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詩人プーシキンの像がある広場 (2018.04.20)

ユジノサハリンスクでは、少し前までは「降る」と言えば「雪」でした。それが「雨」になり、「雪が交じる」ということになれば「何なんだ!」と少々不満の交じった声が上がるという状態になって来ました。1日のほとんどの時間帯が「プラスの気温」という日が増えています。

広場の写真









いまだ「一桁」ながらもプラス気温で、日が長くなり、広場では親子連れが多くなっています

枯れた草の地面が「お久しぶりです」という感じでのぞいている箇所も多くなっていますし、天候がいい日には日差しが心地よく、実際の気温より暖かく感じます。広場のアスファルトが出ている箇所では、スケートボード、自転車、キックボート等を持ち出して遊んでいる子ども達や若者達も目にするようになりました。いまだ暖かい防寒服を着込んではいるものの、保護者に連れられた小さい子ども達が広場を駆け回っているような様子も、雪が深かった時季よりもかなり多くなっています。何気なく広場を通り抜けようとすれば「保育園の庭」にでも迷い込んだような気分になる程に、小さな子ども達と保護者の皆さんがいるという場面さえあります。

いまだ「しつこい残雪」はあるのですが、足下の氷や水溜りも気にならなくなり、外を動き回りやすくなりました。

おしゃれなカフェ写真









戸外が非常に歩きやすくなり、「おしゃれなカフェ」に道草する機会が増えました。
 

プーシキン広場

ユジノサハリンスクの街の少し西寄りな辺りを南北に貫いているレーニン通が、街を東西に横切る大きな通の一つであるパベーダ通と交差する辺りに<プーシキン広場>はあります。これは日本流で言えば、都市緑地という感じの場所で、街路樹が植えられていて花壇や芝生もあり、ベンチも設置された散策路が整備されています。その一隅にプーシキンの像が据えられています。像は1999年頃に登場したと聞きます。既に長い間、プーシキン像のある広場として親しまれているわけです。

プーシキン像









 
 青空を背景にしたプーシキン像

プーシキンという人物ですが、ユジノサハリンスクで、あるいはロシアのどこであろうと「プーシキン?知らない…」という方を見付けるのが難しいと思われる程度に有名な詩人です。
 

ロシアでは学校や文化施設に、有名な文化人の名前を付ける例が多々あるのですが、例えば「プーシキン高校」というような感じの学校名は方々にあるといいます。ユジノサハリンスク市内にも、確かありました。

 

誰でもプーシキンの誕生日を知っている?

時々、「お誕生日は?」というようなことが話題になる場合があります。そういう時に、「かのプーシキンと同じ日付らしい」とでも言えば、9割以上の方が「6月6日ですか?」と反応します。そのくらいに有名です。
 

「詩人の○○さんの誕生日」と言われても、よほどその詩人のことが好きな方でもなければわからないのではないかと思います。多くの方が「6月6日」とご存知というのは驚かされます。
 

実を言えば、「誕生日が6月6日」という話題になった時、多くの方が「プーシキンと同じ!」と言うので、逆に「かのプーシキンと同じ日付らしい」と言ってみると、今度は「6月6日」と即座に反応で、ロシアでの「プーシキンの存在感の大きさ」に驚いています。

 

プーシキンが活躍した時代

アレクサンドル・セルゲイヴィチ・プーシキンがフルネームなのですが、1799年6月6日生れと伝えられ、1837年2月10日に亡くなっているそうです。プーシキンは「19世紀前半のロシアの詩人」ということになります。
 

「19世紀前半」は日本史で言えば「江戸時代の後半」という感じです。稚内に関係することで言えば、<北方警固>ということで、津軽や会津の武士達が宗谷にやって来た出来事が1807年、1808年でしたから、遠いロシアでプーシキンが少年だった頃の出来事になります。その<北方警固>の武士達がやって来たという宗谷場所の一部であった宗谷公園に神社の古い鳥居があって、江戸時代後半の元号が刻まれています。その中に「天保」という元号がありましたが、その元号が使われたのは1831年から1845年までだったそうですから、「プーシキンが亡くなった頃」というのが天保年間ということになります。
 

プーシキンは、作品の中に積極的に話し言葉を採り入れて、独自な「語りの文体」を創造したとされていて、「近代文章語」というものを確立し、ロシアの「国民文学」と呼ぶべきものを送り出したとされています。
 

稚内の図書館にも、外国文学全集が色々とありますが、そういう中にプーシキンの作品が収録されている本がありますから、気軽に読んでみていただけると思います。
 

ロシアの学校では、このプーシキンの作品を含めて、評価が高い古典文学を読むことや、詩人や作家の伝記に関することを話題にするということが盛んに行われているそうです。そういうこともあって、プーシキンは「“知らない”という人を探すのが難しそう」と思える程度に有名なのでしょう。

 

最近の映画に登場した“プーシキン”

昨年、ユジノサハリンスクに滞在するようになってから、何本かロシア映画を見ています。その1本が『スパスチー・プーシキナ』(プーシキンを救え)という作品で、作中にプーシキンが登場します。
 

この映画は、日本国内では紹介されていないかもしれませんが、楽しいファンタジー、あるいはコメディーという感じの映画です。
 

実を言うと、この映画を見て、作中のプーシキンがなかなかの好人物という感じで興味を覚え、「そう言えばユジノサハリンスク市内にプーシキンの像があった」と思い出し、日頃動き回るエリアでもあることから、プーシキン広場に時々立寄るようになったという経過もあります。

プーシキン像写真










 日が傾いた時間帯のプーシキン像

映画ですが、これは現代のモスクワにあることになっている、その名も<プーシキン高校>に、プーシキンその人が“タイムスリップ”してしまい、色々な騒動が起こるというお話です。
 

学校にプーシキンが現れて、「このまま元の世界に戻っても、すぐに亡くなってしまうわけで、かわいそうだから助けてあげれば…」と言い出す生徒がある他方、「そんなことになれば、歴史が変わってとんでもないことになる!」と、必死にプーシキンを元の世界に戻そうと頑張る生徒もあります。そうしている間に、テレビのワイドショーの制作班が大挙して学校に乗り込んで来て、学校の講堂から番組の放送が始まってしまうようなことがあり、プーシキンを利用して金儲けをしようとたくらむ人達が現れる等、色々なことが起こります。1837年までのことしか知らないプーシキンが、2017年の世界で珍騒動を起こすのがひどくおかしいのですが、現代の若者と普通に語り合い、出くわす人やモノに真摯に向き合う「熱いモノを秘めて、矜持(きょうじ)が強く、何事にも真剣に取り組むような人物」という感じに描かれていたのが興味深かったです。
 

これが大ヒットしたという話は聞きませんが、非常に楽しく、随分と笑いながら見た映画でした。

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