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ポロナイスク(2007年4月)

ポロナイスクの街の入口 戦前に王子製紙工場の創業とともに発展した町-ポロナイスク(旧日本名 敷香 しすか)を今月初旬訪れた。(右の写真は街の入口にある“ポロナイスク”と記された看板。)


 州都ユジノサハリンスクから北へ約300Km、列車だと7時間、車で行ったものの6時間の道のりである。


 途中の道のりの半分以上は未舗装道路で、大変な旅行であった。


水浸しの市内道路 人口約23,000人、工業地として製紙、パルプ、セメント、ミンク養殖が盛んであり、水産ではサハリン三大漁港のひとつで、にしん、たら、かにの水揚げが多い漁業基地としても有名とのことであったが、町並みを見ると悲惨な状況であった。


 春先の雪解けということもあるのだが、町中が水浸し、車は水の中を走るという状況であった。(左の写真参照)


 大げさな話ではあるが、人は長靴がなければ歩けないような状況であった。

ヴズモーリエからポロナイスクまでの道すがらに売っていた獲りたての花咲ガニ 残留日本人敷香支部長宅を訪れたのであるが、この支部には35名の会員がいるとのことであった。


 これからの敷香について尋ねたところ、ユジノサハリンスクから北へ伸びる州の幹線道路は当地を通らないことやサハリンプロジェクト2のパイプラインもこの地を通らないなど、今後に希望はなく、ただ寂れるのみという悲観的な話であった。


 このようなことから、今後も漁業で活性化を図っていかなければならないということであった。(右の写真は道すがら売っていた花咲ガニ。)

旧れんが工場 市内を回ってもらったのであるが、日本時代の建物は、王子製紙工場跡とレンガ工場跡のみとなっており、何とも寂しい印象を持った。(左写真は旧れんが工場。)
大きな石のまじった未舗装道路を削って平らにしている様子。
漁港そばの日本時代のものと思われる灯台。
 大きな石のまじった未舗装道路を削って平らにしている様子  漁港そばの日本時代のものと思われる灯台
旧王子製紙工場。
日本時代に造られ、現在も使用されている石橋。
 旧王子製紙工場  日本時代に造られ、現在も使用されている石橋

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