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稚内市民サハリン交流団 コルサコフ市での交流会1

①コルサコフ市の歩み
コルサコフ市での交流会の様子。「稚内市民サハリン交流団」が5月13日にコルサコフを訪ねた際、地域についてのお話しを伺う機会がありました。

この中から、コルサコフの歩みに関するお話しをご紹介します。

(以下、コルサコフ市で伺ったお話しの概要です。)

(文中の*は訳注です。)

コルサコフ地区(* サハリンでは、道内の“支庁”のようにいくつかの町をまとめて“地区”と呼ぶが、その地区がそのまま州内の行政単位となっている。) はサハリンの南東部を占めており、面積は約3千平方キロメートル、行政の中心地はコルサコフ市で、地区全体の人口は五万人程度である。コルサコフ市はサハリンで最も古い街の一つで、来る10月4日には建都155年の祝賀行事を催す予定となっている。

1853年(* 日本史では「ペリーの黒船来航」でお馴染みの年代。) 、現在のコルサコフ市の一部に相当する地域でロシアの航海家ゲンナージー・イワノビッチ・ネべリスコイがアイヌの村“トマリ・アニワ”、“クスン・コタン”に踏み入り、ムラヴィヨフ砦を築いた。“ムラヴィヨフ砦”とは東シベリア総督(* 帝政ロシアの官職。大陸からサハリンの、今日の“極東”に相当する領域での事務などを指揮する役職。) であったニコライ・ニコラエビッチ・ムラヴィヨフに因むものである。砦はその後、今日のコルサコフ市の北側に移転しているが、現在、この場所がサハリン州史跡となっており、記念碑が建てられている。

1869年(* 明治2年)、ムラヴィヨフ砦はコルサコフ砦と改名した。これは東シベリア総督、ミハイル。セミョーノビッチ・コルサコフ大佐に因むものである。1993年(* 平成5年) 、コルサコフ市内の小広場にこのコルサコフの胸像が建立された。コルサコフ砦の管轄地域は、ロシア帝国政府により流刑地に指定された。これによりサハリン南部で“島流し”となる人が出るようになり、やがてロシア人が定住するようになっていった。こうしてロシア人の村の礎が出来たが、それは今日の一の沢、二の沢、三の沢、ソロヴィヨフカ(* コルサコフ・ユジノサハリンスク間の移動でガイドから紹介があった通過した地区。) プリゴロドノエのあたりになる。

コルサコフ砦にはロシアを代表する知識人が足跡を残している。

それはロシアの作家アントン・パヴロビチ・チェーホフ、ヴラス・ミハイロビチ・ドロシェービチである。彼らはその訪問に関して(* チェーホフは)『サハリン島』、(* ドロシェービチは) 『サハリン―流刑地』という本を各々著し、その当時としては大変興味深かった内容で注目された。

今日のコルサコフ地区は、公式には1946年6月5日に設立された。

当時、最初の移民がやって来た。彼らは積極的に水産業、鉱山、林業、農業といった各産業の礎を築くべく努力をした。

そうした努力により、1960年代から70年代にかけて成果が見られるようになった。

以下のような企業が活動していた。

-ソロヴィヨフ動物コルホーズ:国際的な展示会に出品した実績もあった毛皮製造所
-オジョルスキー村のキーロフ漁業コルホーズ
-商業港
-ノヴィコヴォ高山
-コルサコフ遠洋漁業基地:サハリンから遠い海域へ操業に出ていたことで知られていた。
-コルサコフ段ボール工場:極東全域に商品を出していた。

1990年代初頭の出来事(* ソ連が旗を下ろしたことを指す。) に関連し、この地区の企業にも解体を余儀なくされたものが見受けられた。しかしそれでも国営、民営の様々な企業が新たに起こっている。

現在のコルサコフでは、以下のような企業が活動している。

-商業港
-自動車修理工場
-<セーヴェルナヤ・ズヴェズダ>(* 「北の星」という意味) ビール・飲料工場:この工場の飲料は広くサハリンで出荷されている。
-パン工場

コルサコフ地区には16の普通学校(* 日本の小学生から高校生に相当する児童・生徒が在籍する10年制の学校) 、15の就学前児童施設(* 幼稚園・保育所) 、15の図書館がある。芸術学校活動も行われており、フォークロアアンサンブル<バーブシキナ・ペースニャ>(* 「おばあさんの歌」という意味) は国際的なものも含めて様々なコンクールでの受賞歴を誇り、その種の活動を代表するものとなっている。<青少年の家>という課外文化活動も行われており、郷土博物館、文化センター<オケアン>、映画館<ソユーズ>、また公園などの文化施設もある。

街では地元出身スポーツ選手に誇りを持っている。彼らはサハリン州内に止まらず、広く活躍している。各競技でロシアチャンピオンになる選手も輩出している。現在、地区内では40のクラブ、競技団体支部が活動中である。

コルサコフ地区の経済は成長しているところである。この5年間で以下の特筆すべき出来事があった。

地区病院の新規建設、産院の再建、公衆浴場の再建が実現した。市内では2つの橋が新たに出来た他、新たな建築物も登場しており、ファミリーレストランや診療所が出来ている。

コルサコフでは新しい体育館やプールの建設計画もある。

新たな廃棄物処理施設も最近の大きな成果である。

コルサコフ地区内のプリゴロドノエ村であった辺りのアニワ湾沿岸部では、サハリンエナジー社によりロシア唯一の天然ガス液化工場が建設されている。着工以来、今年で5年目となり、今年中には稼働する予定である。

90年代以降は、日本との経済や文化の関係も成果を挙げつつ発展している。コルサコフ市には3つの日本の友好都市がある。稚内、紋別、余目(* 山形県庄内町)で、これは稚内・コルサコフ航路の賜物である。友好都市関係を通じてビジネス関係の接触も発生し、文化・スポーツの分野では強固な友情が築かれている。(了)

* 下記画像は何れもコルサコフ市
史跡ムラヴィヨフ砦
コルサコフの胸像
19世紀のコルサコフ砦
史跡ムラヴィヨフ砦1993年のコルサコフ胸像除幕式19世紀のコルサコフ砦
1940年代にソ連全土からサハリンへやって来た移民
「コルサコフ遠洋漁業基地」の看板
隆盛を誇った漁業の様子
1940年代にソ連全土からサハリンへやって来た移民「コルサコフ遠洋漁業基地」の看板隆盛を誇った漁業の様子
1960~70年代のコルサコフ
1960~70年代のコルサコフ
1960~70年代のコルサコフ
1960~70年代のコルサコフ1960~70年代のコルサコフ1960~70年代のコルサコフ

お問い合わせ先

企画総務部交流推進課
稚内市中央3丁目13番15号
交流推進グループ 0162-23-6486(直通)

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