宗谷護国寺跡
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更新日:2024年11月22日

宗谷護国寺跡(道指定)
所在地:大字宗谷村字宗谷江戸時代、徳川幕府は新しい寺院の建立を禁じていましたが、享和2年(1802年)蝦夷地に5ケ寺の建立を許可し、文化元年(1804年)に有珠善光寺・様似等樹院・厚岸国泰寺の3寺が建てられた。
安政2年(1855年)幕府は蝦夷地を再直轄し、北蝦夷地警備のため宗谷は秋田藩に割り当てられ藩士が駐屯するようになった。安政3年(1856年)、有珠善光寺七代住職性誉仙海は宗谷場所請負人藤野家の宗谷支配人粂屋八右衛門と相談し宗谷に浄土宗の一寺を開山し、安政6年(1859年)に建立された。
寺号を泰平山松寿院護国寺と称し、幕府直轄の寺院として、利尻・礼文・増毛から網走まで広範囲にわたり、死者供養のため寺僧が巡回していた。
明治17年(1884年)廃寺となり明治45年(1912年)の再建のさいに焼失し、再建されたのは戦後のことです。
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