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サハリン友好都市青少年派遣事業(2013年7月22日~25日)

稚内国際文化交流協議会では、稚内市内の高校生と友好都市コルサコフ市の高校生相当年齢の生徒による交流事業を実施しました。
昨年実施したネベリスク市との交流の例に倣い、今年も参加生徒達がまずサハリンを訪ね、引き続いてサハリンの生徒達を迎えるという方式を採用しています。
市内各高校から計3名の生徒が参加し、7月22日(月)から3泊4日の日程でサハリンを訪問しました。コルサコフ市内の同年代の生徒がいる各家庭へホームステイした後、8月2日(金)から、今度は各ホームステイ先でお世話になったコルサコフ市内の生徒が稚内を訪問し、稚内の生徒が彼らを受け入れました。
【派遣】2013.7.22 ~ 2013.7.25
7月22日(月)
稚内港国際旅客ターミナルでは、今回参加する3名がやや緊張した面持ちながら、多数の見送りを受け、フェリーへと乗り込みました。無事入国を果たした後、コルサコフ港ではコルサコフ市担当者のほか、今回ホームステイさせていただく家庭の家族が見えられており、早速歓迎を受けることとなりました。
7月23日(火)
ホテルロビーにてホームステイ先の子たちと合流。彼らが稚内を訪問する際に同行するルバノワ氏もお見えになりました。今回の行程で引率を担当するのは、コルサコフ地区行政区文化交流担当者のスピリナ氏でした。
コルサコフ市は湾に囲まれており、風もないため、稚内の夏よりも非常の暑く感じられました。まずは市内各地の名所・記念碑等を巡った後、一行を乗せた車両はオジョルスキー村へと向かいました。山道を分け入った先にキャンプ場があり、20~30名の大勢のロシア人のこども達が出迎えてくれました。話によると、彼らはコルサコフ市の青少年スポーツ学校の生徒たちで、このキャンプ場の施設を利用して宿泊しているとのことでした。日本人は他国人に比べて、何事にも概して控えめ・消極的であるため、彼らとの交流に積極的に参加していけるか、多少心配していましたが、はじめは少しぎこちない面があったものの、時間が経つにつれて、だんだん打ち解けていったようです。
各々自分の得意な競技をロシアのこどもたちとプレーするうちに、言葉は通じなくとも「連帯感」「一体感」が生まれてきたように私には見えました。
外国との交流というと、すぐに「言葉の壁」を理由にしり込みする傾向が特に日本では多いが、言葉は交流の上では二次的なものに過ぎないということを、実際に外国人と直に触れ合うことでこどもたちに実感してほしいという気持ちがあったため、この村での交流は大変有意義に感じられました。
ホテルに戻ると、今晩からホームステイすることとなる家庭のご家族がすでに出迎えに来ており、生徒たちはそれぞれの家庭へと別れていきました。

7月24日(水)
ホームステイ先から戻ってきた生徒たちはみな元気そうな顔をしており、みなそれぞれ家族に歓迎されたようで、楽しいひと時を過ごしたようでした。会話はお互いに片言の英語で、又はスマートフォンを利用して意思の疎通を図ったようです。
ユジノサハリンスク市へ移動し、市内各地を見学した後、生徒たちの話を聞くと、みな一様に「英語」「英会話」の必要性を口にしていました。学校で難しい長文を習ったにもかかわらず、短い簡単な単語すら聞き取れない、というのが残念らしく、もっと聞いて話せるようになりたい、と言っていました。
市内のレストランで夕食をとった帰り道、ホテル近くのスーパーにて最後の買い物をしました。こういった「現地の市民が普通に利用するスーパー」での買い物は、生徒たちにとっても楽しい時間だったようで、各々土産品やちょっとした飲食物を買い込み、帰路に着きました。
7月25日(木)
今回お世話になったコルサコフ市のスピリナ氏をはじめ、ホームステイ先の家族が勢揃いして見送りに来てくれました。生徒たちはみな思い思いに、暫しのお別れと稚内での再会を約し、フェリーへと乗り込みました。
今回の事業を通じて、生徒たちは多少の不安を抱えながらも初めて「異国」に触れて、今まで経験したこと以外の世界が存在することを実感できたと思います。また、文化の違う人たちと交流し、同世代の友人をつくることもできました。この経験が彼らをもう一回り成長させることでしょう。

お問い合わせ先

企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)

メールでのお問い合わせはこちら

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