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南極観測の歴史(活動記録・出来事等)令和5年の主な活動記録をアップしました。

南極の観測年表

1820年 11月
ナタナエル・パーマー氏(アメリカ)「南極大陸の最初の発見」とされている。
1840年 デュモン・デュルビル氏(フランス)「南磁極の発見と南極周辺の測量」。
1898年
カールステン・ボーヒグルビング(イギリス)「アデア岬で初越冬」。
1911年 12月 ルーアル・アムンセン氏(ノルウェー)「南極点到達」(14日)。
1912年 1月
ロバート・フォルコン・スコット氏(イギリス)「南極点到達」(17日)。
岩石、石炭、化石の標本多数採集。コウテイペンギンなどの調査。
白瀬矗、南緯80度5分に達し、付近一帯を大和雪原と命名(28日)。
1928年 11月 ジョージ・ヒューバート・ウィルキンズ氏(イギリス)「南極初飛行」(16日)。
1929年 11月
リチャード・バード氏(アメリカ)「南極点へ初飛行」(29日)。
1935年 2月 カロリン・ミケルセン夫人(ノルウェー)女性の南極への足跡第1号か?(19日)。
1947年頃
領土権主張の根拠を意識した基地の建設が盛ん。
1948年 フィン・ロンネ夫人(アメリカ)女性の南極初越冬(犬ゾリ旅行で調査)。
1952年 10月 国際学術連合会議(ICSU)開催、国際地球観測年特別委員会(CSAGI)の設置。
昭和30年
(1955年)
9月 CSAGI第2回南極会議で日本の参加と地球物理学諸現象の観測を要請される。
10月
科学技術行政協議会(STAC)で南極観測実施統合本部(仮称)を文部省に設けることを決定。
学術会議第20回総会で南極特別委員会の設置を議決。
11月
南極観測への参加を閣議決定。
文部省内に南極地域観測統合推進本部(本部)を設置。
海上保安庁灯台補給船「宗谷」の改造使用を決定。
12月 第2回本部総会開催で隊長に永田武、船長に松本満次を決定。
昭和31年
(1956年)
1月
朝日新聞社主催の観測隊員総合訓練が北海道濤沸湖で開始(25名参加)。
北海道大学犬飼哲夫教授らの樺太犬調査。北海道内に約1000頭の樺太犬が存在、そのうち約100頭が良好で、そり犬に適していたのは40~50頭。
3月 稚内公園に樺太犬訓練所、犬ぞり訓練開始(20日)。


長野県乗鞍岳で南極観測隊の予備訓練開始(32名参加)。
4月 文部省大学学術局に本部事務室開設。
財団法人日本学術振興会に南極地域観測後援特別委員会(後援会)の設置。
5月 富山県立山天狗小屋付近でそりの性能、雪上車操縦等の訓練開始(樺太犬7頭参加)。
7月 随伴船「海鷹丸」、「宗谷」搭載用飛行機は朝日新聞社セスナ「さちかぜ」に決定。
8月
「宗谷」搭載用ヘリコプター2機、防衛庁から所管替え。
静岡県戸田海岸で観測隊員の一般総合訓練開始(72名参加)。
第1回後援会総会開催、会長に茅誠司。
9月 第4回本部総会開催、観測隊員53名決定。
10月 「海鷹丸」東京港竹芝桟橋出港(25日)。
11月 第1次観測隊(永田武隊長以下53名)「宗谷」(松本満次船長以下77名)東京港晴海ふ頭出港、稚内より樺太犬22頭参加(8日)。
昭和32年
(1957年)
1月 「宗谷」定着氷に接岸、基地設定地をオングル島と決定、揚荷開始(25日)。
2月 雪上車輸送(14日間、約151トン)。
無線棟・居住棟・発電棟が完成、日本との初無線通信(11日)。
第1次越冬隊(西堀栄三郎隊長以下11名)成立(14日)。
「宗谷」離岸(15日)。


「宗谷」氷上悪化、砕氷困難(17日)。
ロシア(旧ソ連)「オビ号」救援に来航(28日)。
3月 稚内において基地アンテナ建設作業訓練。
4月
第5回本部総会開催、第2次観測隊に「宗谷」使用を決定。
第1次越冬隊、ラングホブデ方面の調査・雪上車の耐寒試験。
「宗谷」・「海鷹丸」東京港日の出桟橋帰着(24日)。
6月
第5回本部総会開催、第2次観測隊々長永田武、副隊長村山雅美、船長松本満次を決定。
「宗谷」第2次改造工事開始。
7月 第1次越冬隊、基地内で火事(24日)。
8月
第1次越冬隊、リュツォホルム湾南部の海氷調査・バッタ島対岸調査(犬ぞり)。
山梨県山中湖畔で、第2次隊の一般総合訓練開始(70名参加)。
ICSUは南極観測特別委員会(SCAR)の設置を決定。
10月
第1次越冬隊、ボツンヌーテン山付近の地質調査(犬ぞり)。
第2次観測隊「宗谷」、東京港日の出桟橋出発(21日)。
第1次越冬隊、スカルブスネースの地質調査。日食の観測(23日)。
第1次越冬隊、スカレン地区でウラン鉱を発見。
11月 第1次越冬隊、プリンスオラフ海岸の調査(犬ぞり)。
12月
「宗谷」ブリザードにおそわれ、砕氷困難。
昭和33年
(1958年)
2月 アメリカ「バートンアイランド号」の救援により基地に向け進入開始(7日)。
第1次越冬隊員(11名)と樺太犬6頭を「宗谷」に収容(10日)。


天候悪化のため隊員3名と樺太犬3頭収容(14日)。
「宗谷」、「バートンアイランド号」と共に外洋に脱出(17日)。


第2次越冬隊(7名)成立(23日)。
悪天候のため第2次越冬を断念、樺太犬(15頭)の放棄(24日)。
3月 第1次越冬隊員ケープタウンより空路帰国(24日)。
4月
後援会主催の樺太犬追悼会、越冬観測報告講演会を札幌市・稚内市で開催。
学術会議第26回総会で「南極観測を2か年継続実施すること」を議決。
「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(28日)。
7月
第11回本部総会開催、南極観測の継続を決定。
「宗谷」航空機輸送のため第3次改造工事開始。
9月
茨城県柿岡東京大学地球物理学教室柿岡観測所で第3次隊の総合訓練開始。
第12回本部総会開催、第3次観測隊々長永田武、副隊長村山雅美、船長松本満、観測隊員(35名のうち32名)を決定。
11月 第3次観測隊「宗谷」、東京港日の出桟橋出港(樺太犬3頭参加)(12日)。
昭和34年
(1959年)
1月 第3次観測隊(37名)の偵察ヘリコプターから黒い犬らしきを発見(9日)。
物資の空輸開始、タロ・ジロの生存を確認、基地の再開(14日)。
2月 第3次越冬隊(村山雅美隊長以下14名)の成立(1日)。
「宗谷」外洋に離脱(3日)。

物資の空輸(累計163便、162トン)。
3月
長野県乗鞍岳で第4次隊の雪上における設営、生活の訓練開始(50名参加)。
4月
第3次越冬隊、人工地震による大陸地形氷調査。
「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(13日)。
5月
第3次越冬隊、オーロラ・人工地震の観測調査。
富山県立山で第4次隊、雪ぞり訓練開始(16名参加)。
6月
第10回本部連絡会で第4次観測隊々長立見雄、副隊長鳥居鉄也、船長明田末一郎を決定。
7月 「宗谷」第4次改造工事開始。
8月
第3次越冬隊、バッダ島方面調査。
10月
第3次越冬隊、春の大陸調査(基地より360キロの地点へ)。
ワシントンで南極条約本会議開催。
11月 第3次越冬隊、リュツォホルム奥湾、白瀬氷河を調査(犬ゾリ)。
12月
ワシントンで南極条約に調印(12カ国参加)。
昭和35年
(1960年)
1月
第4次観測隊「宗谷」(36名)、「オビ号」と共同接岸(1日)。
ピストン空輸開始(59便、92トン)
第4次越冬隊(鳥居鉄也隊長以下15名)の成立(18日)。
第3次越冬隊全員帰船、「宗谷」外洋に脱出(18日)。
2月
「宗谷」再度進入開始(2日)。
「宗谷」大氷板にとざされ脱出困難(8日)。
「宗谷」外洋に脱出(11日)。
3月 第4次越冬隊、大陸上陸点を犬ぞりにて偵察

第3次越冬隊員羽田空港着(19日)。
4月
第4次越冬隊、白瀬氷河調査。
「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(23日)。
7月 稚内市で「樺太犬訓練記念碑」除幕式を挙行(3日)。

樺太犬ジロ基地で死亡(9日)。
「宗谷」第5次改造修理工事開始。
南極条約の批准について閣議決定。
8月
第4次越冬隊、基地北方の海氷調査。
第17回本部連絡会開催で第5次観測隊々長村山雅美、船長明田末一郎を決定。
静岡県戸田村で第5次隊の一般総合訓練開始(59名参加)。
第4次越冬隊、スカルブスネースの地質調査。
9月
閣議で南極観測事業は第6次をもって打ち切りを決定。
ロシア(旧ソ連)機モーソン号、オーストラリア基地より飛来。
10月 第4次越冬隊、福島紳隊員遭難(10日)。
11月 第4次越冬隊、大陸調査(基地より300キロの地点へ)、やまと山脈を踏査。
昭和36年
(1961年)
1月
第5次観測隊「宗谷」(35名)、空輸開始(42便、54トン)。
基地にて故福島紳隊員慰霊碑除幕式(11日)。
第5次越冬隊(村山雅美隊長以下16名)成立(26日)。
2月 「みずほ平原」「やまと山脈」「白瀬氷河」「福島岳」を正式に命名を決定。
第5次越冬隊、ヘリコプターで新南岩に上陸。
第5次越冬隊、アムンゼン湾・ホワイト島・キャセイ湾の地形偵察飛行
3月
第5次越冬隊、秋の旅行予備調査(やまと山脈)。
第4次越冬隊員羽田空港着(31日)。
5月
「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(4日)。
樺太犬タロほか14頭、北海道大学植物園に空輸(4日)。
第5次越冬隊、ラングホブデの地質調査。
6月
南極条約発効(23日)。公布(24日)。
第20回本部連絡会開催で第6次観測隊々長吉川虎雄、副隊長原田美道、船長明田末一郎を決定。
7月 キャンベラで第1回南極条約協議会開催。
8月
第5次越冬隊、クック岬調査。
「宗谷」第6次修理工事開始(21日)。
10月 稚内市で「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」除幕式挙行(1日)。

第5次越冬隊、春の内陸調査(やまと山脈)、2台の雪上車事故により折損。
第20回本部連絡会開催で48カ所(「日の出岬」)の地域に正式命名。「海鷹丸」の南極洋調査を了承。
昭和37年
(1962年)
1月
第6次観測隊「宗谷」(18名)、空輸開始(6日)。
基地閉鎖作業本格的に開始(10日)。
2月
基地完全閉鎖、「宗谷」外洋へ脱出(8日)。
衆議院科学技術振興対策特別委員会が南極観測再開を決議。
3月 第5次越冬隊員羽田空港着(16日)。
4月
国立科学博物館に極地学課新設。
「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(17日)。
10月 後援会解散。
11月 中曽根・長谷川両代議士・村山前隊長、アメリカ国立科学財団の招きでアメリカ観測基地マクマード、極点等を訪問
12月 第20回本部総会開催、南極観測の今後の処置について協議。
昭和38年 8月 南極観測再開を閣議決定(恒久観測体制の確立、輸送は防衛庁担当)。
昭和40年 1月 木崎甲子郎・松田達郎、ミールヌイ基地(旧ソ連)経由で昭和基地を視察し異常のないことを確認。
7月 新観測船「ふじ」竣工。
11月 第7次観測隊(村山雅美隊長以下40名、艦長本多敏治)出港。
昭和41年 1月 「ふじ」昭和基地に接岸(空輸22便、大型雪上車を含め400トン)。


昭和基地再開、整備
第7次越冬隊(武藤晃隊長以下18名)成立。
昭和42年 2月 第8次越冬隊(鳥居哲也隊長以下24名)成立。
第8次越冬隊 稚内の石(ジャスパー)を天測点に設置
11月 プラトー基地(アメリカ)への往復調査旅行。
昭和43年 2月 第9次越冬隊(村山雅美隊長以下29名)成立。
第4次越冬隊員福島紳の遺体発見。ケルンを建てる
9月 第9次越冬隊(村山雅美隊長以下11名)、南極点への往復調査旅行
12月 南極点到達(総行程5182キロ、日本隊が史上9番目を記録)(19日)。
昭和44年 1月 第10次観測隊(楠宏隊長)、ロケット発射施設建設。
大気球による超高層観測
2月
第10次越冬隊(楠宏隊長以下29名)成立。
エンダービーランド雪氷長期調査開始(第10次隊)。
やまと山脈調査旅行(第10次隊)。
昭和45年 2月 第11次越冬隊(松田達郎隊長以下30名)成立。
ロケット(S-160)打上げ成功(第11次隊)。
4月 極地研究センター(所長村山雅美)国立科学博物館付属機関として発足。
7月
大陸内部300キロ氷床上に「みずほ観測拠点」を設置(第11次隊)(21日)。
10月 第10回南極条約協議会開催。
昭和46年 1月 「ふじ」推進翼切損。
2月 第12次越冬隊(小口高隊長以下29名)。
ロケット観測(第12次隊)。
みずほ観測拠点整備(第12次隊)
昭和47年 2月 第13次越冬隊(川口貞夫隊長以下30名)。 
みずほ観測拠点で越冬(第13次隊)。
大陸氷の深層ボーリング(第13次隊)
昭和48年 2月
第14次越冬隊(平沢貞夫隊長以下30名)。
やまと山脈までの氷河流動測定調査(第14次隊)。
リュツォ・ホルム湾海底氷蝕谷調査(第14次隊)。
9月
国立極地研究所(所長永田武)創設。
昭和49年 2月 第15次越冬隊(村山望隊長以下30名)。
小型航空機初めて基地に越冬(第15次隊)
やまと山脈で隕石多量発見(663個)(第15次隊)。
昭和50年 2月 第16次越冬隊(量合孝男隊長以下30名)。
航空機による測地観測(第16次隊)。
やまと山脈地質調査(第16次隊)。
基地北西にコウテイペンギンのルッカリ(営巣地)発見(第16次隊)
昭和51年 2月
第17次越冬隊(芳野赳夫隊長以下29名)。
国際磁気圏観測(IMS)始まる(第17次隊)。
オーロラ立体観測のロケット打上げ再開(第17次隊)。
みずほ観測拠点で通年観測始まる(第17次隊)。
3月 南極観測将来計画基本方針策定。
昭和52年 2月 第18次越冬隊(楠宏隊長以下30名)。
IMS第2年度、ロケット観測全機成功(第18次隊)。
超高層無人観測基地建設(第18次隊)。
みずほ基地を正式命名、各国へ通告(第18次隊)。
7月 南極輸送問題調査会議設置、今後の輸送方策について検討開始。
昭和53年
第19次越冬隊(平沢威男隊長以下30名)。         
国産衛星「極光」テレメトリ観測(第19次隊)。
昭和54年
第20次越冬隊(山崎道夫隊長以下32名)。
極域気水圏観測(POLEX)および地学総合三カ年計画始まる(第20次隊)。
やまと山脈で隕石多量発見(約3千個)(第20次隊)。
昭和55年
(1980年)
第21次越冬隊(川口貞夫隊長以下33名)。
人工地震爆破実験(第21次隊)。
みずほ基地高層気象観測(第21次隊)。
セールロンダーネ山脈へ航空機による偵察(第21次隊)。
3月
新砕氷船「しらせ」起工。
昭和基地でセスナ機水没、流出(第21次隊)。
昭和56年
第22次越冬隊(吉田栄夫隊長以下34名)。
POLEXおよび地学総合観測最終年度(第22次隊)。
12月 「しらせ」進水式(11日)
昭和57年 昭和基地で最低気温マイナス45.3度を記録(第23次隊)。
昭和58年
みずほ基地で中層ボーリング開始(第24次隊)。
セールロンダーネ山脈までの内陸調査旅行(第24次隊)。
昭和59年
「しらせ」南極へ就航、接岸。
みずほ基地で700.63mまでの中層ボーリングに成功(第25次隊)。
昭和60年 あすか観測拠点開設
みずほ基地でマイナス61.9度を記録(第26次隊)。
昭和61年
みずほ基地の通年越冬終了(第27次隊)。
「しらせ」オーストラリアの観測船「ネラ・ダン号」を救出。
昭和62年
あすか観測拠点で8人が越冬開始(第28次隊)。
昭和63年
日本隊ではじめて女性隊員(夏隊)参加(第29次隊)。
セールロンダーネ山脈裸氷域で隕石調査中にクレパス転落3人負傷(第29次隊)。
平成 1年 昭和基地に直径11mの多目的アンテナ完成(第30次隊)。
平成 2年 ヘリコプターによるセールロンダーネ山脈の地学調査(第31次隊)。
平成 3年
(1991年)
ポーラーパトロール気球の南極周回に成功(第32次隊)。
平成 4年 廃棄物処理専門家が初めて昭和基地で越冬(第33次隊)。
平成 5年 昭和基地管理棟完成(第34次隊)。
平成 6年 ドームふじ観測拠点の建設(第35次隊)。
平成 7年
ドームふじ観測拠点で9人が越冬開始(第36次隊)。
深層ボーリング開始(第36次隊)。
平成 8年 ドームふじ観測拠点の深層ボーリング2500mを突破(第37次隊)。
平成 9年
第1居住棟完成(第38次隊)。
平成10年
(1998年)
日本隊ではじめての女性越冬隊員(2名)参加(第39次隊)。
第2居住棟完成(第39次隊)。
「しらせ」オーストラリアの観測船「オーロラ・オーストラリス号」を救出。
平成11年 トナー島周辺でヘリコプターによる地学調査(第40次隊)。
平成12年
やまと山脈周辺で隕石3、500個採取(第41次隊)。
平成13年  1992年から行っていた昭和基地の整備が終了(第42次隊)。
平成14年
初めて空路により中継地オーストラリアまで隊員輸送(第43次隊)。
初めて専用の海洋観測船「タンガロア」で観測。
平成15年
(2003年)
NHKが南極局を開設、1年間の越冬放送(第44次隊)。
ドームふじ観測拠点で第2期氷床コア掘削準備のため8人が越冬。
平成16年
航空機(往復)によるドームふじ観測拠点人員輸送。
氷床深層掘削本格化、最終的には3000m以上(第45次隊)。
平成17年
地方治自体職員が2名参加(第46次隊)。
 稚内市役所職員 近江幸秀(越冬隊)、金浦町役場職員 伊藤健(夏隊)
平成18年 日独共同航空機観測による地球物理学的マッピング計画(第47次隊)。
平成19年 ドームふじ観測拠点氷床コア掘削3035mで終了(第48次隊)。
3月 新観測船「しらせ」起工。
11月 観測船「しらせ」最後の航海(第49次隊)。
平成20年
(2008年)
 
4月
12月
新観測船「しらせ」進水式。
無人航空機による長距離気象観測に成功(第49次隊)。
チャーター船オーストラリアのオーロラオーストラリス号(第50次隊)
平成21年


 
11月


 
新観測船「しらせ」就航(第51次隊)
教員が2名参加、南極授業(第51次 夏隊)
セール・ロンダーネ山地の地学調査(第51次隊)
平成22年 11月 教員が2名参加、南極授業(第52次、夏隊)。
千葉県習志野市立大久保小学校、奈良県奈良高校。
地方自治体職員が1名参加。
稚内市役所職員 市川正和(第52次、越冬隊)
平成23年


平成24年
3月

11月
1月
14,000キロメートル離れた昭和基地で東日本大震災の揺れを観測(11日)
昭和基地で部分日食を観測(25日)
新「しらせ」昭和基地沖への接岸を断念。昭和基地から約21㎞に係留(21日)(第53次隊)
平成25年 1月 新「しらせ」昭和基地沖への接岸を断念。昭和基地から約18㎞に係留(10日)(第54次隊)
平成26年 1月

2月

 
新「しらせ」3年ぶりに接岸(10日)。
(第55次隊)
「しらせ」帰路座礁(日本の観測史上初)(16日)。
船底破損するも2日後離礁に成功。
平成27年 1月

 
 
新「しらせ」昭和基地沖に接岸(12日)。
(第56次隊)ラミング数過去最多の3187回を記録。
女性隊員数歴代最多の8名。
大型大気レーダーフルシステムが完成。
平成28年 3月

 
新「しらせ」オーストラリアのモーソン基地沖で座礁した「オーロラ・オーストラリス」を輸送支援
(6日)。
平成29年 南極観測未参加国であるインドネシア・モンゴル・
タイの若手研究者を招き地質調査の共同研究を実施(第58次 夏隊)
ラミン数往路114回、復路0回と新「しらせ」就航後最少を記録。
平成30年 1月

3月

 
新たな大気微量分析装置を昭和基地に導入。(大気中の亜酸化窒素(N20)濃度の精密連続観測を開始。
世界初!南極海での窒素固定調査。
 
令和 1年
(平成31年)
1月
2月

 
白夜のオーロラ観測に成功。(第60次隊)
第1次隊で建設(1957年)の主屋棟の保安調査実施。
(南極史跡記念物への登録方針決定)(第60次隊)
 
令和 2年 1月
3月


6月
 
「しらせ」昭和基地へ接岸(6日)(第61次隊)
ゴム気球で船上気象ゾンデ観測
(気温・湿度・風 等)(第61次隊)
南極教室の実施(岡山県立新見南中学校)
(第61次隊)
 
令和 3年









令和 4年

















令和  5年
10月







12月

1月


8月





 
12月







1月











8月










12月

 
「南極投票制度」(不在者投票制度の一つ)を利用した投票の実施。(第62次隊)
(第49回衆議院議員総選挙に対する投票)

昭和基地で部分日食を観測。(南極地域のみで観測)
(第62次隊)

1月15日に発生した海底火山の噴火を南極でも観測。
また、昭和基地でトンガの海底火山のによる津波も観測。
気象部門が昭和基地沖の海氷上で「雪尺観測」

南極ドームふじのアイスコア掘削地点を決定。
~100万年を超える最古級のアイスコア採取に向け、観測拠点建設に着手~

海氷下の魚を探る「お魚チーム」の調査が本格化。
南極の海氷の下で生息している魚の行動範囲や何を食べているか、繁殖期はいつなのか、寿命はどれくらいなのか、など、魚の行動と生態を明らかにするための調査です。
 
昭和基地で見られる様々な大気現象
極夜が明けてからの8月12日久々に天候に恵まれ、非常に明確な蜃気楼が見えました。
氷山が上空に向かって伸びたり、反転しているように見えます。


ペンギンセンサス
毎年11月と12月の上旬にそれぞれ、決められた場所で、アデリーペンギンの個体数調査と営巣数調査を行っています。この調査のことを、「ペンギンセンサス」と言います。日本の南極観測隊は1960年代からアデリーペンギンを調べていてて、南極全体のペンギンの動向を考えるうえで貴重な長期データを世界に提供しています。

 
  
参考図書
「南極6年史」文部省発行
「南極外史」(財)日本極地研究振興会
「南極観測のホームページ」国立極地研究所

お問い合わせ先

教育委員会教育部科学振興課
稚内市ノシャップ2丁目2番16号(青少年科学館・ノシャップ寒流水族館内)
科学館グループ 0162-22-5100(直通) 水族館グループ 0162-23-6278(直通)

メールでのお問い合わせはこちら

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