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文化寛政の頃の宗谷絵図

文化寛政の頃の宗谷絵図の写真

文化寛政の頃の宗谷絵図(市指定)
所在地 大字宗谷村字宗谷

 宗谷絵図は、宗谷の岩泉家に先代より伝えられて来たものですが、この絵図がどのような経路で岩泉家に伝来したのかは不明です。

 絵図は宗谷の集落を鳥瞰して描かれ、極彩色の豪華なものだったと思われます。海岸に板倉と数隻の船・桟橋、海で漁をする小舟・沖待の大船・大勢が乗り込んだ船、向かって右に二つの鳥居を持つ厳島神社・稲荷神社・坂の上の台場には大砲が三門見えます。中央に御用所役宅・通行家・北蝦夷通行家・運上家・手前に秋田藩出張陣屋が配され、右にはパラキナイ・ウエントマリナイの小川が流れ、橋と冠木門、左奥にはアイヌ集落と宗谷護国寺とが描かれています。安政2年に秋田藩の宗谷警備が始まり、同3年に護国寺建立の議がまとまり、同6年に建立されました。
 また、安政4年には宗谷絵図と逆向きとなる海側からの鳥瞰図「宗谷孟仙里図」が描かれています。これらを比較検討すれば、絵図は安政6年の宗谷護国寺建立以降の作と推測されます。

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