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ヴレーミャ・ジャザの稚内公演など(2009年7月17日)

ヴレーミャ・ジャザ稚内公演 査証更新のために、サハリン事務所から一時稚内へ戻りましたが、丁度“ヴレーミャ・ジャザ”の皆さんと一緒に稚内へ入りました。7月4日・5日の公演は多くの皆さんにお運び頂き、愉しんで頂けた様子で、大変善かったと思います。

 今回の公演は「北門神社祭の時季、丁度稚内・コルサコフ航路のフェリーも動くので、サハリンの音楽家を招いて、大勢の市民の皆さんに足を運んでいただけそうな催しはどうか?」ということで計画を始めました。ヴレーミャ・ジャザの皆さんに相談したのでしたが、その時には「北門神社の祭は、皆さんの目線で見て、多分非常に愉しいものであると思う」とお伝えしました。

 サハリンでは、7月位の時季は家族旅行を愉しまれる方が多く見受けられます。ヴレーミャ・ジャザの皆さんの中にもそういう方が在り、滞在費を自己負担して同行されていたご家族も在りました。ヴレーミャ・ジャザのメンバーの皆さんと、同行されたご家族の皆さんは神輿や露店など、お祭の方も満喫されていた様子でした。

 ヴレーミャ・ジャザのリーダーであるウラジーミル・キンジーノフさんは1994年まで稚内市の友好都市のネベリスク市の学校で音楽を教えていた関係で稚内を訪れたこともあり、良い想い出の在る稚内には特別な想いを寄せてくださっています。そのため、稚内の想い出が込められた『ワッカナイ』という曲を新たなアレンジで披露していただけました。更に日本の作曲家による、サハリンの街をイメージした作品『ユジノサハリンスク』もレパートリーに加えて頂きました。

 ヴレーミャ・ジャザは2007年10月に続いて、稚内には2回目の登場でした。今回は、前回は無かったギターとシンセサイザーが加わり、より充実した素晴らしい演奏と歌を聴くことが出来ました。ステージも2年前の1回に比べ4回になり、曲目も前回より格段に多く、前評判の高さから、予想以上に多くの皆さんが足をお運びくださったと思います。お運びくださった皆さんに重ねて御礼申し上げます。

 なおチェーホフ劇場のホームページでも、ヴレーミャ・ジャザが稚内で公演を行った旨が伝えられています。ロシア語の記事ですが、写真が大変に豊富です。ステージの模様の他、彼らの目線で見た神社や、浴衣姿で露店を見に行く子ども達と一緒に微笑んでいる様子、彼らが大変気に入っていたホテルの大浴場へ向う寛いだ様子等、なかなか興味深い写真が御覧いただけます。

ヴレーミャ・ジャザ稚内公演 ヴレーミャ・ジャザはユジノサハリンスクの“チェーホフ劇場”に所属しています。“チェーホフ劇場”は、正式には「A.P.チェーホフ記念サハリン国際舞台芸術センター」と言います。正式名称が長いこともあり、略した呼び方である“チェーホフ劇場”の名で地元では親しまれています。

 この“チェーホフ劇場”の“チェーホフ”とは、日本も含めて世界各国で知られるロシアの高名な作家、アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフのことです。チェーホフは1890年にサハリンを訪れています。そしてサハリンでの見聞をまとめた『サハリン島』という本を著し、1895年に出版し、ヨーロッパで大変に注目されました。チェーホフは、今日でも世界中の劇団が手掛けている戯曲の作者として知られていますが、サハリンでは「ご当地縁の大作家」としてお馴染みです。ですから、劇場の名前にもチェーホフを採用したのでしょう。因みにチェーホフのサハリン訪問に関しては、ユジノサハリンスク市内にも彼の仕事を伝える記念館が設けられています。

 チェーホフ劇場は、舞台芸術の発表の場として広く活用されています。舞踊、オペラ、演劇、音楽の公演が色々と催されていますが、何かの式典のような催しにも会場が利用されています。

 この劇場には演劇俳優や歌手、ヴレーミャ・ジャザなどのオーケストラが属しているほか、舞台セット係・照明係・音響係・衣装係なども勤めていて、さながら映画制作所のような大掛かりな組織で活動しています。チェーホフ劇場では、所属俳優による演劇等の公演も盛んに行われていますが、ロシア国内外の劇団がやって来て公演を催すこともあります。日本の歌舞伎の公演がチェーホフ劇場で催されたこともありました。

 ヴレーミャ・ジャザは、1999年5月にこのチェーホフ劇場のオーケストラとしてスタートし、サハリン州内で活動する他、モスクワなどの音楽イベントや札幌公演などもこなしています。

 このチェーホフ劇場のインナ・ペトレンコ館長によると、チェーホフの生誕150年にあたる来年、『サハリン島』に題材を求めた演劇の公演を準備しているということでした。

 演劇に関しては、大掛かりなものから小規模なものまで、様々なものが在りますが、『サハリン島』に題材を求めた新作は、小さな会場で催す小規模なものとして準備されているそうです。ペトレンコ館長は、出演者・スタッフ12名程度の新作を、機会が在れば稚内を含めた北海道内の都市でも公演してみたいとお話しされていました。

北門神社の神輿を見学したヴレーミャ・ジャザの皆さん ヴレーミャ・ジャザがサハリンへ引揚げる前夜、“お別れ会”が催されました。この種の会での「ロシアの流儀」は少し面白いかもしれません。

 ロシアでは、会の始めに誰かの音頭で乾杯があった後、少ししてから誰かが立ち上がり、一言挨拶をして「○○のために盃を」とやる“乾杯”が何度も在ります。「乾杯が何度も在る」と言うよりも、「歓談が続く中で誰かが乾杯をやるタイミングで飲み、また歓談していて、他の誰かの乾杯でまた飲む」を繰り返していると言う方が正しいのかもしれません。

 この習慣は、ソ連時代よりも古く帝政ロシア時代にさかのぼるようです。「よからぬ相手が何を考えているのか探る手段」というのでもなく、娯楽手段の少ない時代に「目立ちたがり、騒ぎたがりで遊び好きの人達が演説と一気飲みを楽しむ方法」として考え出されたように思います。

 「挨拶が途切れるとお酒が当たらない」のが“ロシアの流儀”のようです。そこで、必ず誰かが頃合を見計らって立ち上がることになります。そういうことが繰り返され、やがて歌や踊りが始まる場合もあり、酔いの回り方が加速されます。この“ロシアの流儀”ですが、お酒の好きな方にはうれしい習慣かも知れませんね。

 ヴレーミャ・ジャザの皆さんですが、稚内滞在中は公演の合間に祭を愉しんだ他、楽器店、薬局、ホームセンター、電器店、服飾店、デパートなど色々な場所に精力的に足を運んでいました。一部の人達は郊外へも足を伸ばしました。そして彼らは、稚内との再会を期して引揚げていきました。

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