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第46次南極地域観測隊 近江隊員の南極滞在記(2005年2月分)

2月1日(火)

(天候:曇りのち雪・最大風速:15.5m/s・気温:最高:0.2℃ 最低:-3.3℃)

 今日は、越冬交代式が午前9時より19広場で粛々と執り行われました。恒例により45次隊の進行でスタート!
 45次山岸越冬隊長の一年間の越冬生活を振り返っての感想と、46次隊への激励の挨拶をいただきました。やはり1年間越冬を経験したものだけがわかる実体験を基にした貴重なご挨拶でした。続いて、46次松原隊長の45次隊への感謝のお礼の挨拶と、46次の渡邉越冬隊長による、これからの越冬を迎える意気込みなどを中心に挨拶。

挨拶する渡邉越冬隊長両隊次の隊員同士が握手
挨拶する渡邉越冬隊長両隊次の隊員同士が
一人一人固い握手

46次越冬隊です45・46・しらせ全員
46次越冬隊です!!45・46・しらせ全員

 次に45次山岸越冬隊長が隊員一人一人の名前をさまざまな思いを声にこめながらまた心に浮かべながら、読み上げが行われ、返事をする隊員も一年間を乗り切ったという自身に満ちた大きな声で返事をしていました。「はい」という短い返事ですが、とても大きなものが詰まっていることと思います。
 引き続き46次渡邉越冬隊長から一人一人名前を呼ばれ、越冬への再確認をしながら、全隊員、元気いっぱい、こちらは不安と期待が入り混じってはいますが、これから頑張ってこの昭和基地を絶対守りぬくんだ、今までの諸先輩が血と涙と汗で築き上げ守り抜いてきたこの昭和基地を次の47次隊に引き渡すんだという思いを込め大きな声で返事をしておりました。「はい」という返事をこれほど思いを込めて発したのは、今までを振り返っても経験がないほど元気一杯に答えました。その後両隊次の隊員同士が固い握手と厚い言葉!私は、全員にお疲れ様でしたと伝え、感謝の意を表しました。

ヘリで昭和を飛び立つ45次隊
ヘリで昭和を飛び立つ45次隊

 来年の今日を無事に迎えられるように1年間頑張ります。

2月2日(水)

(天候:曇時々晴れ・最大風速:17.5m/s・気温:最高:0.0℃ 最低:-1.9℃)

 いよいよ昭和基地での業務が始まりました。まず、何処に何が?から始まりました。多少は引継ぎで理解はしたものの、ほんの一部しかわかりませんので、この何処?から始まりました。多分45次隊も同じ苦労をしたのかと想像がつきます。日本から持ってきた荷物も、徐々に整理をしていかなければなりません。
 特に私が担当して持ってきたものは、事務用品もさることながら、日用品が相当数あります。トイレットペーパーからシャンプー、石けん、洗濯用洗剤、布団など生活する上での品物です。総勢37名の大所帯で1年間過ごす量ときたら相当なものです。これらを早く倉庫に移動、整理しなければ支障をきたすものが非常に多いので、越冬交代をしたからといって安心はしていられないのです。

2月3日(木)

(天候:雪・最大風速:20.1m/s・気温:最高:-0.1℃ 最低:-1.7℃)

 越冬生活3日目を迎えました。まだなんとなく他人の家にいるような落ち着かない感じです。
 今日は約30m近い風と、雪がついたブリザードが来ました。ブルーシートを架けて外に置いてある装備品等の入ったダンボールが飛んで行きそうになり、装備品を始めとする各種の荷物を慌ててラッシングし直したところです。こんなことがありますので、できるだけ早く倉庫に搬入しなければなりません。しかし、量が・・・
 といっていると、今次隊初の外出注意が9:45分に発動されました。この悪天時の外出制限の種類は、「外出禁止」と「外出注意」の二つの種類があり、外出禁止はA級ブリザードの規準(視程100m未満、風速25m/s以上)では、一切の外出を禁止、外出注意の方は、安全対策を課した上で隊長の許可を取って外出できますが、基本的には外出禁止になっています。
 南極ではこのようなブリザード(稚内では吹雪)がいつ来てもおかしくない時期になってきました。本当の南極の厳しさはこれからが本番です

2月4日(金)

(天候:曇りのち雪・最大風速:15.7m/s・気温:最高:0.1℃ 最低:-2.5℃)

 昭和基地に居ると、曜日感覚が全くなくなっています。まして夏作業での夏日課(朝7時45分朝礼、夕方の19時までの作業)の繰り返しでしたし、休みも10日に一回という生活リズムで過ごしてきただけに、曜日の感覚が無くなったのも事実ですし、とにかく作業で計画していたことを完成させるために、身体の痛みと戦いながら(?)目標達成に向かって必死に頑張ってきたことも要因となっています。
 さて、今日は、2月11日に昭和基地と稚内とでTV会議交信をしますので、その映像や音声のテストを旭川の中継地と行いました。本日は何の支障もなく映像・音声は無事に交信することができましたが、本番ではうまくいく保障はありません。前日(10日)に稚内とテストを行いますけれど、そこで一安心・・・
 しかし、今までの例からすると、テストでは成功して、本番では映像がつながらないなんてことも起こっています。稚内市も無事につながるといいんですが・・・祈ってます!!
 今日は、ソフトクリーム係で初の出荷をしました。味も硬さもなかなかgood!
 大変おいしかったです。これらの生活係(全部で15係)が、趣向を凝らしていろいろな行事を企画しています。

ソフトクリーム初絞り
ソフトクリーム初絞り

 例えば、新聞係などは毎日の出来事を新聞にして発行します。ちなみに「Daily4646(読む読む)」という新聞名になっています。また、AV係りは毎週金曜日に「金曜ロードしょうわ」ということで映画の上映、喫茶係では日曜の午後のひと時をケーキ、パンなど手作りのものを提供したり、レクリエーション係は月1回スポーツ大会で運動不足の解消を図ったり、バー係は係員が交代でバーテンに成りきって営業をします。46次隊のバーは「四六時中バー」「おかバー」と二種類の名前になっています。この他の生活係もさまざまな活動を企画しています。この余暇的なことも昭和基地内での生活には重要で、気持ちの切り替えのひとつになって行くことと、隊員間の交流をより深めることにつながりますので、多いに今後、楽しみたいと思っています。

2月5日(土)

(天候:雪一時曇・最大風速:14.1m/s・気温:最高:-01℃ 最低:-3.1℃)

 今日は、松原隊長の故郷、群馬県邑楽町とのTV会議システムを使った交信が行われました。昭和基地時間で、午前8時30分より管理棟の食堂にセットされたモニターに邑楽町の皆さんが映し出さされ、交信が始まりました。
 観測隊側の出演者としては、松原隊長の他、渡邉越冬隊長、調理担当、そして私が出演しました。なぜ私がというと、太田市が近くにあり、その太田市と稚内市との交流が盛んに行われていることでの出演?になったそうです。
 地元の小学生(4~6年生)5人からいろいろな質問が出され、南極の平均気温、動物の種類、氷の厚さの測り方、基地の主な食べ物は?オーロラの種類、こちらの生活の様子、南極派遣の期間などの質問があり、それぞれの担当者が答えました。ちなみに私は、「南極勤務の期間は?日本が恋しくなることがある?」という6年生からの質問でした。私なりに解りやすく答えたつもりですが・・日本が・・という質問には、約1年4ヶ月(450日余り)学校の友達、両親と離れて生活することを想像して、自分に置き換えて考えて下さいと投げかけ、誰もが寂しい気持ちになりますよと答えたんですが、わかってくれたかなぁ~この感じが・・・また、地球温暖化の影響は?なんていう質問もありました。なかなか勉強してきたなぁ~
 松原隊長も、お母さん、ご兄弟、同級生などと対面し、話ができたことを非常に喜んでいました。

本番中の緊張顔本番中の緊張顔
本番中の緊張顔・・・

 稚内市との交信が11日に予定されていますが、だいたいの雰囲気がつかめましたので失敗しないように頑張ります。

2月6日(日)

(天候:曇一時雪・最大風速:15.2m/s・気温:最高:-1.1℃ 最低:-3.7℃)

 今日はリトルブルーの最終フライトが行われました。
 昭和~S16地点までの調査に私も同乗させてもらい、上空からの基地周辺とS16地点の状況を撮影することができ、感激しました。
 この夏作業で最も野外観測で活躍した、通称「リトルブルー」(ヘリコプター)。野外観測ではこのヘリコプタ-が露岩地域での地学、測地調査等の人員や物資の輸送に大活躍!本当にありがとう!「リトルブルー」とともにパイロット、整備士の二人にも感謝します。

上空からの基地周辺リトルブルーありがとう
上空からの基地周辺リトルブルーありがとう

 また、今日は夏隊の一部がまた、調査を終了し昭和を後にしました。あたりまえではありますが、一緒に南極観測隊員として昨年の7月より極地研究所の隊員室で机を並べて勤務してきた仲間が去って行くと何とも言えない寂しい気持ちになります。
 しかし最後は私達、越冬隊37名が来年の1月31日までこの昭和基地を、夏隊の思いを胸に守り抜き無事に47次隊へ引き継ぐ為に頑張っていくことが、夏隊の仲間へのお礼だと思います。

2月7日(月)

(天候:・最大風速:14.1m/s・気温:最高:-01℃ 最低:-3.1℃)

 今日はドーム隊(ドームふじ基地)の46次越冬隊員が昭和に戻ってきました。彼らは、私達より一足先に日本を出発し、飛行機でケープタウン~航空中継点まで、そこから雪上車でドームふじ基地へ入り、約3ヶ月間氷床掘削を行いやっと昭和に無事戻ってきました。ドームふじ基地の気温は寒いときでマイナス50~60度の世界で、想像を超える世界です。その中で約3ヶ月生活してきたわけですから、何か日本を出発する時より数段、顔つきが精悍になりまた凛々しく見えました。厳しい環境の中での生活を成し遂げた自信なんでしょうね。私達も、1年間の越冬生活を乗り越えたら果たしてどんな顔つきになっているか楽しみです。
 また、今日で「しらせ」乗員の支援部隊も昭和を後にしました。夏オペレーションの建設作業では、しらせ支援無くしてはできなかったと思います。 夏作業で最も野外観測で活躍した、通称「リトルブルー」(ヘリコプター)も昭和を離れました。
 このように南極観測隊は私たち隊員の他、さまざまな支援や協力で成り立っていることを再認識させられました。本当にありごとうございました。

2月8日(火)

(天候:・最大風速:14.1m/s・気温:最高:-01℃ 最低:-3.1℃)

 45次隊の一部が引継ぎのために残っていましたが、今日、全て昭和を後にしました。彼らにしてみれば、約400日余り昭和基地で暮らし、その思い出は数知れないと思います。さまざまなことが、飛び立つヘリコプターの中で昭和基地を下に見ながら楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、寒かったことなど、走馬灯のように思い出されたことでしょう・・・
 これで、昭和基地には私達46次隊の隊員しか残っていません。
 明日になると、夏隊の仲間が出発してしまいます。夏隊の隊員とは、この昭和基地に来て、夏オペレーションを一緒に成し遂げた充実感と連帯感、そして熱い気持でつながれて来ただけに別れるのはとても辛く寂しい気持ちです。
 また、コルゲート車庫の落成記念が夕方行われ、金色に塗られた最後のボルトを渡邉越冬隊長が締め、

コルゲート車庫の落成記念

松原隊長が46次隊、しらせ乗員全ての名前が刻み込まれたプレートをビスで固定し、今日まで残っている夏隊員(松原隊長含む4人)に一人ひとりに挨拶をもらい、再び感動!そして夏オペレーションに終止符を打ちました。

2月9日(水)

(天候:一時雪・最大風速:8.1m/s・気温:最高:1.8℃ 最低:-2.1℃)

 午前9時過ぎに、今まで昭和を後にした夏隊のメンバーがしらせヘリに乗って再び昭和に降り立ちました。夏隊にとって本当の最後の昭和となり、第46次南極地域観測隊62名プラス、同行者3名が再び勢ぞろいしました。

夏隊全員松原隊長と最後の精鋭4人衆
夏隊全員松原隊長と最後の精鋭4人衆

 しかし、この全員集合も僅か30分程度、この短い時間の中で記念撮影、最後の言葉を全員と交わしました。それぞれの隊員との思い出は決して忘れません。
 一人ひとりが別れの言葉というより「ありがとう」という言葉と硬い握手、厚い抱擁でそれ以上の言葉は見つからないし、必要ありません。この熱い思いを励みにこれからの越冬を乗り切るというより、必ずや乗り切って見せます。
 これが、夏隊の仲間への最高の恩返しになるはずです。
 そして、松原隊長には大変お世話になりました。松原隊長が居たから、私がこうして今、昭和基地にいることができ、こうした感動を得られるわけです。本当に感謝してます。

飛び立つしらせヘリから
飛び立つしらせヘリから

 夏隊の皆さん!お疲れ様、そしてありがとう!再び日本で会いましょう!

2月10日(木)

(天候:曇・最大風速:12.8m/s・気温:最高:0.1℃ 最低:-2.4℃)

 本日より越冬隊のみの朝食となりました。今まで当たり前のように顔を見合わせ話をしていた夏隊のメンバーが居ないとなると寂しい気がします。
 しかし、これから1年間(正確には今年の12月中旬に47次隊がやってきますけど・・・)は37名で生活をしなければなりません。いつまでも振り返っても仕方がありませんので、これからこの越冬隊全員で頑張って行きます。
 さて、明日11日に大沼で開催されている越冬キャンプの会場とTV会議で中継をします。そのテストを午前9時より行いましたが、特に支障なくテストができましたので心配はありません。質問される小学生からたくさんの質問が届いていますので、その答えのために、少しずつ写真を貯めてきました。質問内容によって、越冬隊長が答えたり、他の専門隊員が答えることになっています。
 写真も不足していたものについては、今日撮ってきて、最終的に出演者、TV会議担当者と入念な打ち合わせを行い、明日のTV会議で映し出す映像、写真、質問に対する答えなどを入念に打ち合わせをしました。せっかくの子供たちの南極に関する素直な疑問に答えるために相当多くの写真を持ち寄りましたが、あまりにも多すぎてしまい収集がつかない状況になりました。しかし、そこはTV会議担当者が子供たちの目線になって作成しましょうと・・・できるだけわかりやすい映像にしぼり何とか編集できましたが、時間がオーバーしそうだとなげいていました。うまく中継がつながることを祈っています。

2月11日(金)

(天候:曇時々晴・最大風速:20.8m/s・気温:最高:2.2℃ 最低:-1.9℃)

 今日は地元の越冬キャンプに参加している小学生とTV会議システムを利用し生中継をしました。この中継のために担当隊員は前段のテストや本番でのシナリオ作成に大変工夫をこらし、稚内の子供たちにできるだけ現在の昭和基地の様子、隊員の生活の様子など多くの情報を伝えようと頑張っていただきました。
 また、質問の内容で専門的なものもありましたので、関係隊員にも出演協力を頂き、自分の専門分野の質問に対してこれも、多くの写真から厳選してもらうなどさまざまなご協力を頂きました。
 また、渡邉越冬隊長には、多忙にもかかわらず出演し回答をしていただきました。本当に多くの隊員のさまざまなご協力に感謝します。次は、9月頃と聞いていますので、今回とは違った冬の昭和基地等の写真を見せることができると思いますので、楽しみにしていてください。
 この中継で、南極の生活の様子、昭和基地全体を見て、将来の南極観測事業(観測隊員)携わってくれる子供たちが一人でも育ってほしいと感じましたし、この観測事業は、継続が命です。この事業を今も、将来も地球の環境や謎解きに最も重要な観測になっていますので是非、子供たちに南極に対し夢とロマンを求めていってほしいと感じました。
 正直なところ、意外と緊張しましたが、TV会議を終了して、ほっとしています。

2月12日(土)

(天候:晴時々曇・最大風速:15.0m/s・気温:最高:2.2℃ 最低:-1.9℃)

 今日はこの昭和基地管理棟のそれぞれのところで冬支度が始まりました。夏オペレーションでほとんどの建設、補修が終了し、その後片付けをするとともに、冬に向かっての仕度が着々と進んでいます。
 越冬交代前に生活をしていた第1夏宿の冷凍庫・冷蔵庫の中の食料の移動を行い、この残り分を全て管理棟の冷凍庫に移し変え、越冬中の貴重な食料とするのです。トラック2台分に満載された食料はいずれ私たちのお腹の中に・・・
 また、まだ片付け切れていなかった大型の荷物(コピー機、プリンター、洗濯機等)も管理棟内に無事、収納することができました。
 久しぶりの天気と程よい気温でしたので作業をする隊員は楽しそうにまた、夏作業を思い出しながら作業をしていたように見えました。
 もうひとつ大きなニュースが!!「オーロラ」が初めて観測されたそうです。12日の夜半に観測されたそうですが、数名の隊員が偶然、緑色のオーロラを確認したそうです。いよいよ、オーロラの出現する時期がきましたので、夜もおちおち寝てられないことがこれから続くでしょう。これから隊員は枕元にカメラ、ビデオを置いておき、館内放送が入ったのと同時に飛び起きて撮影をする光景が予想されます。あれ?、としらせの中でも同じようなことが起こってたのを思い出します。私も何とかいい写真を撮って稚内の皆さんに紹介したいものです。でも腕がね・・・(心配です。)

2月13日(日)

(天候:晴後時々曇・最大風速:16.9m/s・気温:最高:0.1℃ 最低:-3.1℃)

 今日は、越冬交代後初の休日日課でした。この休日日課とは、朝食が無く、朝昼兼用?の食事が11時となり、入浴も15時(普段は17時)からとなる時間帯で過ごします。さぞかし、疲労が溜まってほとんどの隊員が起きないのかと思いきや、朝からごそごそといたるところから物音がしており、休日といってもゆっくりしていないんだ・・・と私はというと、いつものように6時半には目覚め、休日と思い出し、再び寝ようとしてもなかなか寝られなくウトウトと9時前には部屋の片付けを始めていました。やっぱり年なのか寝てられなくなった自分に・・・いやいや、まだまだ年をとったなんて認めない!でも鏡で自分の髪と無精ひげが半分以上白くなっていることを見るとガッカリ・・・
 さて、今日の午後から私の属する「農協」が活動を開始しました。

温室型ショウケース型
温室型ショウケース型

 基地の中には栽培機(ショウケース型と温室型)が2種類あり、過去にはいろいろな野菜を栽培したらしいと聞いています。私たちもそれに負けないようにたくさんの野菜を作って収穫しようと考えています。まず、手始めに「サラダ菜」から始めることに・・・無事収穫できることを願っています。ちなみに持ってきた「種」の種類は在庫を併せると・・・多すぎて数えられません。中にはスイカもありました。果たして成果は・・・

各種野菜の種
各種野菜の種

2月14日(月)

(気温:晴時々薄曇・最大風速:15.5m/s・最高:1.2℃ 最低:-3.7℃)

 今日はバレンタインデーで、この昭和基地ではほとんどの隊員が確かに、昨日までは確実に忘れていたかもしれませんが、今日の朝に個人のメールボックスにチョコレート(女性隊員2名の写真付)が置いてあるではありませんか!!
 このチョコを見た隊員は、一瞬何のことやらと目を点にした?かも知れませんが、この昭和基地でもバレンタインデーを2人の女性隊員のちょっとした心遣いで味わうことができました。
 私たち46次隊は37名だけの生活をしているわけですから、こういった心遣い、気遣いが「和」をもたらします。ほんの些細な、ちっぽけなことでも、他人の気持ちになってということが、この昭和基地の中ではとっても大切です。
 私もできる限りこの気持ちを持って生活していこうと思います。
 さて、この昭和基地の一部にトレーニング機器(ダンベル、自転車、ランニングマシーン等)を集めて、仮称マッスルクラブを立ち上げようと試みています。

各種トレーニング機器
各種トレーニング機器

 数名の隊員にも賛同してもらい、今は自主的に活動していますが、他の隊員も気になって入会手続きは?トレーニング日は?と、なにやら気になっている隊員が居ますので、近いうちに生活係の一つとして申請してみようと思ってます。やはり、基地の中での業務が多くなってきていますので、身体が緩んできている隊員(自分も含めて)が自己防衛策として、また越冬終了後のスーパーボディーを目指して・・・頑張ります。

2月15日(火)

(天候:薄曇のち晴・最大風速:2.6m/s・最高:1.4℃ 最低:-6.8℃)

 基地内では、冬支度が着々と進められています。その状況は以前にも紹介しましたが、今日は基地内の主要道路、主要地点に目印として立てられているドラム缶に縛り付けられている竹竿の旗の補修が始まったということを紹介しましょう。

修理前修理中取り付け中
修理前修理中取り付け中

 この竹竿は冬期間雪に道路が埋もれてしまいますので、そのときの目印となります。竹竿の先には赤い旗と青い旗が二種類あります。赤旗は一般の通行可能な道路の目印として、また青旗は路面下にケーブルが通過している目印となっています。なにせ、ブリザードが来ると一夜にして風景が一変しますので、この目印の旗が重要な役割を果たします。青旗についても観測用の重要なケーブルですので、除雪等重機で切断をしないよう目印としています。この作業は地味でこつこつ担当隊員が行っていますが、雪が積もらないこの時期に終了させるように頑張っています。修理本数は約150本、一本一本、旗の取替え竹竿の点検(取替え)だそうです!ご苦労様!!

2月16日(水)

(天候:薄曇時々晴・最大風速:5.1m/s・最高:-3.8℃ 最低:-9.8℃)

 気温が、最高でマイナス気温に突入しました。まだ、周りに雪が積もっていないため、そう寒さは感じられませんが、実際の気温はマイナスです。日の出も今日はAM4:09、日の入りも20:59分と着実に季節が変わりつつあります。これから南極の厳しい冬がやってきます。昭和基地周辺では、真冬で、マイナス30度程度で、気温的には北海道の寒い地域とそう変わらないのですが、風の強さは比較にならないらしいです。稚内も風の強さのことをいうと昭和基地とはそう引けを取らないと思いますが、風速30M程度が長時間にわたり吹き荒れることがあるらしく、こちらでは「吹雪」ではなく「ブリザード」と呼んで警戒をしています。いずれにしても、南極の厳しい寒さは100年前と一つも変わらない厳しさです。この環境を敵にするのではなく、共存していかなくてはなりませんから、今までの諸先輩の知識、経験を基に環境に逆らわないような生活を心がけていこうと思います。

2月17日(木)

(天候:雪・最大風速:16.4m/s・最高:-1.8℃ 最低:-6.7℃)

 先日、栽培を開始した野菜(手始めにカイワレ、もやし)が成長を開始しました。特にカイワレは東京の隊員室でテスト栽培をしてきましたし、もともとカイワレ自体がそう難しくなく栽培できますので、こちらの気持ちが通じたかのように元気に芽を出してきました。量的には少ない量ですが、緑の新鮮な野菜はあと数ヶ月で底をつきますので、自給自足の足しになるように今後いろいろなものの栽培をしていきます。このカイワレは近々収穫をして食することになりますが、一本一本かみ締めながら?味わいたいと思います

おいしそうなカイワレ
おいしそうなカイワレ

 夕食を過ぎた頃から天気模様が悪くなりとうとう23時に外出注意が発令されました。(昨日ブリのこと書いたばかりなのに・・)風の強さは食堂に設置してある風速計が25Mを軽々超えているではありませんか!そう思っていたら雪も混じり猛烈なブリザードになっているではありませんか。さすがの昭和基地管理棟も揺れています。

おいしそうなカイワレ
食堂前にある光る外出注意

 まだまだ風は強くなりそうで、たぶん軽く30Mは超えそうです。46次隊発のC級ブリザード認定になりそうな勢いです。

2月18日(金)

(天候:吹雪・最大風速:25.2m/s・最高:0.4℃ 最低:-2.0℃)

 やはり、ブリザードになりました。初の認定です。昨日の夜半からさらに風、雪が強まり強烈なブリザードになりました。食堂設置の風力計が34m/sまで記録していました。午後からは徐々に収まりはしましたが、夕食時に気象隊員より「C級ブリザードと認定します。」と正式なコメントが発表されました。南極の厳しさの一部を感じたところでした。

視界が・・風力計
視界が・・
下に注目

 以下気象担当発表のブリザード情報を記載します

ブリザード番号:1
ブリザード名:・・・?
開始時刻:2/18 0520・終了時刻:2/18 1150
継続時間:6時間30分
期間中の最大風速:22.6m/s
期間中の最大瞬間風速:31.6m/s
期間中の最低海面気圧:973.0hpa ※2/18の極値
最大風速:25.2m/s
最大瞬間風速:33.2m/s
最低海面気圧:972.6hpa

 この数字を改めて見ると、なかなかのブリザードと感心しますが、Bブリ・Aブリと上があります。来ないのを祈りますが、せっかくですから見てみたい気もします。

2月19日(土)

(天候:曇・最大風速:6.6m/s・最高:1.3℃ 最低:-2.1℃)

 今日は、初のスポーツ大会が開催。これはレクリェーション係が企画し、毎月1回開催されるもので、記念すべき第1回目の種目としてドッチボールが行われました。ドッチボールとふと振り返ってみるとさて、いつしたのか記憶にないくらいです。チームについては居住棟各階(1居1階~2居2階)の4チームが総当り方式で行いました。開催場所はといいますと、私たちが夏オペレーションで完成させたコルゲート車庫で、広さは15M×25Mの広さがありますので十分にコートがとれます。若干正式コートより小さめにして試合開始。

越冬隊長挨拶試合開始
越冬隊長挨拶試合開始

 試合が始まってみると、意外と?動きが皆さん軽くて、投げるボールのスピード、逃げ回る機敏さ、しぶとくボールを受け止める動きなどはさすが、日本を代表して観測隊員になっただけのことはあります。と感心していた矢先に、足がもつれて転倒したり、よけ損ねて転倒したり転倒者が続出・・・怪我人続出か?私達のチーム2居1階「チーム闘魂」は平均身長がダントツで相手を威圧する雰囲気を持っており優勝候補NO1となっていました(自称ですけど・・)
 1回戦は無難に勝利、2回戦も接戦を制しての勝利、最終戦も激戦を制しての全勝で見事、前評判どおり優勝をしました。私は、当然、活躍(!?)をしチームの優勝に大貢献?(これまた自称)。終わってみれば、けが人も(かすり傷程度)無く無事に楽しく過ごすことができました。休日をいかに楽しく有意義にそしてできるだけ多くの隊員の参加でこれからも楽しんで行きたいと思います。

優勝!!2居1階
優勝!!2居1階

2月20日(日)

(天候:曇一時晴・最大風速:9.4m/s・最高:2.3℃ 最低:-3.3℃)

 本日は越冬成立式と福島ケルン慰霊祭がしめやかに執り行われました。
 越冬成立式は、2月1日に行われた「越冬交代式」で実質的な越冬交代が行われてはいますが、越冬の最終意思確認をする伝統的な式となっています。以前は「しらせ」が去り、これから1年間どんなことがあっても日本へは帰ることができず、残された隊員全員が越冬をすることになったことを意味するそうです。名簿に従って順次名前を呼ばれ、37名全員の確認が取れて越冬成立宣言が渡邉越冬隊長により発せられました。

名前を読み上げ、意思確認
名前を読み上げ、意思確認

 これで最終的に来年の1月末までこの46次隊(37名)全員で乗り切っていくことになりますが、今日の気持ちを忘れずに越冬を楽しみながらすごしたいと思います。

全員が越冬します!!
全員が越冬します!!

 また、この後、福島ケルン慰霊祭が執り行われました。
 これは第4次隊の越冬隊員であった福島紳隊員が強烈なブリザードの中、子犬に餌を与えに行ってそのまま帰らず、日本南極地域観測隊の歴史上、唯一の犠牲者で、毎年このように慰霊祭をして供養をしているのです。
 渡邉越冬隊長より経過が話され、全員で黙祷をし、福島隊員のご冥福を祈ると同時に遭難事故を決して出さないということも同時に誓ったのでした。
 私たち46次越冬隊は必ず37名、全員で日本に帰ります。

慰霊碑の前で説明焼香をする隊員
慰霊碑の前で説明焼香をする隊員

2月21日(月)

(天候:晴後曇・最大風速:14.1m/s・最高:-1.4℃ 最低:-4.4℃)

 やはり今頃になってドッチボールの反動が・・・肩が上がりません!普段使わない筋肉を一気に使用したせいで、なってしまいました筋肉痛!!他の隊員には40肩じゃない?なんていわれています。少し筋トレを多くして、こっそり治していこうと思っています。
 さて、明日は46次隊、初の消火訓練が行われます。普通、消火訓練は、抜き打ちで行われることになっていますが、何せ、初めての経験ですから、各部署が決まっていますので、何をどうするのかということを確実に行うため、公開で時間は気にせず、「ゆっくり早く正確に」で行われます。この昭和基地で火災がもし起こったならば、私達隊員が、消火活動の最前線で消火に努めなければなりません。ここには私達37名しかいませんので自らが、自らで行うための訓練ですので、事前に各部署で練習が行われて、この消火訓練の重要性を隊員自らが感じているものと思われます。
・本部(越冬隊長の指揮の下、補佐役、記録、通信で構成され、適切な指示を発する。)
・消火班(真っ先に消火現場に向かい、初期消火に。消火服、耐火服の装着者は空気ボンベも装着)
・破壊班(初期消火に失敗したときに重機を使用して延焼を食い止めるために破壊をする。)
・救護班(負傷者の対応)

 具体的にはこのような体制が確立されていますが、はたしてどんな訓練になるのでしょうか・・・?

2月22日(火)

(天候:雪時々曇・最大風速:10.9m/s 最高:-2.0℃ 最低:-4.5℃)

 16時にけたたましく鳴り響く火災報知機の音。消火訓練の始まりです。
  すでに、数分前に本部(今回は通信室)に主要メンバーが集まり若干の打ち合わせを行ってる間に、火災報知機が鳴り響き、多少の戸惑いが本部メンバーを襲いましたが、そこからはマニュアルどおりの展開で淡々と進んでいきました。
  実際の火災になったら、相当慌てることが予想されますが、訓練でいかに慌てないように自分のやるべきこと、やらねばならぬことを確認して身に着けていかなければなりません。今日は第1回目でもあり、マニュアルを片手に持ちながら私自身も進んでいましたが、慌てずに確実に進んだと思います。
  最初の出火による火災報知機の知らせから、最後の訓練終了の更新まで、約25分、これが時間の掛かりすぎなのかそうでないのか1回目だと判断のしようがありません。
  でも、思ったよりは時間の空白も無く?無事に終了することができました。
  本部の中では多少、問題はありましたが、改善点を見つけて既に対処をしました。このことに関しては、後回しにするといつ火災が起こるともしれないので早急な手直しと実行が重要ですので早急に行いました。(鉄は熱いうちに打て!)
  この越冬中に本物の火災にならぬよう、火気には十分気をつけたいと改めて思いました。

2月23日(水)

(天候:雪時々曇・最大風速:15.5m/s 最高:-1.9℃ 最低:-3.3℃)

 47次隊がいよいよ動き出しました。冬期総合訓練(通称「乗鞍訓練」)が来週の月曜日から始まるそうです。この訓練は「乗鞍高原」で南極を想定してさまざまな特に雪の中での訓練と聞いています。(私はこの訓練が行われた2004年3月上旬には、全く南極のことなど考えてもいませんでした。)聞いた話によりますと、かなり厳しい訓練だそうです。本来は私も参加すべきではあったのでしょうが・・・しかし、私自身は、地元稚内の厳しい「冬」を四十数年間生きてきていますし、実際、昭和基地に来て見てさほど、稚内と変わりがないというか暖かいなぁ~なんて思うくらいです。(今はですけど・・・)
  この訓練に全国から約40名程度参加するそうですが、是非、この訓練の意味、重要性を十分理解して頑張ってほしいものです。(ちょっと偉そうですかね・・・)必ずや役に立つでしょう。
 その参加者に、46次隊から激励の寄せ書きを贈ることになり(恒例ですが・・・)
 一人ひとりが思いを込めて記入しています。46次隊も乗鞍訓練中に昭和基地から45次隊の色紙が届き、読んでいたことを思い出しながらまた、今年の12月に対面するであろうことを想定しながら、記入しています。

寄せ書き寄せ書き寄せ書き

 今日は当直業務の当番で(今月は3回目)朝食の配膳~夕食の後片付け~ゴミ捨てで、朝の6時から20時頃までの業務をしましたが、3回目ともなると要領はつかめているのですが、毎回違うことに気づきます。たとえば掃除をしてても、前回はここの汚れに気が付いただろうかとか、この裏側のところは掃除機をかけただろうか?とかいろいろなことに気づきます。と同時に忘れていることもありますし、これが手抜きとはいいませんが楽をしようとする邪心に引き寄せられるんです。初心を忘るべからずで、この貴重な昭和基地での生活の一つ一つを大事に、一生懸命にしていこうと当直業務で再認識させられたのでした。

2月24日(木)

(天候:雪時々曇・最大風速:23.5m/s 最高:-0.8℃ 最低:-2.9℃)

 今日は、設営部会が開催されました。この設営部会とは何か?
  南極観測隊は、観測系(研究者等)と設営系で構成されています。観測系はオーロラ観測、気象観測、地磁気観測、ラドン・トロン観測、エアロゾル観測、ペンギン個体数調査等の観測を行います。これらは観測系に属します。
  設営系は施設建設、設備の補修等の設備を担当します。種類としては機械、通信、調理、医療、環境保全、多目的アンテナ、LANインテルサット、建築、フィールドアシスタントと最後に私の担当している越冬庶務で構成されています。これらの観測部会、設営部会それぞれが毎月部会を開催し、各部門で今月の活動報告、来月の活動予定等を報告していき、各業務が具体的に決定していきます。
  またこの他に、生活部会(15の生活に関するもの、映画、新聞、バー、ソフトクリーム、農協、漁協、ビール工場、理髪、ミシン、工房、アマチュア無線、レクリエーション、ホームページ、アルバム)が毎月いろいろな行事を企画、立案して楽しんでいます。ほとんどの隊員が、数多くの係に複数所属していますので、なかなか多忙なのですが、一生懸命頑張っています。
  このようにして業務と生活とを両立しながら越冬生活を過ごしていくことになります。楽しまなきゃ~!!この南極「昭和基地」には37名しか・い・ま・せ・ん・か・ら!!

2月25日(金)

(天候:吹雪後一時みぞれ・最大風速:33.7m/s 最高:1.0℃ 最低:-2.0℃)

 やはり南極は凄かった!風が徐々に強くなり、平均で30mを越え、管理棟が揺れてきました。凄まじい轟音が管理棟を包み込んでいます。食堂にある風速計がついに瞬間風速45m/sを記録。頻繁に40m/sオーバーを記録しています。一体この管理棟はどうなってしまうのか・・・?どこか一箇所でも吹き飛ばされたら連鎖的に飛ばされあっという間に崩壊してしまう、そうしたら、我々はどうやって命を守っていこうかなんて妙なことが頭をよぎるくらい凄まじい風です。

見事に40m/sオーバー
見事に40m/sオーバー

 やはり、南極の自然の厳しさの一端を感じさせられました。今回は風のみで、視程が悪くなっていませんので、ブリザードにはなりませんが、当然外出注意の放送が・・・こんな時にいろんな物体が飛びます。鉄板、ドラム缶、アザラシ?ペンギン?考えられないものが飛ぶんです。なにせ風速45m/sで・す・か・ら!!
 本日、南極農協から「もやし」が初出荷!組合長が秘密裏に、丹精込めて育て上げてきたもやし。

出荷前出荷品
出荷前出荷品

 長さにして4~5cm程度で、出荷するために根と頭を取るとわずか3~4cmにしかなりません。量的には、ほんの少量ですが、一生懸命試行錯誤しながら(実は一度失敗してます。)育て上げたもやし。皆さんには、一本一本かみ締めて食べていただこうと思っています。

2月26日(土)

(天候:曇時々雪・最大風速:22.7m/s 最高:0.3℃ 最低:-2.9℃)

 今日は休日日課。朝食が無く、パンが置いてあり自由に隊員個々が起きてきて軽い朝食を取ります。そのパンは日本から持ち込んだ食パンと隊員の有志が前日の深夜までかかりパンを焼き上げ、朝食用のパンとしているのです。パンを作るのは相当面倒で、且つ焼き上がりまで時間がかかり手間もかかっています。作成するほうは、一生懸命作っていますので、食べるほうも、もやしではありませんが大切にありがたく頂戴しています。
 さて、今日は午前9時より秋田市とのTV会議が行われました。これは秋田大学から過去にも数回、隊員として派遣があり、また、今回も秋田大学の助教授の方が隊員として参加していることによります。そして夏隊の隊員で金浦町(白瀬矗の郷土)の職員も隊員であるというこということで、秋田市は南極と強い結びつき、深い関わりがある地域です。その秋田市の「自然科学学習館」より、「南極のふしぎ」と題して南極の不思議に感じたことを質問してみようという企画でした。

回答するメンバー向こう側が秋田市
(回答するメンバー)(向こう側が秋田市)

 内容的には、選ばれた小中学生からの質問にこちらの関係隊員が答えるという形で、その質問内容も生活や水に関すること、タロ、ジロの話、食事の内容、オゾンホール、温暖化のことなどで、こちらからは画像を使いながらできるだけわかりやすく回答をしていました。どこの地域の子供たちも南極に関しての疑問は同じような内容になるんだなぁ~と感じられました。私も恥ずかしい話、この隊員の話が来る前までは、南極観測隊の生活のこと、基地のことなど気にしたことが全くといっていいほど感心が無かったのが正直なところですから、質問内容に毎回感心させられますし、このTV会議の与える影響(日本側、昭和基地側)特に画像・映像は「百聞は一見にしかず」でかなりのインパクトがありますので、こちら側としてもいい画像・映像を提供していきたいと思っています。

2月27日(日)

(天候:曇後雪・最大風速:17.5m/s 最高:-2.3℃ 最低:-4.2℃)

 南極でも魚が釣れる!ショウワギスが釣れた!
 今日は、生活係の一つの「漁協」が主催をした釣りが初めて行われました。海洋生物観測のための魚の採集も兼ねています。
 参加人数は21名、管理棟前に羽毛服を着込んだ隊員が漁場に向かって歩き出しました。それぞれ釣りに必要な通常のさおを始めとする釣り道具を持つ班の他に、先頭の隊員は歩くコースの確認をするためのゾンデ棒、ルート上の目印となる赤旗をつけている竹竿を持つ部隊、タイドクラック上に橋渡しをする足場用のアルミ製の板、氷に穴を掘るドリル、ドリル用のエンジン、手動のドリル、身体を温めるホットドリンク入りの水筒、などなどそうそうたる道具を持って釣り場に行くわけです。まだ季節的には暖かく?氷の状態があまり良くないため慎重に慎重に海氷上を渡っていきます。先頭には北極、グリーンランド、アラスカ等を冒険している隊員(フィールドアシスタント)が慎重に進んでいます。その後ろに隊員が重い荷物を持って一歩一歩ついていっています。

慎重に進む隊員慎重に進む隊員
(慎重に進む隊員)

 歩くこと20分、ようやく釣りスポットに到着!ここからが圧巻、持参した直径40cmのドリルが・・・というところだったのですがエンジンが始動しません。

始動しないようやく始動
(始動しない!?)(ようやく始動)

 セルを回すこと10分、ようやく始動した豪快なドリルがうなりを挙げて穴を開けていきます。氷の厚さは110cm、ドリルが始動してから約3分、見事なつり用穴が次々開いていきます。
 そのあけ終わった穴に次々と糸を吊り下げいよいよ釣りのスタート!餌はイカの切り身!糸をたらすこと数分、釣れたぞぉ~の声に皆が注目、釣りあがった魚は全長10cm程度のショウワギスという種類の魚が、全員の拍手で吊り上げられました。そうすると次々にあちらこちらから釣れた、やったぁ~の声が次々に聞こえます。自分も引きを感じ、糸を巻き上げると、かわいいサイズのショウワギスがつれました。

お見事・・・?
(お見事・・・?)

 地元ではほとんど釣りなど興味が無くてほとんどしないのですが、この南極の地で魚釣り。何もかもが新鮮な気持ちになれるのが南極なんです。
 ちなみに、この吊り上げた総数は70匹を超え、貴重な食料?にもなるようです。

本日の成果

(本日の成果)

2月28日(月)

(天候:晴後一時曇・最大風速:10.9m/s 最高:-2.0℃ 最低:-4.5℃)

 本日は、第3回目の全体会議が開催されましたが、3回目とは言っても、越冬を開始して定常的という意味では実質、初の開催となりました。

全体会議

(全体会議)

 議題は、この1月間の各部門からの報告と来月の活動計画が主な議題となり、観測部会、設営部会、野外活動、生活部会より重要項目を中心に説明がありました。特にオーロラの光学観測ではいよいよ関係隊員が夜勤体制を取り、観測を始めます。以前にもすでにオーロラが発生したと記事にしましたが、まだ観測が準備段階ということでしたが、3月からはオーロラ予報が発表できることになりいよいよビデオ、カメラは枕元に置いて発生の連絡があれば飛び起きて撮影をしなければなりません。
 できるだけたくさん撮るつもりなんですけど・・・
  各部会からの報告を記録していると、ほぼこの1ヶ月で業務も落ち着いてきた感があります。しかし、まだ1ヶ月というのか、もう1ヶ月というのか、自分自身では既に1ヶ月が経過してしまったという感じがします。
  また、成田を出発して3ヶ月がちょうど経過し、帰国まで残すところ390日余り。駆け足で3か月が経過しました。見るもの聞くのもするのも全て初めてづくしで、あっという間に過ぎたというのが正直なところです。振り返ると貴重な体験、様々な出来事がありましたが、今後、体験するであろうことを一つ一つ大切にし、目に、心に焼き付けていこうと思います。
 ふと、食堂の片隅に赤い物体を発見!雛飾りが飾り付けられています。

お雛様

(お雛様)

 このように、季節ならではの催しを必ず取り入れて生活にめりはりをつけることをします。日にち、曜日感覚が麻痺し始めますので、このような工夫も当然必要ですし、何よりも気持ちに余裕、ゆとりをもたらします。日本では、当たり前のことがこの南極では全て新鮮に感じます。

第46次日本南極地域観測隊 越冬庶務 近江


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