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稚内市名誉市民

稚内市名誉市民とは・・・
稚内市名誉市民に関する条例(昭和34年2月10日施行)に基づき、広く社会文化の興隆又は市の発展に寄与し、市民が郷土の誇りとし、かつ、深く尊敬に値すると認める市民又は市民であった者に対し、その栄誉を称えて名誉市民の称号を贈るもの。
名誉市民は、市長の推薦により、市議会が決定する。
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西() ()  () (にしおか さかん) 
生年月日:明治29年8月20日生(昭和35年9月26日逝去)
決定日 :昭和35年9月26日

≪功績概要≫
 昭和7(1932)年から同22(1947)年まで北海道議会議員を務め、22年から34年まで稚内町長、稚内市長として町・市政を担当した。
 氏は、初の公選町長であり、市制施行に伴う初代市長であった。この間、自治功労者として同31(1956)年に藍綬褒章を受章している。35(1960)年9月26日、初の名誉市民の議決を受けた。
 氏は、太平洋戦争後の混乱期の中で、旧樺太(サハリン州)との接点という機能を完全に失ってしまった稚内の再建に全力を尽され、水源をケナシポロ川とする上水道拡張事業、稚内郵便局前・ノシャップ岬間の道路舗装、中央埠頭建設をはじめとする港湾整備など数多くの功績を残した。
() ()  () () (しぶや ちょうきち) 
生年月日:明治19年9月30日生(昭和60年9月2日逝去)
決定日 :昭和42年3月20日

<<功績概要>>
 昭和4(1929)年から同22(1947)年まで稚内町会議員、同26(1951)年から同38(1963)年まで稚内市議会議員を務めた。この間、市監査委員、市議会副議長1期、同議長2期を歴任し、北海道自治功労者知事表彰などを受けた。同41(1966)年には、地方自治功労者として勲5等双光旭日章を受章し、翌42(1967)年3月20日、名誉市民に議決されている。
 
氏は、稚内市と宗谷村の合併という非常に難しい局面で、市議会の副議長に在職し、険しく困難な両市村の合併交渉の円滑化に努めた。合併は昭和30(1955)年2月1日付で実現したが、その後は議長として合併条件の完全実施に尽くした。
() ()  () () (せと つねぞう) 
生年月日:明治42年12月21日生(昭和62年4月24日逝去)
決定日 :昭和62年4月27日

<<功績概要>> 
 昭和34(1959)年稚内市議会議員、同38(1963)年稚内市港湾審議会委員長、同42(1967)年旭川方面公安委員会委員、同54(1979)年中央漁業調整審議会委員などを務めた。団体歴としても、同30(1955)年宗谷機船漁業協同組合組合長、同34(1959)年稚内法人会会長、同37(1962)年稚内商工会議所会頭・日本商工会議所議員、同38(1963)年北海道機船漁業協同組合連合会会長・全国底曳網漁業協議会副会長など重職に就かれ、さまざまな表彰を受けるとともに、昭和55(1980)年には、勲4等旭日小綬章を受章している。
 
氏は、稚内の機船底引き網漁業の先駆者で、水産業の振興、稚内とサハリンの友好親善をはじめ国際問題における日本水産界の大御所として活躍した。国連海洋法会議の業界代表、日ソ漁業交渉の業界代表・政府代表顧問などとして欠かせない人材であった。昭和62(1987)年4月24日、78歳で逝去したが、3日後の4月27日に名誉市民の称号が議決され亡き霊に贈られた。
() ()  () () () (たかはし ぜんのすけ) 
生年月日:明治31年4月3日生(平成3年5月20日逝去)
決定日 :昭和63年10月31日

<<功績概要>>
 昭和8(1933)年から同23(1948)年まで稚内町議会議員、同13(1938)年から50年以上にわたって稚内商工会議所議員として活躍した。また、同27(1952)年から同40(1965)年まで稚内機船漁業協同組合組合長を務め、同44(1969)年に紺綬褒章、翌45(1970)年に勲5等瑞宝章を受章している。
 
氏は、町議会、商工会議所、沖合機船漁業協同組合などの要職を歴任するとともに、水産、消費流通、金融などの業界の振興に尽力した。特に日ソ漁業交渉の日本政府代表顧問、専門委員に任命され、機船漁業の発展に大きく貢献した。名誉市民の称号が送られたのは昭和63(1988)年10月31日である。
() ()  () () (はまもり たつお) 
生年月日:大正5年2月9日生(平成21年9月4日逝去)
決定日 :平成3年9月27日

<<功績概要>>
 昭和26(1951)年から同30(1955)年まで北海道議会議員、同31(1956)年から同34(1959)年まで稚内市教育委員会委員・委員長を務めたあと、同34年に稚内市長に就任、以後平成3年まで8期32年間にわたり市政を担当した。この間、稚内市体育協会名誉会長、宗谷観光連絡協議会会長、宗谷地域総合開発期成会会長、全国市長会副会長・相談役、運輸省港湾審議会委員・会長代行として活躍、さまざまな表彰を受けるとともに、平成4(1992)年には、勲3等旭日中綬章を受章した。
 
氏は、市長として財政再建をはじめ上水道拡張、港湾整備、空港整備を図る一方、教育・文化施設、体育施設、福祉施設の充実、観光振興、漁業振興、酪農振興などに尽力、特に200海里時代突入後の漁業緊急・恒久対策の樹立、水産加工技術の振興に指導力を発揮し、現在の稚内市の基礎を確立するとともに、21世紀に向けた都市づくりの展望を開き、名市長とうたわれ、市長退任後の平成3(1991)年9月27日に名誉市民の議決を受けている。
() ()  () () (よしだ まさいち) 
生年月日:昭和3年12月8日生(平成13年10月20日逝去)
決定日 :平成13年11月5日

<<功績概要>>
 昭和38(1963)年から稚内市議会議員を2期、同46(1971)年からは北海道議会議員を8期連続して努められ、この間、北海道議会運営委員長や北海道議会議長、全国議会議長会副会長等の要職を歴任するなど、市政はもとより道政の発展に尽力された。
 
また、稚内機船漁業協同組合代表理事組合長をはじめ、北海道機船漁業協同組合連合会代表理事会長、稚内日ロ経済交流会会長など数多くの要職を務められ、稚内市はもとより道内・全国の水産振興にも大きく貢献された。
 平成13(2001)年10月20日、72歳で逝去したが、11月5日に名誉市民の称号が議決され亡き霊に贈られた。
() ()  () () (いす こうせい) 
生年月日:昭和8年5月11日生(平成26年12月18日逝去)
決定日 :平成26年6月20日

<<功績概要>>
 長年にわたり卓越した識見と非凡な経営手腕を発揮され、地域経済発展の基盤づくりに多大な貢献をされた。
 特に稚内信用金庫理事長、会長及び最高顧問として、地域金融の振興と地元経済の発展に精励されるとともに、社団法人全国信用金庫協会副会長、社団法人北海道信用金庫協会会長等の要職に就かれ、本市のみならず国内経済の発展に尽力された。
 また、平成13年から平成22年までの9年間にわたり、稚内商工会議所会頭として本市商工業の育成と産業の振興に尽力されたほか、稚内市都市計画審議会会長、稚内市地方港湾審議会会長を始め、多くの要職を歴任されるとともに、国土交通省国土審議会特別委員や北海道旭川公安委員会委員長など、全道、全国の場で活躍された。
 さらに、稚内音楽文化協議会会長として札幌交響楽団による稚内定期公演を実現するなど文化振興にも寄与された。
横 田 愼 一 (よこた しんいち) 
生年月日:昭和14年3月28日生
決定日 :令和元年9月20日

≪功績概要≫
 開業医として、市民の命と健康を守るべく、地域医療の充実に尽力されるとともに、学校医として、児童の健康維持増進に寄与したほか、疾病や感染症の予防に関し、学校に対して必要な指導や助言を行うなど、学校教育の円滑な運営にも多大な貢献をされた。
 また、稚内市介護保険事業計画策定委員会委員をはじめ、宗谷北部介護認定審査会会長、稚内市介護保険運営協議会副会長、同会長を歴任するなど、介護保険事業の計画策定から基盤づくり、事業の運営に尽力され、本市の保健医療行政の発展に多大に貢献をされた。
 さらに、社団法人宗谷医師会(平成24年より一般社団法人宗谷医師会)の理事、会長を歴任するなど、本市のみならず宗谷管内の地域医療発展に尽力された。
 

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