ゆかりの地交流都市 福島県「会津若松市」との交流
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更新日:2024年9月5日
会津藩と稚内市との歴史
江戸幕府が北海道やサハリンを護るため、文化4年(1807年)に蝦夷地直轄を決行しました。当時、寒さに強いという理由で、本州最北端の津軽藩士が宗谷に派遣されましたが、厳しい冬により、多数の死者を出したため、翌文化5年(1808年)に、同じ東北の会津藩士587名が交代要員として宗谷へ派遣されました。
北方警備の最前線であった宗谷の地を、会津藩の藩士が命を懸け警備いただいた縁があり、現在も宗谷地区にある会津藩士のお墓をお守りしており、毎年慰霊祭をとり行い、この地で果てた旧藩士の冥福を祈っています。

会津藩北方警備ゆかりの地交流都市共同宣言
平成20年(2008年)7月会津若松市にて、会津藩北方警備200周年を記念して、利尻町、利尻富士町とともに、共通の歴史を礎とした今後の交流による地域の発展をめざし共同宣言をしております。

平成30年度 会津若松市交流事業
「会津藩北方警備ゆかりの地交流都市共同宣言」10周年を記念し、平成30年(2018年)7月29日~8月1日【3泊4日】の期間で、会津若松市の児童10名及び引率5名が来市し、墓参など、先祖の功績や足跡に触れ、ゆかりの地である宗谷の各所を訪問し、地元の児童達と交流しました。1日目【平成30年7月29日(日)】
会津若松市を出発後、仙台空港・新千歳空港を経由し、夕方に稚内空港に到着しました。天候に恵まれ、稚内市の西浜からは明後日に渡航する利尻島を、はっきりと眺めることができました。


2日目【平成30年7月30日(月)】
稚内市長を表敬訪問した後、稚内市立宗谷小学校を訪問しました。宗谷小学校の児童達が稚内の伝統芸能である“南中ソーラン”で出迎え、その後、前浜で海の生物を観察しました。地元宗谷のお母さん達の振る舞いによる昼食をいただいた後、稚内名産の昆布について学習しました。会津藩士の墓は、宗谷小学校からほど近い宗谷公園内にあります。皆で、墓参、献花・焼香をして、先祖の供養をしました。また、宗谷岬の“日本最北端の地の碑”、宗谷丘陵の“白い道”を訪れました。


3日目【平成30年7月31日(火)】
ノシャップ岬とノシャップ寒流水族館を見学し、フェリーで利尻島に渡りました。利尻町・利尻富士町の両町の児童達の歓迎を受けた後、一緒に神居海岸パークでウニの殻むき体験、島の駅で海藻押し花体験をしました。夕食では、利尻の海の幸の振る舞いを受けました。


4日目【平成30年8月1日(水)】
利尻島内の博物館や公園を訪れ、利尻島の成り立ちや動植物について学び、利尻島内に3ヶ所ある会津藩士の墓を回り、先祖の墓前に手を合わせました。利尻の児童達との別れを惜しみながら、利尻空港から新千歳空港、福島空港を経由して会津若松市へ戻り、3泊4日の交流を終えました。


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