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大岬旧海軍望楼

大岬旧海軍望楼の写真

大岬旧海軍望楼(市指定)

所在地:大字宗谷村字大岬
 
明治35年(1902年)、旧日本海軍は宗谷岬に望楼を建築した。この望楼は宗谷海峡を一望にし、形は船のブリッチと云う異色のもので、石材をコンクリートで固め、いかにも国境の備えにふさわしい監視所でした。
明治38年(1905年)、日露戦争がはじまると望楼の役割も一段と重要性を増し、海軍無線電信所が併置、樺太上陸特別派遣軍の第13師団海上輸送護衛の通信連絡に従事し、日本海海戦の折にはバルチック艦隊通過の可能性があることから監視に重大な責任が課せられていた。当時世界最強といわれたバルチック艦隊は結局、東支那海を通過したため宗谷海峡を通ることはなかったが、日本海海戦に破れて敗走して来たロシア軍艦「ノーウイック号」と日本海軍巡洋艦「対馬」「千歳」が宗谷沖で戦った時、大いにその真価を発揮した。
その他、宗谷岬に所在する軍事施設としては、旧陸軍砲台指揮所があります。

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稚内市中央3丁目13番15号
文化・社会教育グループ 0162-23-6520、0162-23-6056(直通)

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