越冬生活中に水の使用禁止は、皆さんの節水の努力によって出されることはありませんでした。また、水の維持管理をしてくれた担当隊員に感謝をすると同時に帰国してからも引き続き節水に努めたいと思っています。
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(壁の汚れを落としています) | (次は床面の汚れを落とします) |
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(最後は綺麗に拭き取ります) | (清掃が終了して脱出です) |
(天候:晴・最大瞬間風速:6.9m/s・気温(最高:1.2℃ 最低:-6.1℃)(日出:1:18、日入:23:37))
今日は、昭和基地での最後の休日日課。隊員のみなさんはそれぞれ残っている業務をしたり、部屋の片づけを行なったりはしていましたが、ほぼ持帰り用の荷物の空輸が終わったことで久しぶりにゆっくりとした気分で過ごしたと思います。
また、8時過ぎに、20日余りの野外観測から戻ってきた隊員もありで、しばらくぶりにドーム隊を除く全員30名が顔を揃えた日にもなったのです。
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(久しぶりに30名でのミーティングです) |
最近の昭和基地内は業務の引継ぎと生活係の引継ぎが各所で行なわれ、管理棟の中は47次隊の皆さんが必ず毎日数名はきており、賑やかになっています。また、BAR開催日(火、木、土)の21時からはしらせ乗員の皆さんが大勢来て本当に賑やかな管理棟となっています。
そんな中、越冬庶務の引継ぎも今日から始めました。引継ぎ資料に基づき、まず2月の越冬交代前後から説明を開始。資料とその時に撮影した写真を見ながら説明をしました。ちょうど1年前のことですが昨日のことのように思い出され、そのときは「さあ、これからだ、頑張るぞ」と・・・。そしてあっという間に1年が経過。今は引継ぎを受ける方から引き継ぐ方になっているのです。昭和基地での生活は残すところ9日となりました。
(天候:晴・最大瞬間風速:6.6m/s・気温(最高:-1.4℃ 最低:-7.3℃)(日出:1:31、日入:23:27))
今日はS17地点で行なわれている日独共同航空機観測に参加しているドイツ人クルー5名が再び昭和基地を訪れました。2度目の昭和基地ですので、お互いに顔見知りになりましたので、軽く「ハア~イ」なんて挨拶も。その中には、指をけがしたパイロットも治療をかねて来ており(3度目)、数日間一緒に過ごした仲ですし、骨折仲間でもありますので、友達感覚で片言の単語で会話?も・・・。けがの方は日を追うごとによくなっているそうで、指についていたギブスもかなりコンパクトにもなっていました。私もギブスを外し指の先端部分をガーゼと絆創膏で保護しているだけになり、固まりつつある指の間接のリハビリを始めたのです。お互いに指を見せ合って「OK!」。
たまっていた洗濯やシャワーでサッパリした後に合同で昼食です。前回は「うなぎ丼」で純和風でしたが、偶然にも今度も「カツ丼」と丼物でした。器用に箸を使いながら美味しそうに食べていましたが、漬物は意外と苦手らしく、残していた人が多かったようです。
ほとんどの人が日本食は問題ない、とても美味しいとのことでした。
南極は国境がありません。このように外国基地のゲストが気軽に立ち寄ることが出来ます。昨年は中国隊がヘリコプターで訪れていました。
この南極では、このような交流が何の支障も無く自由に行なわれるのです。
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(夕方に昭和基地上空に来たPolar2:日独共同航空機観測で使用しています) (ちなみに指に怪我をしたパイロットが操縦していました) |
(天候:快晴・最大瞬間風速:14.4m/s・気温(最高:-0.2℃ 最低:-7.9℃)(日出:1:41、日入:23:18))
今日は、130kl水槽の清掃が行なわれました。1年間、私たちの生活の中で最も大切な一つでもある「水」を溜めてきたこの水槽。思い起こすと、毎日この水槽に雪入れをしたことが今では懐かしい思い出となっています。自分の使う水は自分で作ろうということで、みんながコツコツと雪を入れましたが、1時間汗だくになりながら行なってもほんのわずか、水槽のメモリが1つ増えるか増えないかでした。最初の頃は水槽の周りに雪がそれほどありませんでしたので、プラスチック製のソリに積込んでは入れ、積んでは入れを繰り返しながら運びました。その内に水槽の周りに雪がつき始め、容易に雪入れが行なえるようになり、特に発電棟側にはブリザードが来るたびに建物が全て覆われるくらいのドリフトがついて、それを全員作業で水槽に落ちそうになりながらも雪入れをしたことを思い出します。そんな思い出深いこの水槽。1年間の汚れを取りきれいな水槽として47次隊に引き継ぐのです。
この清掃のために数日前から水抜きをしており、1年間で溜まった砂が水槽の底一面になって現れていました。その砂やシートについた汚れをブラシで落としていき、最後は雑巾でふき取りきれいに仕上げをおこない、見事に茶色で覆われていた水槽がブルー一色になったのです。これでまた一つ引き継ぎ作業が終了しました。
南極生活も残すところあと、1週間です。
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(かなりの汚れです) | (デッキブラシで綺麗に汚れを落とします) |
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(ぞうきんで拭き取っています) | (見違えるように綺麗になりました) |
(天候:快晴・最大瞬間風速:18.9m/s・気温(最高:0.6℃ 最低:-6.7℃)(日出:1:51、日入:23:10))
今日は最後の全体清掃。倉庫棟、通路棟が対象となり約2時間かけての清掃を行ないました。これで全体作業での大きな清掃はこれが最後。これできれいになった昭和基地を気持ちよく47次隊へと引き継ぐことができます。
また、47次隊はクリーンアップ作戦のPart2が行なわれ、水汲み沢周辺の清掃も行なわれていました。昭和基地内外での清掃作業DAYとなったのです。
昨年、私たちも同じところを清掃し、かなりのゴミを取ってきれいにしていますので、それほど目立ったゴミは昨年よりは少なかったと思いますが、それでも多くのゴミを集めることが出来たそうで何よりです。
明日は、これまた最後になる各部会が開催され、1月の活動報告が行なわれることになっています。
昭和での生活はあと、6日間となりました。
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(通路棟の壁、天井も綺麗にします) | (倉庫棟も綺麗にします) |
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(足にこんなものを固定して行う隊員も) |
(天候:快晴・最大瞬間風速:7.9m/s・気温(最高:1.2℃ 最低:-6.6℃)(日出:1:59、日入:23:02))
今日は最後の部会が開催され、1月の活動報告が中心の部会となりました。観測部会は、1月の活動報告、2月の活動計画は2月1日以降にも引継ぎを兼ねての観測もあり、また帰路のしらせ船上で行なわれる観測もあります。
一方、設営部会は主に1月の活動報告を中心にそれぞれの部門から報告がありました。設営部門は、2月1日の越冬交代をもって昭和基地施設の管理運営が全て47次隊と交代するため、ほとんどの設営部門隊員はしらせに移動します。そのため、2月の活動はありませんので、しらせ内での観測隊報告書の作成に専念するのです。
また、生活部会でも1月の活動報告と引継ぎ業務を中心に報告がありました。それぞれの係が業務の時間を調整しながら、越冬生活を楽しくするためにいろいろな企画などを出して活動を続けてきましたが、生活係の活動が各隊員の本業の繁忙期に重なるときなどは大変なときもあったでしょう。でも何とか頑張り続けてきました。活動をしてきた皆さん、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。
(天候:快晴・最大瞬間風速:15.7m/s・気温(最高:4.7℃ 最低:-2.9℃)(日出:2:07、日入:22:55))
今日は47次隊が主催する私達、46次越冬隊に対しての「感謝会」が総勢約80名の参加で管理棟食堂で盛大に行なわれました。
まず46次隊、越冬隊長から順に食堂に入場、一人が入場するたびに盛大な拍手での歓迎で、最後は私で、一際、大きな歓声?で30名全員が入場をしました。
まず47次観測隊長より、1年間の越冬の労をねぎらう挨拶を頂き、続いて46越越冬隊長から感謝会を開催していただいたお礼と、越冬生活を振り返っての挨拶がされました。その後に47次越冬隊長の乾杯で祝宴が始まりました。今日のオードブルは、47次隊の調理隊員が私たちのためにと、腕によりをかけてたくさんの料理を作っていただき、とてもおいしくいただきました。
また祝宴の中で、私達46次隊の越冬を振り返っての感想や47次隊へのアドバイスなどをそれぞれの部門のチーフから話をしてほしいとの要請があり、皆さんそれぞれの思い出やアドバイスがありました。最後に越冬庶務として私から「あっという間に時間は過ぎていきます。24時間を大切に使って越冬生活を楽しんで下さい。」と少し先輩ぶったアドバイスをさせて頂きました。
最後は47次隊の総務担当の三本締めで「感謝会」を終了したのでした。47次隊の皆さん、ありがとうございました。
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(46、47次隊が勢揃いです) | (47次観測隊長の挨拶です) |
さて、ドームふじ基地も明日には出発するそうです。目標であった3,000mの掘削に成功し、最終的には3,028.52mまで達し、無事コアも回収できたそうです。こちらも24時間3交代で掘削を行なってきた作業もこれでようやく終了です。後はこのコアの分析結果が楽しみです。いずれにしてもほんとうに本当にお疲れ様でした。
無事に帰ってきてしらせ船上での再会を楽しみにしています。
(天候:快晴・最大瞬間風速:15.5m/s・気温(最高:6.2℃ 最低:-2.8℃)(日出:2:15、日入:22:48))
47次隊へ昭和基地を引継ぐために基地内外で清掃が進められています。今日は、基地周辺の清掃が行なわれたのです。雪解けで現れてきたものや、一部雪に埋もれているものはスコップ、つるはしなどを使いながら集めました。最終的にはスチールコンテナ6個ほど集めることが出来ました。
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(こんなものも雪の下から出てきました) | (ドラム缶を小さく小さくしています) |
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(こんなにたくさん集められました。それにしても青空がきれいです。) |
また、居住棟内も一斉に清掃が行なわれて、各部屋はもちろんのこと書庫、通路の壁、物入、機械室、ロッカー室、靴箱と全ての箇所を清掃し、これで無事引き渡しが出来る状態となったのです。
そして、今日は昭和基地での最後のオペレーション会議が開催され、各部会の報告、越冬交代前後の日程、しらせに乗船してからの生活などについて話され、30日開催される最後の全体会議での議題精査が行なわれたのです。これで会議関係も全体会議を残すのみとなりました。
さてドーム隊は、航空隊と雪上車隊とに別れて基地を離れます。航空隊は迎えの飛行機がドームふじ基地まで飛んできて、それに乗り込み、ロシアのノボラザレフスカヤ基地へ19時25分に無事到着したそうです。その後はケープタウン経由で帰国となります。
また、雪上車で降りてくる旅行隊は基地の閉鎖作業を行い、明日の朝出発することになりました。昭和基地へは2月11日頃到着予定となっています。
ちなみにドームふじ基地の本日の気温は-38.8℃、気圧604hPaとなっていました。
無事に昭和基地に着くことを祈っています。
(天候:晴・最大瞬間風速:18.3m/s・気温(最高:2.9℃ 最低:-2.6℃)(日出:2:22、日入:22:42))
今日は最後の消火訓練が行われました。今までとは少し違ったのはギャラリーがいたことです。47次隊への引継ぎをかねて行うことが以前よりアナウンスされていましたので、発報現場には多くの47次隊の皆さんが待ち構えていたそうです。私がいる本部にも47次隊の本部構成員がしっかり後方に陣取って様子を見ていました。正直、ちょっと訓練のための訓練となりつつあり、緊張感が薄れてきた頃でしたので再度、気を引き締めての訓練であったと思います。
ちょうど1年前、私たちが45次隊の訓練の様子を見ていました。その時は迅速に訓練が行われているんだとも思いましたが、さて今年は47次隊にとってどのように映ったことでしょうか。
過去には建物が全焼した事例もありますが、私達46次隊の越冬中に、火災が発生しなかったことが何よりでした。もし不幸にも火災が発生した時に、この消火訓練の成果がどれだけ出せたかはなんともいえないのですが、少なくとも最小限の被害に食い止めるような訓練をしてきたとも思っています。備えあれば憂い無し。普段からの訓練はもとより、火事を絶対出さないんだという気構えがもっとも重要だと言うことも改めて実感しています。
さて、過去の隊のほとんどが記念プレートを越冬記念として作成しているようですが、私たちもその記念プレートの作成に木工係が中心となりコツコツと進めてきており、ようやく全員の名前がプレートに刻み込まれたのです。
木製の盤に焼きごてで木製プレートに下書きしてある一人ひとりの名前の上から焼きこむのですが強弱が難しく、太くなった名前、曲がった名前、細すぎる名前、様々な名前が焼きこまれました。これもまた46次隊らしくていいでしょう。木工係の皆さん、お疲れ様でした。
昭和基地での生活はいよいよ残すところ2日となりました。
(天候:晴・最大瞬間風速:8.7m/s・気温(最高:0.3℃ 最低:-5.8℃)(日出:2:29、日入:22:35))
今日は昭和基地で最後の全体会議が開催されました。いつものように観測、設営、生活各主任より報告がありましたが、 特に設営主任より1年間の節水、節電に対する協力のお礼がありました。
この昭和基地の生活は管理棟内ではほとんど日本と変わりのない環境です。例えば、室温は外がマイナス30℃近く下がっても、管理棟内は発電機の廃熱を利用した温水暖房で常に適温になっており、居住棟、倉庫棟、汚水処理棟等の基地主要部はこの温水暖房で暖められていますので、軽装で過ごすことも可能なくらいな快適な暖かさになっています。
これらの心臓部となっているのが発電機で、2台(300kVA)の交互運転を行い昭和基地全体の電気をまかなっています。この発電機が2台とも故障してしまうと非常用発電機(200kVAが2基)にたよらざるを得なく、管理棟から夏期隊員宿舎に生活の基盤を移し非常に縮小した生活になってしまいますし、ごく限られた地域にしか給電しかできなくなります。越冬中にこのような状態になってしまうと観測どころではなく、かなり縮小した生活をしなければならなくなってしまいます。電気は生活の上ではなくてはならないものですし、観測自体にかなりの影響も出てしまうので、常に節電を心がけてきたわけです。
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(発電機の保守点検をする機械隊員) | (発電機本体です) |
また、「水」もまた非常に貴重で生活する上ではなくてはならないものです。昭和基地では夏期間は荒金ダムの雪解け水を脱塩装置で飲料水にしています。雪はたくさんあるのですが、冬期間はこの荒金ダムが凍結してしまいますので、水槽に隊員が手入れで水を造り、自分たちの水は自分たちで作ることを実践してきたのです。
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(夏の荒金ダムです) | (夏宿用の第1ダムです) |
このように「電気」「水」についてこの越冬期間中に特に大きな問題、支障が発生しませんでした。これは担当隊員の毎日の並々ならぬ努力のお陰と感謝していますし、越冬期間中、皆さんの「節電」「節水」の心がけが良かったものと思います。
この他の議題としては、2月1日当日のタイムスケジュール、特に越冬交代式の内容、そしてしらせ船上での生活、シドニーでの注意事項、帰国後、しらせが着岸する4月13日前後のスケジュールが主な議題となった越冬最後のそして昭和基地最後の全体会議となったのでした。
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(46次隊全員の名前焼き込まれた記念プレート) |
(天候:晴後一時曇・最大瞬間風速:6.8m/s・気温(最高:0.3℃ 最低:-5.8℃)(日出:2:36、日入:22:29))
2004年4月、当時の総務部長の「南極に行ってみないか」という晴天の霹靂で始まった私の南極観測隊員としての第1歩。その後、7月1日、東京板橋区の極地研究所内に隊員事務室が開設され、さまざまな出発準備作業が始まり、11月28日、満を持して昭和基地へ向けて成田空港を出発。12月3日、私たちを乗せたしらせがオーストラリア、フリーマントル出航、そして12月18日、南極昭和基地に到着。到着早々の雪上車による深夜の氷上輸送、2005年1月1日、南極で迎える1回目の正月、2月1日、45次隊との越冬交代でいよいよ昭和基地管理棟での生活がスタート、2月20日の越冬成立、6月、約50日太陽が昇らない極夜、その極夜をお祝いする6月21日のミッドウインター祭、マイナス36.4℃の経験、瞬間最大風速48.2m/sのすさまじいブリザードとの遭遇、沿岸地域での野外観測の支援、11月太陽が沈まない50日間の「白夜」、12月18日、47次隊が昭和基地へ、2006年1月1日、昭和で迎える2度目の正月、そして1月31日、昭和基地最後の日となったのです。
過ぎてみるとあっという間の越冬期間ではありましたが、本当に楽しくそして充実した生活を送ることが出来ました。これも全て素晴らしい仲間の皆さんのおかげと感謝しています。
本当にありがとうございました。
昭和基地で過ごした約400日余りで見たり、聞いたり、触ったり、感じたりした全てのことを多くの子ども達に伝えていくことが私のこれからの仕事になるでしょう。そしてその中から将来、南極観測隊員として昭和基地を訪れ、その経験を次の世代の子ども達へと伝えて行ってほしいものです。この世代間の橋渡しの役目を担っていくのも、南極観測隊員としての責任ではないでしょうか。
南極大陸は国境がありません。私達人類の共通の財産として世界各国の基地が地球環境を守ろうとして南極で観測を続けています。私達人類は便利で不自由のない生活を手に入れることができましたが、その反面、地球をどれほど汚してきたことでしょうか。私達人類はこの地球上で一番最後に登場した生物にもかかわらず、人類だけの地球とどこかで錯覚を起こしてきたのも事実で、この地球が人類のみならず、全ての生物の共有財産である認識を再度持たなくてはならないのです。そして、この地球を守るために世界各国の人がこれまで以上に協力しあう努力をこれからますますしていかなければなりません。
今後、地球環境を守るためにさらに重要になってくる南極観測事業。ほんのわずかにかかわった者として、今後、もっともっと南極に目を向けて応援してほしいと切実に思うのです。
最後に、横田稚内市長や稚内市役所の皆様、知人友人の皆様、そして家族と多くの皆さんにこの間のご支援、激励などを頂き本当に感謝しております。
また、つたない文章ではありましたがこの記事を読んで頂いた皆様、本当にありがとうございました。自分なりに南極の素晴らしさをほんの少し皆様に伝えることが出来たのではと思っています。改めてこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
以上をもちまして私の「越冬日誌」を終了させていただきます。
ありがとうございました。
第46次日本南極地域観測隊
越冬庶務 近江 幸秀
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(昭和基地周辺ではこんな素晴らしいオーロラが出るのです) | |
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(2月1日、越冬交代式で46、47両越冬隊) | (2月1日、上空より見た最後の昭和基地) |
近江隊員の南極滞在記は、これをもちまして終了いたします。
ご愛読いただきありがとうございました。
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