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サハリンとは異なる制度を有する稚内の現状を知り、サハリンの関係者との連絡通信の際に活かすことや、稚内の歴史や文化をより深く知り、サハリンでの宣伝、情報提供の際に活かすことを目指し、稚内市サハリン事務所の現地スタッフであるインナ・ベスパレンコさんが、2013年5月22日から5月28日の日程で稚内にやって来ました。
インナ・ベスパレンコさんはサハリンの少し北の方に在る町、ティモフスコエの出身で、南ロシアのクバン州立大学を卒業後、ユジノサハリンスクで幾つかの仕事を経験し、2009年12月から稚内市サハリン事務所の仕事をしています。サハリンを訪ねた関係者の案内やサハリンの関係機関との連絡の他、稚内市サハリン事務所での庶務を手広く行っており、今や「欠かせない人材」となっています。稚内からサハリンを訪ねている人達の間では、「事務所のインナさん」と言えば知らない人が居ない位です。
インナ・ベスパレンコさんは、稚内で大勢の友好都市関係者を迎えた催事の際の補助というような業務の他、個人的な旅行等で何度も来日はしています。稚内・コルサコフ航路が往来するようになると、稚内市サハリン事務所は“繁忙期”になってしまうことから、今回は空路で新千歳空港に入り、都市間バスで稚内入りしていて、5月28日のフェリーでサハリンへ戻りました。1人での新千歳空港・札幌・稚内というような移動は苦になりません。他方で、今回のような“研修”は初めてということで、研修初日の朝には「どうしましょう?キンチョーします…」などと言っていました。
研修期間中の平日は、宿泊先から市役所まで、市内線の路線バスで通って研修に臨みました。初日は職員が同行して案内しましたが、以降は自力で毎日“バス通勤”です。「国外で公共交通機関を利用してみる」という経験は、存外に骨が折れるかもしれない他方、なかなかに興味深いものです。
研修では、サハリンと北海道との間で仕組みが異なる地方自治体の状況を整理したり、多様な業務に携わっている稚内市役所の様子を知ることや、地域の歴史に纏わることを学ぶ場面が在りました。かの間宮林蔵が携わっていた19世紀に行われていた地図作成に関する“北方記念館”の展示や、“青少年科学館”で紹介されている稚内生まれの兄弟犬、タロ、ジロの南極での物語など、彼女にとっては「新しい発見」であったようです。
また、サハリンの友好都市との連絡の中で話題になる様々な場所を実際に視るということが、研修の大きな要素を占めました。近く来訪するネべリスク市の児童生徒がバイオリンの演奏を披露する予定の図書館を訪ねるというような場面も在りました。その図書館では、地元大学の関係者による写真展が開催中でしたが、ゲストブックに感想を記入するということも在りました。
市内の様々な場所を訪ねていますが、消防本部を訪ねた際には、サハリンにも在る型の車輛や、サハリンでは見受けられない車輛を見学しました。そして、丁度実施中であった救命訓練の様子を視ました。稚内へ来る直前、5月16日に稚内港で発生した船舶火災に関して、サハリンでも大きく報道されていたことから、現場で苦心しながら消火や救助を行ったことについてお話しを聴く場面も在りました。
彼女は、稚内からサハリンを訪ねる様々なグループの支援に携わっていますが、そうした経過から「サハリンではお世話になった」と色々な方達から歓迎して頂きました。大変に有難いお話しです。加えて、サハリンで何度も顔を合わせている皆さんが、普段仕事をしている場所の様子を視たというのが、彼女にとっては非常に興味深いことであったようです。
2011年にサハリンで公演を行っている“稚内吹奏楽団”も、彼女が支援に携わった「稚内からサハリンを訪ねる様々なグループ」の一つということになりますが、丁度稚内滞在中に「定期演奏会」が在って、演奏を楽しむ機会が在りました。演奏の合間に「サハリンからのお客様!!」と場内に紹介された場面が在り、少し驚いたようです。彼女の側でも「ロシアの流儀」で花束を用意して、“稚内吹奏楽団”の皆さんに贈っていました。
様々な思い出を胸に、また方々へのお土産を手に、インナ・ベスパレンコさんは5月28日のフェリーでサハリンへ戻りました。稚内で得た知識や見聞を活かしながら、これからも幅広く活躍してくれることでしょう。
企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)
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