ここから本文です。
帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年(1902)に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもので、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任務の重要性が課せられました。
日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、無線通信基地や、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用されました。
稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、昭和43年(1968)12月、市の有形文化財に指定されました。
・住所 | 稚内市宗谷岬 | |
・料金 | 無料 | |
・アクセス | ||
JR稚内駅からバス「天北宗谷岬線」で約50分「宗谷岬」下車 JR稚内駅から車で約40分 |
||
・駐車場 | 有り | |
・その他 | 冬期間閉鎖する箇所あり |
本文ここまで
ここからサブメニュー
サブメニューここまで
ここからフッターメニュー