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サハリンの州都ユジノサハリンスク市は18万人の人口を擁する都市です。“樺太時代”には“豊原”(とよはら)と呼ばれ、“樺太庁”を始めとする行政機関も設置されていました。現在でも州行政府がこの街に設置されており、サハリンの行政、経済、文化の中心地となっています。
この街を歩くと意外に多く見掛けるのが、建設中や改築中と見受けられる建物です。この数年で新しいビジネスが軌道に乗って、建物を新築したり、使用している建物を改装する気運が盛り上がっていると見受けられます。また、進行中の資源開発に関連し、関係者が多く出入りするなど、交流人口拡大を受けて新たにサービス業を起こすような動きもあるようです。
日本や他の国でも使用できるクレジットカードのマークが、新しい建物の入口に見えました。
これは4月にオープンしたホテル「ルビン」です。34室あるという部屋には、小さなキッチンも備えられているということで、数ヶ月というような期間にわたって滞在するような、ビジネスマンが利用することを念頭に置いたホテルと見受けられます。欧米の都市では、小さなキッチンも備えられている、ビジネスマンなどを対象にした滞在型ホテルは時々見受けられるスタイルのようですが、ユジノサハリンスクも、こんな所から欧米化しているのかもしれません…。
近年、ユジノサハリンスクのホテルは“供給不足傾向”と言われています。サハリンでは、進行中の資源開発に関連し、一定期間サハリンに滞在して仕事をする、各国企業のビジネスマンなどが目立つようになっています。“アメリカ村”という通称で知られる、欧米企業の“社宅”なども郊外に建設され始めていますが、まだまだ「出張でやって来て、ホテルに滞在」という型が一般的です。そのため、市内の滞在し易いホテル―部屋の設備、通信、飲食など、総合的に評価が高いホテル―については、企業関係で確り予約が埋まり、「一寸サハリンへ…」と思い立って申し込んでも、満室で断られるケースも目立つようになっています。こうした状況を受けて、ホテルの宿泊料金も上昇傾向にあります。
需要が高くなれば、供給しようという気運も盛り上がってくるものです。ホテルの新築や、既存ホテルの増築という話題も幾つか聞こえるようになっています。
ホテル<ルビン>は、入札に掛けられた官有地を買い取った民間企業が手掛けたものということです。建設に要した期間は1年4ヶ月で、この種の建物の建築期間としては短い工期ということです。建設に際しては銀行から融資を受けた他、ビジネスマンの滞在需要がある企業へ向けての営業を積極的に展開し、既に2年先までは予約で一杯という状態だそうです。
こうしたことから「ホテル業は旨味のあるビジネス」という評価もあるやに伝わっていますが、こうしたホテルの新設や既存施設の増築という動きは続きそうです。
体育館か何かのような建物を建てている様が目に留まりました。地元の方に伺うと、これは大型商業施設になる建物ということでした。
1980年代末から1990年代初頭(ソ連時代の末期)には、サハリンも含めてロシアでは“モノ不足”と言われていましたが、それも“過去のこと”です。既にロシア全土の各地域毎に物流経路が確立していると見受けられますが、サハリンもその例に漏れません。サハリンでも、安価な国産品や旧ソ連諸国の産品から、高価な輸入品に至るまで、豊富な商品が出回るようになっています。
旧来からの百貨店や、近年オープンの商業施設などを見ますが、高価な輸入品に関しては、まだまだ売れ行きも鈍いような感じも否めませんが、豊富な商品を見ると、「地域が豊かになっている?」と感じられます。
様々な商品について「より好みに合ったものを選ぶ」という傾向ですが、殊に“やや収入が高い層”では顕著です。ユジノサハリンスク市内にも、“高級住宅地”とでも呼ぶべき、やや収入が高い人達が住んでいると目される地域が出現しています。
最近、そうした地域に、「より幅広い商品」ということで、高価な輸入品も含めて提供する商業施設が出現しています。写真の“メガポリス”は、「ユジノサハリンスク市内初」という、店内にエスカレーターを備えた百貨店です。なかなか好評のようです。
ユジノサハリンスクの街を歩くと、新しいサービスや物流が勃興しようとしている、ダイナミックな“隣人”の姿を垣間見ることが出来ます。
企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)
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