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旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(通称:赤れんが通信所)

一般公開日のおしらせ ※終了しました

 日 時:令和5年10月21日(土)10:00~15:00
         10月22日(日)10:00~15:00
 主 催:稚内市歴史・まち研究会
 予約不要でご参加いただけます。この機会にぜひ足をお運びください。
 

赤れんが通信所について

旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所の写真

旧大湊海軍通信隊稚内分遣隊幕別送信所(市指定)
所在地 恵北

 昭和6年(1931)北方の国土防衛をねらいに海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所として新設され、平屋の送信所庁舎・隊舎、木柱から順次鉄塔のアンテナがそそり立つ施設が丘の樹木の中に目立たぬように建設された。
 昭和12年(1937)海軍大湊通信隊稚内分遣隊に昇格して北方海域における電波戦に対処していた。
 昭和16年(1941)、敷地面積6ha、周囲は常時監視の目が光る要塞施設の感じで、レンガ造りの庁舎・並びに隊舎の完成と同時に、一挙に隊員が増員され、1個中隊編成でにわかに緊張を高めてきた。
 戦後になって知ることになるのだが、この施設は大本営海軍部と直結した送受信基地で太平洋戦争開戦時「新高山、登レー二○八」の暗号電報は、ここから単冠湾の機動部隊司令官南雲海軍中将に中継打電された。さらに、昭和20年3月17日硫黄島最後の攻撃の決別電報を、小笠原兵団長栗林中将から涙とともに傍受するなど、最北の無線基地でありながら常に最前線と連絡をとりあった重要拠点基地でもあった。
 昭和22年(1947)アメリカ軍第11空挺部隊の一部、第1騎兵師団通信業務隊が幕別送信所跡に駐留。
 昭和37年(1962)のキャンプ撤退まで幕別住民との交流が続いていた。
 昭和48年、レンガの建物・鉄塔はそのままで防衛庁が管理することになった。
 平成18年3月(2006)国より有償譲渡を受ける。
 令和5年3月(2023)B棟・C棟を市の有形文化財に指定する。

施設老朽化により、敷地内への自由な立ち入りを禁止しております。
ご見学には市への事前予約が必要となりますので、2週間前を目安に、社会教育課(0162-23-6056)までお電話ください。

※予約の際、ご希望の見学日時(第2希望まで)、見学人数、代表者氏名、代表者連絡先を伺います。
※積雪により令和5年度の見学受付は終了しました(令和5年11月11日~融雪まで)

お問い合わせ先

教育委員会教育部社会教育課
稚内市中央3丁目13番15号
文化・社会教育グループ 0162-23-6520、0162-23-6056(直通)

メールでのお問い合わせはこちら

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