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<ネベリスク市児童生徒芸術学校 弦楽芸術アンサンブル>の稚内公演(2013年6月16~19日)

6月14日から6月20日の日程で、<ネベリスク市児童生徒芸術学校 弦楽芸術アンサンブル>の皆さんが稚内を訪れました。9歳から17歳の児童生徒14名と指導の先生3名の計17名で、一般向けに稚内市立図書館多目的ホールで演奏会を催した他、市内5つの小中学校を訪ねて演奏を披露しました。

一般向け演奏会では、文字どおり「会場から溢れる」程の聴衆が訪れ、急遽椅子を追加した程でした。一部の方に椅子を出すのを手伝って頂く場面まで在りました。御協力ありがとうございました。

市内5つの小中学校では、各校の児童生徒の皆さんに加えて、近くの保育所の児童や校区にお住いの皆さんが来場し、「小さなアーティスト」の熱演を愉しんで頂き、学校関係者の皆さんにも円滑な運営に向けて御協力を頂きました。温かく一行を迎えて下さった多くの皆さんに感謝申し上げます。

一行は6月20日のフェリーに乗船し、思い出を胸に、沢山のお土産を抱えて帰国しましたが、各演奏会でのメンバーの様子等を振り返ります。

2013年6月16日 図書館多目的ホールでの演奏会「稚内市立図書館多目的ホール」(6月16日)

6月14日の早朝6時半(※日本時間で4時半)にネべリスクを出発した一行はコルサコフ港から<アインス宗谷>に乗船し、稚内港へやって来ました。

稚内に着いた一行は、市長表敬や市内見学をし、稚内音楽文化協議会からお招きを頂いた札幌交響楽団の定期演奏会―サハリンの児童生徒が来場することを見越したかのように、ロシアの作曲家チャイコフスキーの管弦楽作品が演奏されました。―を鑑賞するなどしていましたが、6月15日になって指導の先生が言い出しました。「概ね2日間、楽器に触っていない。音を出して練習したい」ということでした。

宿泊先の部屋で演奏をするのでは、廊下に音も漏れ、他の宿泊客に迷惑を掛けてしまう―後に演奏会で知ることになるのですが、アコースティックのバイオリンは想像以上に力強く大きな音がします。―ことから、空いていた宴会場を急遽「練習会場」としてお借りすることになりました。

本番前夜に“緊急練習会”も催した一行でしたが、演奏会当日には、会場となった稚内市立図書館多目的ホールで朝から熱心にリハーサルを行いました。昼食でリハーサルは中断しましたが、昼食後に衣装に着替え、一息入れてからも、更にリハーサルを続けていました。

会場には午後1時を少し過ぎた辺りから聴衆が訪れ始め、開場を予定していた午後1時45分を過ぎても熱の籠ったリハーサルは続き、午後1時54分頃に漸く開場しました。

開場してみると、続々と聴衆が訪れ、忽ち会場は身動きが出来ない程になりました。

この一般向けの演奏会では、総演奏時間が1時間弱のプログラムが組まれていました。ソロパートが在る曲では、そのパートの演奏を担当するメンバーが前に出ましたが、原則的にメンバー全員が横一列に並び、指導の先生の分も含めた「16本のバイオリン」がピアノ伴奏で一斉に演奏されるという独特な演奏スタイルでした。

クラシックからポピュラーまで、様々な曲が演奏されましたが、演奏終了後は拍手が鳴り止みませんでした。

この図書館での演奏会には、日ロ両国の善隣友好の促進に努める在札幌ロシア連邦総領事館からアルトゥーホフ領事にお運びを頂きました。

2013年6月17日 港小学校での演奏会「港小学校」(6月17日)

今回の一行では、指導の先生が稚内に来た経験が在った他、昨年の稚内・ネべリスク両市の生徒による交流に参加した経過が在る1人を除いて「初来日」でした。初来日のメンバーは当然ですが、2回目のメンバーや来日経過の在る先生も「普通に授業が行われている時季の学校」を訪れるのは初めてであった筈です。

そういう訳で、今回の訪問で初めてとなった港小学校での公演は、公演を行う側も興味津々で会場入りしました。

メンバーの間で話題になっていたのは、授業時間の始まりや終わりを告げる「学校のチャイム」でした。

日本の学校でお馴染みな「キーン、コーン、カーン、コーン」のメロディーが校舎内に流れると「これ?何?」と不思議そうな顔をします。授業時間の始まりや終わりを告げるものであることを説明すると、益々不思議そうな顔をします。サハリンの学校、或いはロシアの学校では「ジリーン」と文字どおりにベルが鳴るのが普通だそうです。

「学校のチャイム」に好奇心を刺激されたメンバーでしたが、そのうち手持ちのバイオリンで「キーン、コーン、カーン、コーン」のメロディーを演奏するメンバーが現れました。流石に、日頃から楽器演奏に親しんでいる児童生徒です。最終日には、リハーサルの息抜きなのか、メンバー全員でその「キーン、コーン、カーン、コーン」を演奏している場面も見受けられました。

各学校では、総演奏時間が30分間程度のプログラムが組まれていました。「バイオリンの生演奏」というもの自体、余り聴く機会が無いかもしれませんが、「16本のバイオリン」がピアノ伴奏で一斉に演奏されるというスタイルに、港小学校の皆さんも驚いていたようです。

2013年6月18日 宗谷中学校での演奏会「宗谷中学校」(6月18日)

<ネベリスク市児童生徒芸術学校 弦楽芸術アンサンブル>による稚内公演の準備の中で、市内の小中学校での演奏を計画したところ、5つの小中学校から受入れを申し出て頂きました。宗谷中学校もその1つですが、宗谷中学校では富磯小学校、宗谷小学校の児童の皆さんも演奏会に招いて頂きました。

今回の一行が宿泊したのは南稚内駅周辺でしたが、宿泊先と宗谷中学校をバスで往来する際には、メンバーは興味深げに車窓を見詰めていました。

一方が海岸で、他方が丘陵というような宗谷周辺の地形を視て、メンバーの一人が「Японский Невельск…」(イポンスキー ネーヴェリスク)と呟きました。これが何となくメンバーや先生達の間で流行りました。

「Японский Невельск」(イポンスキー ネーヴェリスク)というのは、「日本のネべリスク」という程の意味になるでしょうか。稚内市内の一部の自然景観が、ネべリスクのそれに酷似している様を形容したものです。ネべリスクからゲストを迎えた場合、彼らが自然景観が酷似していることに驚くのは珍しいことではありませんが、“小学生目線”であってもそのように見えるということに少々驚かされます。稚内の在る北海道の北端部と、ネべリスクが在るサハリンの南西部の海岸は、氷河期には「一つの陸地」であったということが思い起こされます。

サハリンの、或いはロシアの学校は、日本の小学生から高校生に相当する“1年生”から“11年生”までが同一の学校という仕組みです。普段から宗谷中学校に学ぶ生徒達の他、小学生を迎えた様子は、何処となくサハリンの学校の様子を想像するものも在りました。

宗谷中学校では、演奏会後にメンバーが中学生と一緒に学校給食を頂きました。メンバーや先生達の中には「こちらの給食はボリュームが在る」と思った人も在ったようです。サハリンの学校でも給食が在るそうです。

2013年6月18日 潮美が丘中学校での記念写真「潮見が丘中学校」(6月18日)

宗谷中学校で給食を頂いた後、潮見が丘中学校まで急いでバスで移動しました。

公演も通算4回目となると、準備の手際も良くなり、演奏会場となった体育館で手早く準備を進めて、生徒の皆さんがやって来るのを待ち受けました。

潮見が丘中学校は3階建ての校舎です。1階に教室が在るクラスから3階に教室が在るクラスという順に、椅子を持って生徒達が体育館に集まり始めました。

実は、今回訪れた各校の中では、この潮見が丘中学校が最も生徒数が多い学校でした。次第に増えていく生徒達を視ながら、メンバーは「沢山居る!何人居るのだろう?」と目を瞠っていました。

<ネベリスク市児童生徒芸術学校 弦楽芸術アンサンブル>はネべリスクの“芸術学校”で音楽を学ぶ児童生徒によるグループです。サハリンも含めてロシアでは、通常の学校の授業等の他に本人の希望に応じて色々なことを学ぶ場が設けられています。日本の学校でのクラブ活動に近い感じなのかもしれません。ネべリスクの芸術学校には、4歳から17歳の児童生徒が参加することが出来ます。音楽関係のバイオリン演奏を学ぶ部門では、4歳から17歳までの約40名が学んでいるとのことですが、今回はその中から14名が稚内へやって来ました。

今回のメンバーにも「4歳から芸術学校で演奏を学び始めた」というメンバーが多く居ます。小学生相当の年齢でも、「演奏歴5年以上」というメンバーばかりです。それでも彼らには“伸びしろ”が未だ多く在ります。演奏会も回を重ねる都度に、演奏が華やぎやメリハリを深めて来た感じでした。演奏している様子も、「しっとりと演奏している感じ」のメンバーも在れば、「随分乗っている感じ」のメンバーも在りました。

各学校での演奏会の後、会場となった体育館のステージを利用する等して、集まった皆さんとメンバーとで記念写真を撮影するのが恒例化していましたが、200人を超える生徒が集まっている潮見が丘中学校ではそれが困難です。そこで、フロアの生徒達の脇にメンバーが集まり、ステージ上から全体が入るようにという型で記念写真を撮りました。

メンバーが潮見が丘中学校を離れようとする頃、丁度クラブ活動が始まる時間帯に差し掛かっていて、玄関周辺に生徒達が集まっていました。集まっていた彼らに賑やかに見送って頂きました。

2013年6月19日 天北小中学校の歓迎横断幕「天北小中学校」(6月19日)

この日は曇天で肌寒い感じではありましたが、牧草地の緑が拡がる中に設けられた道を抜けて天北小中学校へ向かいました。着いてみると、窓から一行を見付けて手を振ってくれる児童生徒や先生達が見受けられました。

玄関脇の会議室が控室と言うことになっていましたが、入口の上に大きく「Добро пожаловать.」(ドブラ パジャーラヴァチ)と手書きした横断幕が掲げられていました。ロシア語で「ようこそ」という意味ですが「手作りのおもてなし」という天北小中学校の皆さんの心遣いと、演奏会を楽しみにして頂いていたということがメンバーにも伝わりました。

宿泊先から天北小中学校までは少し時間を要すると見受けられたことから、一行のバスは若干早めに出発したのでしたが、結果的に少しゆとりを持って現地に入ることが出来ました。準備の時間にもゆとりが在ったことから、メンバーは好奇心に目を輝かせながら、少し校内を歩き回って様子を視ていました。

この準備時間の中、指導の先生が「傘は無いだろうか?在ればお借りしたい」と言い出しました。学校に在った10本の傘をお借りしたのですが、これはプログラムに在る『シェルブールの雨傘』という曲を演奏する際、開いてメンバーの前に飾るという演出を行いたいということでした。

2013年6月19日 天北小中学校での演奏会演奏会開始を前に、天北小中学校の児童生徒の皆さんが椅子を持って会場となった体育館に集まり始めましたが、やがて保育所の児童の皆さんや校区の住民の皆さんも会場に集まり始めました。

幅広い年齢層が集まった演奏会となりましたが、演奏の素晴らしさは世代を超えて共有出来たようです。『シェルブールの雨傘』で試行された傘の演出も巧く出来ました。

天北小中学校では、児童生徒の皆さんが広めな部屋に集まって給食を頂くようにしているようですが、メンバーや指導の先生達もその中に入れて頂きました。学校給食の定番で「いただきます」と「ごちそうさまでした」を一緒に言いながらの食事でした。

この給食の時間ですが、天北小中学校の皆さんは「言葉が通じない…」というようなことはお構いなしで、普通に「他所から訪れた珍しい客」に対するように日本語でどんどん話し掛けていました。細かい内容は伝わっていないのかもしれませんが、メンバーや先生達には「自分達に関心を持っていて、歓迎してくれようとしている」ということは十二分に伝わったようです。外国人と見れば、何も考えずに「言葉が通じない…」と言い出すというようなことも在るのかもしれませんが、天北小中学校の皆さんは「折角やって来て、立派な演奏を披露してくれた一行に感謝と歓迎の意思表示をとにかくしたい」と一生懸命でした。

一行がバスに乗って天北小中学校を離れる時も、窓から多くの皆さんが手を振ってくれました。

2013年6月19日 上勇知小中学校での演奏会「上勇知小中学校」(6月19日)

天北小中学校から上勇知小中学校を目指しました。いよいよ最終公演となります。

天北小中学校では準備時間にかなり余裕が在ったのですが、上勇知小中学校ではやや時間が少なめでした。それでも既に通算6回目ですから、手際も鮮やかに準備が完了しました。

この上勇知小中学校でも、天北小中学校で試行した『シェルブールの雨傘』を演奏する時に傘を開くという演出をしようと、学校にお願いして傘をお借りしました。急に言い出した話しで、一寸恐縮でした。

上勇知小中学校では、西小中学校の皆さんも招き、2校合同で演奏会を愉しむ型としていましたが、同時に校区の住民の皆さんをお招きしていて、場内にはそうした皆さんの姿が多く視られました。

「市内各所の学校を訪ねて演奏」という計画を立てた時点で、「近隣の皆さんにも開かれた型であれば好い」と考えてはいたのですが、各校ともそうした型で、多くの皆さんに演奏をお楽しみ頂けて善かったと思います。この上勇知小中学校の会場では、地域の皆さんが他会場より目立った他、演奏終了後に“スタンディング・オベーション”で頑張ったメンバー達を讃えている姿が印象的でした。こうした様子に触れ、指導の先生も「学校が周辺地区の“文化センター”のような役目を果たしている」と興味を示していました。

演奏会の様子を中心に振り返りましたが、今回のメンバーや先生達は口々に「時間が経つのが驚く程に早い」と言っていました。事前準備段階や、彼らの到着初日には「やや長い滞在」と思えたのですが、精力的な活動のためか、正しく矢のように時間が過ぎました。

演奏会以外の空き時間には、メンバーは連れ立って宿泊先の近隣を歩き回って、思い思いに過ごしていましたが、それぞれに街を愉しんでいたようです。また食事の時間には「各々好きな物を頼むこと!」となれば、メニューの写真を店員さんに示して頼んでいました。“外国”に来て、自分で頼んで料理を頂くというのも、彼らにとって良い思い出となったことでしょう。口に合う料理が多かったようですが、他方で何処へ行ってもデザートのアイスクリームやパフェは大人気でした。お店の皆さんが驚くのではないかと思える程度にアイスクリームやパフェを頼んでいた場面も在りました。パフェの写真を視て「もの凄いアイスクリームが在るんだよ!」と目を輝かせていた様子が記憶に残ります。

今回、ネべリスク市では訪問する学校向けに記念品を用意していました。その贈呈役を務め、同時に<ネベリスク市児童生徒芸術学校 弦楽芸術アンサンブル>の御紹介を行おうとネべリスク市のウラジーミル・コピーロフ副市長も稚内へやって来ました。

各校に贈られた記念品は、稚内を訪れたメンバーの写真と芸術学校が入っているネべリスク市の文化センターをコラージュしたものが収まった額と、「ネべリスク・稚内の平和、善隣と繁栄を祈り衷心より御挨拶申し上げます。 2013年6月」と刻まれた盾でした。

この記念品と共に、<ネベリスク市児童生徒芸術学校 弦楽芸術アンサンブル>の演奏会が催された各学校では、「学校にやって来た小さなミュージシャン達」の思い出が語り継がれることでしょう。

ネべリスク市から各学校へ贈られた記念品

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