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春の最中なのか、春は未だ先なのか判らないような5月(2011年5月20日)

「5月13日」に確り雪が降り積もったユジノサハリンスク ユジノサハリンスクでは、3月中旬から急激に雪が溶け始め、4月初めには雪がなくなったのですが、その後、4月下旬から5月初めまで、低気圧の通過により、断続的にまとまった雪が降り積もりました。5月13日も、みぞれが降っています。

 このような状況を喜んだのは、スキー、ボードを楽しむ人達です。ユジノサハリンスク市内のどこからも眺められる、ゴールヌィ・ボズドゥーフという山のスキー場は、2.5キロメートルものスロープで人気があります。今年は遅くまで降った雪のせいか、5月末までシーズンが続くように思われます。

 一方、市民は、気象の急激な変化に慣れているせいか、外出時の服装は、臨機応変に着替えているようです。家の中では、5月は未だ集中暖房が行き届いていますので、どの部屋も暖かく、半袖など薄着で過ごしています。


露店でギョウジャニンニクを売っている様子 サハリンでは、「春は2週間くらいしかない?」ように思われたのですが、今年は少し異常な低温が続いています。

 それでも“春”を見付けることも在ります。ネベリスクという街へ出掛けた際に、道沿いにフキノトウを見かけました。ロシアでは、フキは食べますが、フキノトウは食べる習慣がありません。フキもゴボウも「ラポフ」と呼んでおり、同じものと考えているようです。

 “戦勝記念日”ということで休日だった5月9日、晴れて温かくなったのでユジノサハリンスクのガガーリン公園へ散歩に出掛けました。市内の親子連れがのんびり散歩するのを見ながら、公園奥地に行くと、もうタンポポが咲いていました。フキノトウも少しあったので、採って“フキ味噌”にして頂きました。例年ならギョウシャニンニクも早くから出まわりますが、今年は、5月10日にようやく露店で売り始めている様子を見掛けました。今年は、山に残雪が多かったせいか、採りに行くのが遅れたように思います。


ガガーリン公園の子ども鉄道 散歩に出掛けたガガーリン公園には“子ども鉄道”というユニークなものが在ります。

 この鉄道は、1954年6月1日からガガーリン公園で運行されているものです。ロシア国営鉄道のサハリン鉄道局が運営しているもので、将来の鉄道員を養成する職業訓練施設ということになっており、指導者の指示の下で、レール点検・保守作業から、機関車運転、車掌まで全て子ども達だけで行っています。小学校高学年以上の子達に、子どものころから、技術的な業務感覚を身につけさせようという狙いが在ります。この訓練は、女の子も男の子も平等に扱われます。

 とは言っても、ガガーリン公園の中にたくさんある遊具のような可愛らしい列車ですので、公園で遊ぶ子どもたちに大変人気があります。

 この鉄道は、本物の機関車や列車、一般的な線路や枕木を使用しており、ガガーリン公園の中を約15分間周回する路線になっていて、乗るためには、切符が必要です。ガガーリン公園の池のほとりにある駅の窓口で購入できます。どなたも楽しむことができ、大人1人80ルーブル、こども1人40ルーブルです。この窓口の内側だけは、大人の係員も一緒に勤めています。

 ガガーリン公園の子ども鉄道の運行期間は、5月1日のメーデー祭日から、10月初めまでで、時間は午前11時から午後4時までの範囲です。


日本の震災被災地支援を趣旨とするコンサート。日ロ両国旗が掲げられている。 5月のロシアでは“メーデー”や“戦勝記念日”というような祝日が眼に止まりますが、日本のような長めな連休が在る訳ではありません。ロシアでは、5月は祝日が2回あるだけです。土・日・月と3連休がせいぜいです。年間の祝日は、正月を含め13日しかありませんが、プライベート休暇は年間44日間保証されていますので、トータルすると日本と変らないように思います。

 5月の2回の祝日ですが、色々と催しが在りました。

 5月1日のメーデーには、日本の震災被災地を支援する主旨でチャリティーコンサートが催されていました。サハリン州政府が主催し、ユジノサハリンスク市内の美術館のホールで催されたコンサートでは、プロのアーティストが参加し、質の高い演奏を聴かせてくれました。ホール前にはサハリンの各市町村長や有志から寄せられた応援メッセージが展示されたほか、集められた義援金と応援メッセージが、コンサートに来場した在ユジノサハリンスク日本国総領事へ託されました。こうしたサハリンでの震災被災地を支援するチャリティーコンサートは、この後も計画されています。


戦勝記念日。軍楽隊がステージで演奏を披露した。風船を手にした小さな子が見入って(聞き入って?)いる。 5月9日の戦勝記念日は、当時のソ連軍がドイツ軍を破ったことを記念する日です。前々日辺りから、テレビで独ソ戦を題材にしたドラマや、往時を語る人達のインタビューや、軍人の叙勲の様子等が放映されており、独特な雰囲気が在ります。

 ロシア(※当時はソ連)では“独ソ戦”で夥しい犠牲者を出しており、「誰しも親族に少なくとも1人位は戦死者や戦災犠牲者が居る」という状況であることから、この日への思い入れは非常に強いと見受けられ、「最大級の祭り」という位置付けになっています。この日については、「故郷へ帰って家族と一緒に過ごす」というならわしのようです。

 戦勝記念日については、個々に家族で過ごすというようなことの他、各地で記念行事が催されます。ユジノサハリンスクも例に洩れません。ユジノサハリンスク市内でも記念行事が催されました。

 市内の“栄光広場”では、広場に設けられた「無名戦士の墓」の前でロシア連邦機関、サハリン州や市の代表の祝辞と軍隊パレードがあり、軍服姿の青少年も参加していました。一般の人達は、3万人余り(※ユジノサハリンスク市の人口が18万人程度ですから、凄い数です。)が集まり、持ってきた花束を無名戦士の墓に捧げていました。この式典の後、ガガーリン公園のステージや、市内のサヒンセンター前特設ステージで、コンサートや踊りを披露する催しが在りました。好天であったこともあり、催しは大変に賑わっていました。


開花までには未だ時間が要りそうな、ユジノサハリンスク市内の桜の木 稚内では5月19日に漸く桜が咲き、“桜前線”も「日本国内では“ゴール”」ということになりました。この後、“桜前線”は宗谷海峡を越え、サハリンへやって来ます。
サハリンでは、街の郊外、山間のところどころに日本時代の大きな山桜があり、6月初め頃に花を見ることができます。しかし道がついていないので、近付いて眺める場所は限られます。

 しかし、ユジノサハリンスクのレーニン広場近くで、日本レストランを営む宮西豊さんが、7年前から、ユジノサハリンスク市内に千本もの桜の苗木を寄附し続けており、毎年、満開の花が楽しめるようになっています。

 この桜並木を歩くと、日本の街の公園にいるような不思議な気持ちになり、懐かしくなります。

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