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南極へ行った犬、タロとジロ。一年間南極で自力で生きのびた犬たちのお話です。

樺太犬タロ・ジロ
昭和 30 年、日本は南極観測に参加することを決めました。南極観測(かんそく)に参加するために観測するグループを決めなければなりませんでした。南極で色んなことを調べる人たちはすぐに決まりましたが、活動するために寝()たりする場所を作る人がなかなか決まりませんでした。

 この役目は子どもの頃(ころ)から真っ白な氷の世界にあこがれてきた登山家でありエンジニアでもある西堀栄三郎(にしほりえいさぶろう)という人にやってもらうことになりました。 南極観測に行くと決まったときから西堀さんは飛行機と犬とで南極を進もうと思っていました。なぜなら昔に北極や南極を探検(たんけん)して成功した人たちは必ず犬ぞりを使っていたからです。
 関係者に犬ぞりが必要だと説得して、昭和 31 年 1 月に犬ぞり隊が結成されました。 この時点で 11 月の出発まで 10 ヶ月しか時間がなかったため、少しでも早く寒い場所でも行動できる良い犬を探(さが)して訓練を始めなければいけませんでした。しかしここでどんな犬にそりをひかせようか、という問題がありました。外国ではハスキーかサモエドというどちらも大きな犬に引かせていました。だけれども「日本には樺太(からふと)犬という立派(りっぱ)な犬がいるじゃないか。世界に樺太犬のすばらしさを教えよう」という声があがり、樺太犬に犬ぞりを引かせることに決まりました。西堀さんは犬を集めるためにすぐに北海道へ向かいました。

樺太犬1 樺太犬は体力があり、少しのエサでも寒さにがまんでき、指の間に毛がたくさん生えているため雪の上で仕事するのが得意なのです。西堀さんががんばったこともあり、少しずつだけれど犬たちが集まってきました。
 こうして訓練(くんれん)を始められるようになったのが 3 月末でした。わっかない市はすぐにわっかない公園を訓練のために使っても良いと言いましたが、それだけでなく訓練所の建物を用意してくれたり、犬たちのエサを買ってくれたりといろいろと南極観測グループを支(ささ)えてくれました。しかもわっかないは雪が多く、風が強く、そして犬のエサになる魚もたくさんあり、犬ぞり訓練のために広いコースもとれるため、訓練する場所としては最高な場所でした。 それからわっかない公園で訓練すること 8 ヶ月間、樺太から帰ってきた後藤直太郎(ごとうなおたろう)さんの調教(ちょうきょう)によって、犬たちは少しずつ南極でも活動できるように成長していきました。

樺太犬2  そして昭和 31 年 11 月 8 日、ついに東京の晴海(はるみ)ふ頭から南極に向かう観測船(かんそくせん)「宗谷(そうや)」が出発しました。このときに宗谷に乗っていたのは観測グループ 53 名、船の乗組員 77 名、樺太犬 22 頭(そのうち2頭はまだ子犬でした)、そしてネコが 1 匹(ひき)にカナリアが 2 羽でした。
 南極に着くまでの間の一番の問題は犬たちの健康でした。樺太犬は寒さには強いけれども、赤道の暑さを乗り切れるだろうか分らなかったのです。前に南極に観測にいったグループは暑さによってほとんど全ての樺太犬を失ったといわれていました。そのため犬たちの部屋には当時まだ手に入りづらかった冷房(れいぼう)があったそうです。この冷房のおかげで無事に赤道を通過することができました。
 東京を出てから 2 ヶ月以上たった昭和 32 年 1 月 18 日、観測船宗谷はついに南極大陸を見つけました。そしてまだだれも着たことのなかったプリンス・ハラルド海岸の一部分にあるオングル島へと犬ぞりと雪上車でたどり着いた観測グループは、そこを昭和基地(きち)と呼()ぶことにしました。その日から宗谷と基地との間で荷物運びが寝る間もないくらいに行われ、住む場所や観測するための建物が建設(けんせつ)されていきました。そして 2 月 15 日、宗谷は観測グループの中から 11 名と 19 頭の樺太犬を残して、日本へ帰っていきました。

 残った観測グループはいよいよ活動を開始しました。南極は思ったとおり気象が悪く、食べ物や貴重(きちょう)な燃料(ねんりょう)があった氷原が一夜にして流されていったり、ブリザードのときは外においてあった食べ物をとりに行くのさえ大変だったといいます。
 ところで基地の風下に犬たちはいたのですが、この南極の寒さの中、用意された犬小屋に入ることもなく多くの犬たちは 1 年間を外で寝起きしたというからおどろきです。
  7 月の半ば、ついに南極を進む時がきました。しかし雪上車は寒さで不調だったため、犬ぞりがそれに代わりました。調べるために行かなければならないボツンヌーテンまでたくさんの荷物をもち、 27 日間も歩かなければなりませんでした。犬たちの足もケガだらけで、観測グループの人たちは手当てをしたり手袋(てぶくろ)をはかせたりして、支えあって着いたのです。結果そりをひいた犬たちは無事に基地に帰ってきましたが、残った犬の中には病気になり、息を引き取ったものもいました。

 南極での 1 年間でかわいい犬たちを少しずつ失っていきましたが、一頭だけメスであったシロという犬が子犬を生んだりとうれしいニュースもありました。 1 年間南極で生活してきた南極観測グループでしたが、昭和 32 年 12 月に次の南極観測グループを乗せた船がきました。しかしいつも以上に氷が多く、 31 日にブリザードが起こり宗谷は周りを氷にかこまれ動けなくなってしまいました。 46 日たってから動けるようになりましたが、宗谷はキズついてしまい、氷海に行くことは難(むずか)しくなってしまいました。それでもアメリカの船の助けもあり昭和基地の近くにつくことができました。ですが次の南極観測のグループが昭和基地に来ることはできず、西堀さんたち南極観測グループは帰らなければなりませんでした。しかも犬たちを残さなければならず、 1 ヶ月分のエサをおいて 1 ヶ月後に自分たちか次のグループがむかえにくると信じていました。

樺太犬3 しかし悪天候が続き、結局1年もの間むかえに行くことはできませんでした。 1 年後、宗谷は南極観測グループを乗せてふたたび南極にきました。そのころには残していった犬たちはすべて死亡(しぼう)していると思われていました。だけれどもタロとジロという兄弟犬が生きていました。このニュースはすぐに観測船宗谷から日本へ伝わり、さらに世界へと広まりました。この感動の出来事は人々の心を強くゆさぶったのでした。




タロとジロのことをもっと知りたい人はこちらへどうぞ

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