樺太犬タロ・ジロの一生
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更新日:2024年11月20日
年号(西暦) | 月 | 出来事 |
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昭和30年 (1955年) |
10月 | 父:上川郡風連 中島 克己所有のクマ(風連のクマ)、 母:稚内市 内山 元所有のクマの間に出生。 タロ・ジロ・サブロと名付けられる ![]() ジロ:稚内市本通南4 蕪木 勇 サブロ:稚内市北4 佐久間 松二 (写真左から)ジロ・タロ・サブロ |
昭和31年 (1956年) |
1月 | 南極観測に犬ぞり隊の使用が決定。 北海道内に約1000頭の樺太犬が存在、そのうちそり犬に適していたのは40~50頭。 |
3月 | 稚内公園頂上訓練所で犬ぞりの訓練をする約40頭(20日)。![]() ![]() 訓練所のスタッフ
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11月 | 第1次南極観測隊、東京晴海ふ頭出港(8日)。![]() ◎越冬隊参加犬名 22頭(オス20頭、メス2頭) アカ(稚内)4歳 アンコ(苫小牧)1.5歳 クマ(紋別)3歳 ゴロ(稚内)1.5歳 ジャック(利尻)4歳 リキ(旭川)6歳 シロ(利尻)1.5歳 テツ(旭川)5歳 デリー(旭川)5歳 クマ(風連)3歳 ペス(利尻)2歳 ベック(利尻)4歳 ポチ(利尻)3歳 クロ(利尻)3.5歳 モク(深川)1.5歳 ジロ(稚内)1歳 タロ(稚内)1歳 クマ(比布)4歳 トム(札幌)5歳 モク(札幌)3歳 ロ子(稚内)0.5歳メス ミネ 1歳メス ●サブロは、訓練所で死亡。 |
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昭和32年 (1957年) |
1月 | 第1次越冬隊に22頭参加、勇躍壮途に就く(第1次越冬隊長 西堀栄三郎)(14日)。 犬ぞりで基地予定地(オングル島)と輸送ルートの調査(24日)。 ![]() |
2月 | 西堀隊長以下11名の越冬隊員との別れ、ミネ・トム・札幌のモクの3頭は怪我や病気のため「宗谷」と共に離岸(15日)。![]() |
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5月 | 犬ぞりの訓練はじまる(4日)。 | |
7月 | オーロラ観測小屋の火災(24日)。 | |
8月 | オングル島一周、氷雪調査(2日)。 オングル島周辺の島巡り、氷雪調査(8日)。 ルンバ島、氷雪調査・地質調査(9日)。 3日間のユートレ島、氷雪調査・地質調査(12日)。 ベックの病死(腎臓病)(16日)。 8日間のバッダ島およびその対岸大陸、氷雪調査・地質調査(14頭参加)(28日) |
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9月 | 旅行中に比布のクマとアンコの失踪(4日)。3日後にアンコを発見。 | |
10月 | 27日間のボツンヌーテン山へ地質調査旅行(15頭参加)(16日)。 シロ子が10匹子犬を産む(2匹死亡、オス3頭、メス5頭)(24日)。 |
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11月 | 16日間のオラフ沿岸へ地質調査旅行(13頭参加)(25日)。 (ゴロ・テツは体調が悪く参加できず) |
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12月 | テツの死亡(老衰)(11日)。 | |
昭和33年 (1958年) |
2月 | 越冬隊の収容は、悪天候の為困難を極め急変する気象に人命の危険を感じ、遂にタロ・ジロを含め15頭の樺太犬は南極基地に置き去りとなる。(24日)。 (シロ子・生まれたばかりの子犬8頭、カナリヤ、ネコは宗谷に収容。) 子犬8頭の名前(オス:ボト、ヨチ、マル メス:ユキ、ミチ、チャコ、スミ、フジ) ![]() |
7月 | 大阪府に樺太犬慰霊像を建立し、南極越冬隊員らが参列して盛大な供養が営まれる。 | |
11月 | 第3次隊、ペットとして樺太犬3頭(トチ・アク・ミヤ)参加(12日)。 | |
昭和34年 (1959年) |
1月 | タロ・ジロ生存を確認(第3次越冬隊長 村山雅美)(14日)。 【7頭(ゴロ・ペス・紋別のクマ・クロ・ポチ・モク・アカ)が首輪に繋がったまま死亡、6頭(風連のクマ・シロ・リキ・アンコ・デリー・ジャック)が行方不明】 タロ・ジロ生存のニュースは日本中を感動させ、元飼い主に沢山の祝電が届く。 ![]() 左がタロ、右がジロ ![]() 左がジロ、右がタロ ![]() 左がタロ、右がジロ 東芝から「しばざき そうすけ作詞、豊田 稔作曲」の「タロー・ジローのカラフト犬」がレコード発売される。 昭和基地に犬の慰霊仏像建てられる(31日)。 |
9月 | 日本動物愛護協会は「二度とこのような事件が起きて欲しくない」という思いから「動物愛護」のシンボルとして、当時開業したばかりの東京タワーに15頭の樺太犬記念像(製作者、忠犬ハチ公像の彫刻家、安藤士)を造る(20日)。![]() ![]() |
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11月 | 18日間の奥白瀬氷河調査旅行(4頭参加、タロ・ジロ・アク・トチ)(20日)。 | |
昭和35年 (1960年) |
1月 | 第4次越冬隊に樺太犬15頭参加(11頭連れてくる)。 (タロ・ジロ・アク・トチ・ハチ・ゴン・ポト・トク・ライ・ユキ・タケ・クロ・ヤス・ステ・ロク) |
3月 | 大陸沿岸調査(3頭参加)(31日)。 | |
4月 | 白瀬氷河調査(10頭参加)(15日)。 | |
7月 | 稚内公園頂上に「樺太犬訓練記念碑」が建つ(3日)。![]() 制作者「東京芸術大学教授 芸術院会員 加藤顕清」、モデル犬は工藤 武広氏所有の樺太犬パラ号(父リキ、母タロの母クマ)。 ジロは南極基地で死亡し(9日)、剥製(現在、上野・国立科学博物館)となる。 |
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昭和36年 (1961年) |
1月 | 第5次越冬隊に樺太犬3頭参加(トチ・ハチ・ゴン)。ペットとして飼育。 |
5月 | タロ6年ぶりに帰国し、北大植物園で休養することとなる(4日)。 タロの専任世話係を小柳 慶吉がする。 他の樺太犬14頭も帰国、飼い主や樺太保存協会に移管する。 (アク・ポト・トク・ライ・ユキ・タケ・リウ・ビンゴ・アカ・ベルガ) (船上で生まれた子犬、バトラ・テツ・サブ・ゴロ) |
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9月 | タロが里帰りする(29日)。 | |
10月 | 南極観測に参加した樺太犬の霊を慰めるために稚内公園上に、「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」が完成し除幕される(1日)。![]() ![]() この年より稚内南極祭りと慰霊祭が行われる(1日)。 |
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昭和37年 (1962年) |
4月 | 基地閉鎖のため樺太犬3頭(トチ・ハチ・ゴン)帰国。 |
昭和38年 (1963年) |
6月 | タロ暑さの為腸炎となり、衰弱が甚だしい状態から「樺太犬を見守る会」の成瀬 幸子会長が冷房付きの新居を贈り危機を突破する(見舞品沢山届く)。 |
昭和39年 (1964年) |
5月 | 畠山みどりの「南極音頭」が発売(作詞:吉田弘、作曲:市川昭介)(20日)。![]() ![]() |
8月 | 第1回南極踊りの開催、市中行進(9日)。 | |
昭和45年 (1970年) |
8月 | タロ11日午前7時30分老衰の為北大獣医学部家畜病院で死亡。 14歳7ヶ月(人間換算年齢は90歳)。 剥製にし、農学部付属博物館に展示。 ![]() |
11月 | タロを生まれ故郷の稚内に返してもらう運動が起きる。 「タロを稚内の生まれ故郷に返す」会が発足し、関係方面へ嘆願書を提出する。 |
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昭和46年 (1971年) |
8月 | タロの一周忌を記念し樺太犬慰霊祭にタロの剥製を置き、その霊を慰める。 |
昭和48年 (1973年) |
8月 | タロの元飼主山田 恵三氏よりタロの返還運動とタロの保管設備の為に百万円寄贈される。 |
昭和58年 (1983年) |
「タロとジロをいっしょにさせる会」が発足、関係方面へ嘆願書を提出する。 | |
平成3年 (1991年) |
「タロ・ジロを同居させる会」が発足、関係方面へ嘆願書を提出する。 | |
平成10年 (1998年) |
9月 | 「タロ・ジロ里帰り特別展」青少年科学館にて開催、タロとジロが対面する。(2日) |
平成18年 (2006年) |
7月 | 「ふしぎ大陸南極展2006」国立科学博物館にて開催、タロとジロが対面する。(15日) |
参考文献
- 「南極6年史」文部省
- 「南極外史」(財)日本極地研究振興会
- 「稚内百年史」稚内市
- 「犬たちの南極」(中公文庫)菊池徹著
- 「タロ・ジロは生きていた」(教育出版社)藤原一生著
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