南極観測の歴史(活動記録・出来事等)令和5年の主な活動記録をアップしました。
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更新日:2024年11月20日
南極の観測年表
年号(西暦) | 月 | 出来事 |
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1820年 | 11月 | ナタナエル・パーマー氏(アメリカ)「南極大陸の最初の発見」とされている。 |
1840年 | デュモン・デュルビル氏(フランス)「南磁極の発見と南極周辺の測量」。 | |
1898年 | カールステン・ボーヒグルビング(イギリス)「アデア岬で初越冬」。 | |
1911年 | 12月 | ルーアル・アムンセン氏(ノルウェー)「南極点到達」(14日)。 |
1912年 | 1月 | ロバート・フォルコン・スコット氏(イギリス)「南極点到達」(17日)。 岩石、石炭、化石の標本多数採集。コウテイペンギンなどの調査。 白瀬矗、南緯80度5分に達し、付近一帯を大和雪原と命名(28日)。 |
1928年 | 11月 | ジョージ・ヒューバート・ウィルキンズ氏(イギリス)「南極初飛行」(16日)。 |
1929年 | 11月 | リチャード・バード氏(アメリカ)「南極点へ初飛行」(29日)。 |
1935年 | 2月 | カロリン・ミケルセン夫人(ノルウェー)女性の南極への足跡第1号か?(19日)。 |
1947年頃 | 領土権主張の根拠を意識した基地の建設が盛ん。 | |
1948年 | フィン・ロンネ夫人(アメリカ)女性の南極初越冬(犬ゾリ旅行で調査)。 | |
1952年 | 10月 | 国際学術連合会議(ICSU)開催、国際地球観測年特別委員会(CSAGI)の設置。 |
昭和30年 (1955年) |
9月 | CSAGI第2回南極会議で日本の参加と地球物理学諸現象の観測を要請される。 |
10月 | 科学技術行政協議会(STAC)で南極観測実施統合本部(仮称)を文部省に設けることを決定。 学術会議第20回総会で南極特別委員会の設置を議決。 |
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11月 | 南極観測への参加を閣議決定。 文部省内に南極地域観測統合推進本部(本部)を設置。 海上保安庁灯台補給船「宗谷」の改造使用を決定。 |
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12月 | 第2回本部総会開催で隊長に永田武、船長に松本満次を決定。 | |
昭和31年 (1956年) |
1月 | 朝日新聞社主催の観測隊員総合訓練が北海道濤沸湖で開始(25名参加)。 北海道大学犬飼哲夫教授らの樺太犬調査。北海道内に約1000頭の樺太犬が存在、そのうち約100頭が良好で、そり犬に適していたのは40~50頭。 |
3月 | 稚内公園に樺太犬訓練所、犬ぞり訓練開始(20日)。![]() 長野県乗鞍岳で南極観測隊の予備訓練開始(32名参加)。 |
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4月 | 文部省大学学術局に本部事務室開設。 財団法人日本学術振興会に南極地域観測後援特別委員会(後援会)の設置。 |
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5月 | 富山県立山天狗小屋付近でそりの性能、雪上車操縦等の訓練開始(樺太犬7頭参加)。 | |
7月 | 随伴船「海鷹丸」、「宗谷」搭載用飛行機は朝日新聞社セスナ「さちかぜ」に決定。 | |
8月 | 「宗谷」搭載用ヘリコプター2機、防衛庁から所管替え。 静岡県戸田海岸で観測隊員の一般総合訓練開始(72名参加)。 第1回後援会総会開催、会長に茅誠司。 |
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9月 | 第4回本部総会開催、観測隊員53名決定。 | |
10月 | 「海鷹丸」東京港竹芝桟橋出港(25日)。 | |
11月 | 第1次観測隊(永田武隊長以下53名)「宗谷」(松本満次船長以下77名)東京港晴海ふ頭出港、稚内より樺太犬22頭参加(8日)。![]() |
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昭和32年 (1957年) |
1月 | 「宗谷」定着氷に接岸、基地設定地をオングル島と決定、揚荷開始(25日)。![]() |
2月 | 雪上車輸送(14日間、約151トン)。 無線棟・居住棟・発電棟が完成、日本との初無線通信(11日)。 第1次越冬隊(西堀栄三郎隊長以下11名)成立(14日)。 「宗谷」離岸(15日)。 ![]() 「宗谷」氷上悪化、砕氷困難(17日)。 ロシア(旧ソ連)「オビ号」救援に来航(28日)。 |
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3月 | 稚内において基地アンテナ建設作業訓練。 | |
4月 | 第5回本部総会開催、第2次観測隊に「宗谷」使用を決定。 第1次越冬隊、ラングホブデ方面の調査・雪上車の耐寒試験。 「宗谷」・「海鷹丸」東京港日の出桟橋帰着(24日)。 |
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6月 | 第5回本部総会開催、第2次観測隊々長永田武、副隊長村山雅美、船長松本満次を決定。 「宗谷」第2次改造工事開始。 |
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7月 | 第1次越冬隊、基地内で火事(24日)。 | |
8月 | 第1次越冬隊、リュツォホルム湾南部の海氷調査・バッタ島対岸調査(犬ぞり)。 山梨県山中湖畔で、第2次隊の一般総合訓練開始(70名参加)。 ICSUは南極観測特別委員会(SCAR)の設置を決定。 |
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10月 | 第1次越冬隊、ボツンヌーテン山付近の地質調査(犬ぞり)。 第2次観測隊「宗谷」、東京港日の出桟橋出発(21日)。 第1次越冬隊、スカルブスネースの地質調査。日食の観測(23日)。 第1次越冬隊、スカレン地区でウラン鉱を発見。 |
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11月 | 第1次越冬隊、プリンスオラフ海岸の調査(犬ぞり)。 | |
12月 | 「宗谷」ブリザードにおそわれ、砕氷困難。 | |
昭和33年 (1958年) |
2月 | アメリカ「バートンアイランド号」の救援により基地に向け進入開始(7日)。 第1次越冬隊員(11名)と樺太犬6頭を「宗谷」に収容(10日)。 ![]() 天候悪化のため隊員3名と樺太犬3頭収容(14日)。 「宗谷」、「バートンアイランド号」と共に外洋に脱出(17日)。 ![]() 第2次越冬隊(7名)成立(23日)。 悪天候のため第2次越冬を断念、樺太犬(15頭)の放棄(24日)。 |
3月 | 第1次越冬隊員ケープタウンより空路帰国(24日)。 | |
4月 | 後援会主催の樺太犬追悼会、越冬観測報告講演会を札幌市・稚内市で開催。 学術会議第26回総会で「南極観測を2か年継続実施すること」を議決。 「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(28日)。 |
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7月 | 第11回本部総会開催、南極観測の継続を決定。 「宗谷」航空機輸送のため第3次改造工事開始。 |
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9月 | 茨城県柿岡東京大学地球物理学教室柿岡観測所で第3次隊の総合訓練開始。 第12回本部総会開催、第3次観測隊々長永田武、副隊長村山雅美、船長松本満、観測隊員(35名のうち32名)を決定。 |
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11月 | 第3次観測隊「宗谷」、東京港日の出桟橋出港(樺太犬3頭参加)(12日)。 | |
昭和34年 (1959年) |
1月 | 第3次観測隊(37名)の偵察ヘリコプターから黒い犬らしきを発見(9日)。 物資の空輸開始、タロ・ジロの生存を確認、基地の再開(14日)。 ![]() |
2月 | 第3次越冬隊(村山雅美隊長以下14名)の成立(1日)。 「宗谷」外洋に離脱(3日)。 ![]() 物資の空輸(累計163便、162トン)。 |
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3月 | 長野県乗鞍岳で第4次隊の雪上における設営、生活の訓練開始(50名参加)。 | |
4月 | 第3次越冬隊、人工地震による大陸地形氷調査。 「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(13日)。 |
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5月 | 第3次越冬隊、オーロラ・人工地震の観測調査。 富山県立山で第4次隊、雪ぞり訓練開始(16名参加)。 |
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6月 | 第10回本部連絡会で第4次観測隊々長立見雄、副隊長鳥居鉄也、船長明田末一郎を決定。 | |
7月 | 「宗谷」第4次改造工事開始。 | |
8月 | 第3次越冬隊、バッダ島方面調査。 | |
10月 | 第3次越冬隊、春の大陸調査(基地より360キロの地点へ)。 ワシントンで南極条約本会議開催。 |
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11月 | 第3次越冬隊、リュツォホルム奥湾、白瀬氷河を調査(犬ゾリ)。 | |
12月 | ワシントンで南極条約に調印(12カ国参加)。 | |
昭和35年 (1960年) |
1月 | 第4次観測隊「宗谷」(36名)、「オビ号」と共同接岸(1日)。 ピストン空輸開始(59便、92トン) 第4次越冬隊(鳥居鉄也隊長以下15名)の成立(18日)。 第3次越冬隊全員帰船、「宗谷」外洋に脱出(18日)。 |
2月 | 「宗谷」再度進入開始(2日)。 「宗谷」大氷板にとざされ脱出困難(8日)。 「宗谷」外洋に脱出(11日)。 |
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3月 | 第4次越冬隊、大陸上陸点を犬ぞりにて偵察。![]() 第3次越冬隊員羽田空港着(19日)。 |
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4月 | 第4次越冬隊、白瀬氷河調査。 「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(23日)。 |
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7月 | 稚内市で「樺太犬訓練記念碑」除幕式を挙行(3日)。![]() 樺太犬ジロ基地で死亡(9日)。 「宗谷」第5次改造修理工事開始。 南極条約の批准について閣議決定。 |
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8月 | 第4次越冬隊、基地北方の海氷調査。 第17回本部連絡会開催で第5次観測隊々長村山雅美、船長明田末一郎を決定。 静岡県戸田村で第5次隊の一般総合訓練開始(59名参加)。 第4次越冬隊、スカルブスネースの地質調査。 |
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9月 | 閣議で南極観測事業は第6次をもって打ち切りを決定。 ロシア(旧ソ連)機モーソン号、オーストラリア基地より飛来。 |
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10月 | 第4次越冬隊、福島紳隊員遭難(10日)。 | |
11月 | 第4次越冬隊、大陸調査(基地より300キロの地点へ)、やまと山脈を踏査。 | |
昭和36年 (1961年) |
1月 | 第5次観測隊「宗谷」(35名)、空輸開始(42便、54トン)。 基地にて故福島紳隊員慰霊碑除幕式(11日)。 第5次越冬隊(村山雅美隊長以下16名)成立(26日)。 |
2月 | 「みずほ平原」「やまと山脈」「白瀬氷河」「福島岳」を正式に命名を決定。 第5次越冬隊、ヘリコプターで新南岩に上陸。 第5次越冬隊、アムンゼン湾・ホワイト島・キャセイ湾の地形偵察飛行。 ![]() |
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3月 | 第5次越冬隊、秋の旅行予備調査(やまと山脈)。 第4次越冬隊員羽田空港着(31日)。 |
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5月 | 「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(4日)。 樺太犬タロほか14頭、北海道大学植物園に空輸(4日)。 第5次越冬隊、ラングホブデの地質調査。 |
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6月 | 南極条約発効(23日)。公布(24日)。 第20回本部連絡会開催で第6次観測隊々長吉川虎雄、副隊長原田美道、船長明田末一郎を決定。 |
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7月 | キャンベラで第1回南極条約協議会開催。 | |
8月 | 第5次越冬隊、クック岬調査。 「宗谷」第6次修理工事開始(21日)。 |
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10月 | 稚内市で「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」除幕式挙行(1日)。![]() 第5次越冬隊、春の内陸調査(やまと山脈)、2台の雪上車事故により折損。 第20回本部連絡会開催で48カ所(「日の出岬」)の地域に正式命名。「海鷹丸」の南極洋調査を了承。 |
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昭和37年 (1962年) |
1月 | 第6次観測隊「宗谷」(18名)、空輸開始(6日)。 基地閉鎖作業本格的に開始(10日)。 |
2月 | 基地完全閉鎖、「宗谷」外洋へ脱出(8日)。 衆議院科学技術振興対策特別委員会が南極観測再開を決議。 |
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3月 | 第5次越冬隊員羽田空港着(16日)。 | |
4月 | 国立科学博物館に極地学課新設。 「宗谷」東京港日の出桟橋帰着(17日)。 |
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10月 | 後援会解散。 | |
11月 | 中曽根・長谷川両代議士・村山前隊長、アメリカ国立科学財団の招きでアメリカ観測基地マクマード、極点等を訪問。![]() |
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12月 | 第20回本部総会開催、南極観測の今後の処置について協議。 | |
昭和38年 (1963年) |
8月 | 南極観測再開を閣議決定(恒久観測体制の確立、輸送は防衛庁担当)。 |
昭和40年 (1965年) |
1月 | 木崎甲子郎・松田達郎、ミールヌイ基地(旧ソ連)経由で昭和基地を視察し異常のないことを確認。 |
7月 | 新観測船「ふじ」竣工。 | |
11月 | 第7次観測隊(村山雅美隊長以下40名、艦長本多敏治)出港。 | |
昭和41年 (1966年) |
1月 | 「ふじ」昭和基地に接岸(空輸22便、大型雪上車を含め400トン)。![]() 昭和基地再開、整備。 第7次越冬隊(武藤晃隊長以下18名)成立。 ![]() |
昭和42年 (1967年) |
2月 | 第8次越冬隊(鳥居哲也隊長以下24名)成立。 第8次越冬隊 稚内の石(ジャスパー)を天測点に設置。 ![]() |
11月 | プラトー基地(アメリカ)への往復調査旅行。 | |
昭和43年 (1968年) |
2月 | 第9次越冬隊(村山雅美隊長以下29名)成立。 第4次越冬隊員福島紳の遺体発見。ケルンを建てる。 ![]() |
9月 | 第9次越冬隊(村山雅美隊長以下11名)、南極点への往復調査旅行。![]() |
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12月 | 南極点到達(総行程5182キロ、日本隊が史上9番目を記録)(19日)。 | |
昭和44年 (1969年) |
1月 | 第10次観測隊(楠宏隊長)、ロケット発射施設建設。 大気球による超高層観測。 ![]() |
2月 | 第10次越冬隊(楠宏隊長以下29名)成立。 エンダービーランド雪氷長期調査開始(第10次隊)。 やまと山脈調査旅行(第10次隊)。 |
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昭和45年 (1970年) |
2月 | 第11次越冬隊(松田達郎隊長以下30名)成立。 ロケット(S-160)打上げ成功(第11次隊)。 ![]() |
4月 | 極地研究センター(所長村山雅美)国立科学博物館付属機関として発足。 | |
7月 | 大陸内部300キロ氷床上に「みずほ観測拠点」を設置(第11次隊)(21日)。 | |
10月 | 第10回南極条約協議会開催。 | |
昭和46年 (1971年) |
1月 | 「ふじ」推進翼切損。 |
2月 | 第12次越冬隊(小口高隊長以下29名)。 ロケット観測(第12次隊)。 みずほ観測拠点整備(第12次隊)。 ![]() |
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昭和47年 (1972年) |
2月 | 第13次越冬隊(川口貞夫隊長以下30名)。 みずほ観測拠点で越冬(第13次隊)。 大陸氷の深層ボーリング(第13次隊)。 ![]() |
昭和48年 (1973年) |
2月 | 第14次越冬隊(平沢貞夫隊長以下30名)。 やまと山脈までの氷河流動測定調査(第14次隊)。 リュツォ・ホルム湾海底氷蝕谷調査(第14次隊)。 |
9月 | 国立極地研究所(所長永田武)創設。 | |
昭和49年 (1974年) |
2月 | 第15次越冬隊(村山望隊長以下30名)。 小型航空機初めて基地に越冬(第15次隊)。 やまと山脈で隕石多量発見(663個)(第15次隊)。 |
昭和50年 (1975年) |
2月 | 第16次越冬隊(量合孝男隊長以下30名)。 航空機による測地観測(第16次隊)。 やまと山脈地質調査(第16次隊)。 基地北西にコウテイペンギンのルッカリ(営巣地)発見(第16次隊)。 ![]() |
昭和51年 (1976年) |
2月 | 第17次越冬隊(芳野赳夫隊長以下29名)。 国際磁気圏観測(IMS)始まる(第17次隊)。 オーロラ立体観測のロケット打上げ再開(第17次隊)。 みずほ観測拠点で通年観測始まる(第17次隊)。 |
3月 | 南極観測将来計画基本方針策定。 | |
昭和52年 (1977年) |
2月 | 第18次越冬隊(楠宏隊長以下30名)。 IMS第2年度、ロケット観測全機成功(第18次隊)。 超高層無人観測基地建設(第18次隊)。 みずほ基地を正式命名、各国へ通告(第18次隊)。 ![]() |
7月 | 南極輸送問題調査会議設置、今後の輸送方策について検討開始。 | |
昭和53年 (1978年) |
第19次越冬隊(平沢威男隊長以下30名)。 国産衛星「極光」テレメトリ観測(第19次隊)。 |
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昭和54年 (1979年) |
第20次越冬隊(山崎道夫隊長以下32名)。 極域気水圏観測(POLEX)および地学総合三カ年計画始まる(第20次隊)。 やまと山脈で隕石多量発見(約3千個)(第20次隊)。 |
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昭和55年 (1980年) |
第21次越冬隊(川口貞夫隊長以下33名)。 人工地震爆破実験(第21次隊)。 みずほ基地高層気象観測(第21次隊)。 セールロンダーネ山脈へ航空機による偵察(第21次隊)。 |
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3月 | 新砕氷船「しらせ」起工。 昭和基地でセスナ機水没、流出(第21次隊)。 |
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昭和56年 (1981年) |
第22次越冬隊(吉田栄夫隊長以下34名)。 POLEXおよび地学総合観測最終年度(第22次隊)。 |
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12月 | 「しらせ」進水式(11日)。![]() |
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昭和57年 (1982年) |
昭和基地で最低気温マイナス45.3度を記録(第23次隊)。 | |
昭和58年 (1983年) |
みずほ基地で中層ボーリング開始(第24次隊)。 セールロンダーネ山脈までの内陸調査旅行(第24次隊)。 |
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昭和59年 (1984年) |
「しらせ」南極へ就航、接岸。 みずほ基地で700.63mまでの中層ボーリングに成功(第25次隊)。 |
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昭和60年 (1985年) |
あすか観測拠点開設。 みずほ基地でマイナス61.9度を記録(第26次隊)。 ![]() |
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昭和61年 (1986年) |
みずほ基地の通年越冬終了(第27次隊)。 「しらせ」オーストラリアの観測船「ネラ・ダン号」を救出。 |
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昭和62年 (1987年) |
あすか観測拠点で8人が越冬開始(第28次隊)。 | |
昭和63年 (1988年) |
日本隊ではじめて女性隊員(夏隊)参加(第29次隊)。 セールロンダーネ山脈裸氷域で隕石調査中にクレパス転落3人負傷(第29次隊)。 |
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平成1年 (1989年) |
昭和基地に直径11メートルの多目的アンテナ完成(第30次隊)。 | |
平成2年 (1990年) |
ヘリコプターによるセールロンダーネ山脈の地学調査(第31次隊)。 | |
平成3年 (1991年) |
ポーラーパトロール気球の南極周回に成功(第32次隊)。 | |
平成4年 (1992年) |
廃棄物処理専門家が初めて昭和基地で越冬(第33次隊)。 | |
平成5年 (1993年) |
昭和基地管理棟完成(第34次隊)。 | |
平成6年 (1994年) |
ドームふじ観測拠点の建設(第35次隊)。![]() |
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平成7年 (1995年) |
ドームふじ観測拠点で9人が越冬開始(第36次隊)。 深層ボーリング開始(第36次隊)。 |
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平成8年 (1996年) |
ドームふじ観測拠点の深層ボーリング2500mを突破(第37次隊)。 | |
平成9年 (1997年) |
第1居住棟完成(第38次隊)。 | |
平成10年 (1998年) |
日本隊ではじめての女性越冬隊員(2名)参加(第39次隊)。 第2居住棟完成(第39次隊)。 「しらせ」オーストラリアの観測船「オーロラ・オーストラリス号」を救出。 |
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平成11年 (1999年) |
トナー島周辺でヘリコプターによる地学調査(第40次隊)。 | |
平成12年 (2000年) |
やまと山脈周辺で隕石3、500個採取(第41次隊)。 | |
平成13年 (2001年) |
1992年から行っていた昭和基地の整備が終了(第42次隊)。 | |
平成14年 (2002年) |
初めて空路により中継地オーストラリアまで隊員輸送(第43次隊)。 初めて専用の海洋観測船「タンガロア」で観測。 |
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平成15年 (2003年) |
NHKが南極局を開設、1年間の越冬放送(第44次隊)。 ドームふじ観測拠点で第2期氷床コア掘削準備のため8人が越冬。 |
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平成16年 (2004年) |
航空機(往復)によるドームふじ観測拠点人員輸送。 氷床深層掘削本格化、最終的には3,000メートル以上(第45次隊)。 |
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平成17年 (2005年) |
地方治自体職員が2名参加(第46次隊)。 稚内市役所職員 近江幸秀(越冬隊)、金浦町役場職員 伊藤健(夏隊) |
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平成18年 (2006年) |
日独共同航空機観測による地球物理学的マッピング計画(第47次隊)。 | |
平成19年 (2007年) |
ドームふじ観測拠点氷床コア掘削3035mで終了(第48次隊)。 | |
3月 | 新観測船「しらせ」起工。 | |
11月 | 観測船「しらせ」最後の航海(第49次隊)。 | |
平成20年 (2008年) |
4月 | 新観測船「しらせ」進水式。 |
12月 | 無人航空機による長距離気象観測に成功(第49次隊)。 チャーター船オーストラリアのオーロラオーストラリス号(第50次隊) |
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平成21年 (2009年) |
11月 | 新観測船「しらせ」就航(第51次隊) 教員が2名参加、南極授業(第51次、夏隊) セール・ロンダーネ山地の地学調査(第51次隊) |
平成22年 (2010年) |
11月 | 教員が2名参加、南極授業(第52次、夏隊)。 千葉県習志野市立大久保小学校、奈良県奈良高校。 地方自治体職員が1名参加。 稚内市役所職員 市川正和(第52次、越冬隊) |
平成23年 (2011年) |
3月 | 14,000キロメートル離れた昭和基地で東日本大震災の揺れを観測(11日) |
11月 | 昭和基地で部分日食を観測(25日) | |
平成24年 (2012年) |
1月 | 新「しらせ」昭和基地沖への接岸を断念。昭和基地から約21kmに係留(21日)(第53次隊) |
平成25年 (2013年) |
1月 | 新「しらせ」昭和基地沖への接岸を断念。昭和基地から約18kmに係留(10日)(第54次隊) |
平成26年 (2014年) |
1月 | 新「しらせ」3年ぶりに接岸(10日)。(第55次隊) |
2月 | 「しらせ」帰路座礁(日本の観測史上初)(16日)。船底破損するも2日後離礁に成功。 | |
平成27年 (2015年) |
1月 | 新「しらせ」昭和基地沖に接岸(12日)。 (第56次隊)ラミング数過去最多の3187回を記録。 女性隊員数歴代最多の8名。 大型大気レーダーフルシステムが完成。 |
平成28年 (2016年) |
3月 | 新「しらせ」オーストラリアのモーソン基地沖で座礁した「オーロラ・オーストラリス」を輸送支援(6日)。 |
平成29年 (2017年) |
南極観測未参加国であるインドネシア・モンゴル・タイの若手研究者を招き地質調査の共同研究を実施(第58次 夏隊) ラミン数往路114回、復路0回と新「しらせ」就航後最少を記録。 |
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平成30年 (2018年) |
1月 | 新たな大気微量分析装置を昭和基地に導入。(大気中の亜酸化窒素(N20)濃度の精密連続観測を開始。 |
3月 | 世界初!南極海での窒素固定調査。 | |
平成31年 令和1年 (2019年) |
1月 | 白夜のオーロラ観測に成功。(第60次隊) |
2月 | 第1次隊で建設(1957年)の主屋棟の保安調査実施。 (南極史跡記念物への登録方針決定)(第60次隊) |
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令和2年 (2020年) |
1月 | 「しらせ」昭和基地へ接岸(6日)(第61次隊) |
3月 | ゴム気球で船上気象ゾンデ観測(気温・湿度・風 等)(第61次隊) | |
6月 | 南極教室の実施(岡山県立新見南中学校)(第61次隊) | |
令和3年 (2021年) |
10月 | 「南極投票制度」(不在者投票制度の一つ)を利用した投票の実施。(第62次隊) (第49回衆議院議員総選挙に対する投票) ![]() |
12月 | 昭和基地で部分日食を観測。(南極地域のみで観測)(第62次隊) | |
令和4年 (2022年) |
1月 | 1月15日に発生した海底火山の噴火を南極でも観測。 また、昭和基地でトンガの海底火山のによる津波も観測。 |
8月 | 気象部門が昭和基地沖の海氷上で「雪尺観測」![]() |
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12月 | 南極ドームふじのアイスコア掘削地点を決定。 100万年を超える最古級のアイスコア採取に向け、観測拠点建設に着手 ![]() |
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令和5年 (2023年) |
1月 | 海氷下の魚を探る「お魚チーム」の調査が本格化。 南極の海氷の下で生息している魚の行動範囲や何を食べているか、繁殖期はいつなのか、寿命はどれくらいなのか、など、魚の行動と生態を明らかにするための調査です。 ![]() ![]() |
8月 | 昭和基地で見られる様々な大気現象 極夜が明けてからの8月12日久々に天候に恵まれ、非常に明確な蜃気楼が見えました。 氷山が上空に向かって伸びたり、反転しているように見えます。 ![]() |
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12月 | ペンギンセンサス 毎年11月と12月の上旬にそれぞれ、決められた場所で、アデリーペンギンの個体数調査と営巣数調査を行っています。この調査のことを、「ペンギンセンサス」と言います。日本の南極観測隊は1960年代からアデリーペンギンを調べていてて、南極全体のペンギンの動向を考えるうえで貴重な長期データを世界に提供しています。 ![]() |
参考図書
- 「南極6年史」文部省発行
- 「南極外史」(財)日本極地研究振興会
- 「南極観測のホームページ」国立極地研究所
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