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樺太時代の人口推移

樺太時代の人口=『樺太年鑑』(昭和10・12・14年)より

人口が最も多かった時期の樺太(南樺太)には40万人程度の人々が暮らしていたと伝えられています。
樺太が日本に割譲されて以降、各地に産業を興し、都市建設を進めた中で少しずつ住民が増えて行きました。
当初、樺太への貨物や旅客の輸送に関しては函館港や小樽港を発着する船が主流を占めていたようですが、稚内・大泊(現在のコルサコフ)間に稚泊航路(ちはくこうろ)が開設されて以降、旅客輸送は稚内港経由が主流となって行ったようです。また、稚泊航路開設以降、樺太の人口の増え方が大きくなっている様子が見受けられます。
資料を挙げた時期以降、樺太では炭鉱の開発が活発化し、各地に炭鉱の町が形成されて人口が増えていきました。

樺太全体の人口

年次
総数
男性
女性
明治39(1906)
12,361
8,042
4,319
大正元(1912)
42,138
23,903
18,235
大正5(1916)
66,280
37,240
29,040
大正10(1921)
103,630
59,136
44,494
昭和元(1926)
203,573
117,269
89,304
昭和6(1931)
287,377
161,767
125,610
昭和8(1933)
300,298
167,024
133,274
昭和10(1935)
331,943
186,225
145,718
昭和12(1937)
326,946
176,149
150,797

【参考】
1905 - ポーツマス条約締結により北緯50度以南の樺太(南樺太)が日本に割譲された。
1922 - 小石・稚内(南稚内)間に鉄道が開業。(現在は廃止されている天北線)稚内に鉄道が乗り入れ、各地と結ばれるようになった。
1923 - 稚内・大泊(現在のコルサコフ)間に稚泊航路(ちはくこうろ)が開設された。
1924 - 稚内・本斗(現在のネベリスク)間に稚斗航路(ちとこうろ)が開設された。

樺太時代の地域別人口

地域名
昭和6(1931)
昭和8(1933)
昭和10(1935)
豊原支庁管内
63,218
65,201
64,882
大泊支庁管内
52,658
52,187
46,679
留多加出張所
15,963
17,231
16,397
本斗支庁管内
18,539
19,680
22,368
真岡支庁管内
40,309
41,245
47,917
泊居支庁管内
18,598
21,007
21,523
鵜城出張所
26,907
29,118
36,320
元泊支庁管内
26,761
26,720
26,274
敷香支庁管内
24,424
27,909
40,155


現在、稚内市と友好都市提携をしている町の人口

昭和8(1933)
昭和10(1935)
昭和12(1937)
本斗町
(ネベリスク)
10,590
11,040
12,326
大泊町
(コルサコフ)
30,561
27,965
24,269
豊原市
(ユジノサハリンスク)
*昭和12年から市制
33,474
35,390
37,365

お問い合わせ先

建設産業部サハリン課
稚内市中央3丁目13番15号
交流促進グループ 23-6486(直通)

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