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サハリン鉄道歴史資料館(2007年12月)

サハリン鉄道歴史資料館の入口

 日本ではこの10月に、さいたま市に新しい鉄道博物館がオープンし、大変な評判であるという話しを聞きました。あのような大きなものではないのですが、サハリンにも鉄道の歴史を伝える資料館があります。

 稚内市サハリン事務所は、ユジノサハリンスクの鉄道駅から歩いて数分の場所にあるのですが、その駅の傍にある<モネロンホテル>横に展示された蒸気機関車“D-51”の直ぐ後ろに、この資料館はあります。2003年に開設されたものとのことです。玄関から入って直ぐ階段があり、2階が展示室になっていました。

“豊原駅”の構内の様子を伝える写真 サハリンにおける鉄道建設ですが、その礎は日本統治下の樺太時代に築かれています。稚内港を含めた、北海道内の港などとの間を往来する船が発着した大泊(現在のコルサコフ)、真岡(現在のホルムスク)、本斗(現在のネベリスク)などと、行政の中心であり、内陸に位置する豊原(現在のユジノサハリンスク)との間の鉄道建設に着手され、徐々に各方面の路線が整備されたのです。

 資料館には、こうした鉄道建設に着手された頃の工事の様子を伝える資料写真や、鉄道が開通した頃の“豊原駅”周辺の写真等がありました。ユジノサハリンスク駅ですが、駅舎が建っている場所は、“豊原駅”と変わっていません。ただし、建物は変わっています。

サハリンの鉄道職員の制服 ソ連の統治下でも、鉄道はサハリンの重要な輸送手段でした。資料館には、鉄道に携わった皆さんの仕事を伝える様々な物が展示されています。

 1990年代前半、サハリンの鉄道には日本製の車輌も入って来ていました。サハリンの鉄道は、日本の軌道幅と同じなのです。ロシアの大陸を走る鉄路は、軌道幅が日本のものよりも広くなっています。そのため、大陸で使用している貨車をサハリンに持込む場合、台車を交換するなどの作業が必要です。

 最近はサハリンで進められている資源開発の工事資材の輸送に鉄道が利用される事例が見受けられました。こうした型で鉄道の価値が見直されていますが、最近は一部の幹線をロシアの大陸と同じ規格に改修する動きがあるようです。

 さて、この資料館ですが、私達が訪ねると、親切に展示の案内をしてくださるスタッフの方が迎えてくださいました。私達が、サハリンに滞在中の日本人と判ると、「日本人が携わった難工事」ということで、豊原・真岡間(ユジノサハリンスク・ホルムスク間)の鉄道建設工事の写真を見せてくださいました。このユジノサハリンスク・ホルムスク間の鉄道は、現在は利用されていないようですが…

 小さな資料館ではありますが、なかなか記憶に残る場所です。

開館:月曜日~土曜日 午前8時30分~午後5時30分
休館:日曜日


所狭しと様々な資料が並び、迎えてくれたスタッフが熱心に説明してくれる。
 所狭しと様々な資料が並び、迎えてくれたスタッフが熱心に説明してくれる。
“豊原駅”の駅舎の写真。下の方は、鉄道の仕事で功績があった人達を紹介する展示。
 “豊原駅”の駅舎の写真。下の方は、鉄道の仕事で功績があった人達を紹介する展示。
写真と説明パネルで、“真岡”方面のトンネル工事の様子を紹介している。
 写真と説明パネルで、“真岡”方面のトンネル工事の様子を紹介している。
かつて駅などで利用されていた、ソ連製の十珠式になっているソロバンと、手回し式計算機。
 かつて駅などで利用されていた、ソ連製の十珠式になっているソロバンと、手回し式計算機。

お問い合わせ先

企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)

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