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日本のてっぺん わっかないへようこそ 最終更新日2009年3月6日 金曜日

 

南極にて…

昭和33年2月、極寒の地『南極』
第2次越冬隊が乗り込む南極観測船「宗谷」は、昭和基地の手前140キロメートルの海上で氷に行く手を閉ざされ、身動きがとれなかった
宗谷は、例年にない厚い氷に閉じこめられたうえ、スクリューを破損しており、越冬隊は、荒天のため基地への上陸も、越冬も中止せざるをえない状況になってしまった
隊員たちは、1ヶ月分の食料を犬たちに与え、「その1ヶ月の間に自分たちか次の越冬隊が迎えにくる」との希望を胸に、50メートル程のロープに犬たちを鎖でつなぎ、万感の思いで基地を後にした
こうして15頭の犬たちは、昭和基地に取り残されることになった
氷の海を逃れ、隊員たちは、天候の回復と犬たちの救出を願い、燃料や食料などを考えてぎりぎりまで洋上で待機していたが、1週間経っても天候は全く回復せず、ついに南極を後にすることになってしまった
犬たちが、無事に生き延びることを祈って…
翌年、第3次南極観測隊を乗せ、嵐の海を無事に越えて昭和基地の沖合百数十キロメートルいたどり着いていた「宗谷」に、基地の様子を見に飛び立っていたヘリコプターから『2頭の犬』を発見したという連絡が飛び込む
15頭のうちタロとジロだけが、奇跡的に生きていたのだ
零下40度を超える極寒の地『南極』で1年間生きていたことは、すぐに日本に伝えられ、国内はもとより世界中の人々から感動と賞賛の声が寄せられた

 

遠い故郷

タロ ジロ

極寒の南極で奇跡的な生還を果たした「タロ」と「ジロ」は、そのまま第3次越冬隊とともに再度任務についていましたが、昭和35年7月にジロが南極で死亡、翌36年に帰国したタロは同45年8月に北海道大学付属植物園で死亡しています
広く南極観測犬の偉業と功績を伝えるため、ともに学術的貴重なはく製として保存され、タロは北海道大学農学部博物館に、ジロは国立科学博物館に展示されています
このような中、兄弟犬のタロとジロが離れ離れになっているのは可哀相と感じていた東京在住の童話作家・藤原一生氏が、同58年に「タロとジロをいっしょにさせる会」を設立して全国的な署名活動を行い、平成元年までに6回にわたって署名簿と要望書を文部省に提出しています
その後藤原氏は、北海道在住の芥川賞受賞作家・高橋揆一郎氏に運動への協力を要請しています。迷っていた高橋氏も平成2年2月、道内の新聞に「離ればなれのタロとジロ」という一文を載せたところ、読者からの反響や、当時の北海道知事が調査を指示したことなどから、“タロとジロを生まれ故郷に”との思いが一層増してきたといいます
そして、このころから稚内とのつながりが始まりました
平成3年には高橋氏を代表に、北海道知事や札幌市長・稚内市長、道内の著名な作家やジャーナリスト、そのほか各界各層の代表者が参加して『タロとジロを同居させる会』を設立し、当時の鳩山文部大臣に対して直談判を行うなど、様々な運動を展開しています
またその間にも『タロとジロを稚内に誘致する会』が発足し、「タロとジロを稚内に誘致する運動市民大会」も開催して、地元での機運も盛り上がってきていました
しかし、これまで博物館側では、ジロは南極で死亡してから半年後にはく製にしたため、耳や尻尾の傷みが激しいことや、学術的あるいは歴史的価値を持ち博物館標本として、研究・教育などに利用されるべきものとの理由から、持ち出すことを断ってきました
平成9年、敦賀市長自らが国立科学博物館に赴き、稚内市が今年、開基120年・市制施行50年・開港50年の節目の年を迎えることから、記念事業のメインゲストとして、是非生誕地の稚内への里帰りを実現させてほしいとの意向を切々と訴えてきています。その熱意に応えていただき、これまで門外不出だった「ジロ」の貸し出しが許され、タロと一緒に兄弟そろって稚内に里帰りできることになりました

 

南極観測樺太犬は永遠のヒーロー

樺太犬は、体力があり、粗食と寒さに耐え、指の間の密毛が特に雪の上での労働に適した特徴を備えた犬です。稚内地方でも北国の輸送手段として市民の生活を長い間支えていました
昭和32年から日本が初めて南極観測に参加するため、極寒の地での物資輸送に樺太犬による犬ぞりを使うことが決定されました
その前年となる昭和31年、稚内周辺などから集められた樺太犬たちが、南極に出発する前の約8ヶ月間、稚内公園で訓練を受けています
その中には、タロ・ジロとともに、もう1頭の兄弟犬「サブロ」もいましたが、人一倍がんばり屋だったサブロは、長距離訓練の途中に腸を痛め、手当の甲斐もなく息を引き取ってしまいました
厳しい訓練を受け、その中から選ばれた22頭が第1次越冬隊とともに南極へと旅立ったのは昭和31年11月でした
昭和34年、置き去りにされた樺太犬のうちタロとジロが生きていたという南極観測史上にさん然と輝く1ページを記した樺太犬の功績を讃え、昭和35年に「南極観測樺太犬記念碑」が、また、南極で亡くなった犬たちの慰霊碑である「樺太犬供養塔」が昭和36年に稚内公園山頂の犬ぞり訓練地跡に建立されています
毎年8月上旬に行われる「みなと南極まつり」にあわせてこの供養塔の前では、市内の子ども会が中心となって慰霊の花束を捧げ、南極樺太犬の偉業を讃える慰霊祭が行われています
子どもたちは、今なお樺太犬に対する愛情を持ち続け、慰霊祭は次代へと受け継がれています
市民にとてタロとジロは永遠のヒーローなのです


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