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第46次南極地域観測隊 近江隊員の南極滞在記(2005年4月分)

4月1日(金)

(天候:雪・最大風速:8.6m/s・気温(最高:-5.9℃ 最低:-8.3℃))

 今日から4月となり、気持ちも新たにと張り切って4月に突入!!
 夕食後のミーティングで必ず越冬隊長からのお話があるのですが、今日のミーティングで過去に昭和基地で起こった事故の二例を取り上げていました。どちらも火災の例で、ひとつは、カブース(大型そりに幌が付いているもの)が火災を起こしたことと、もうひとつは洗濯場の火災でした。原因はどちらも、不注意によるもので、もう少し慎重にしていれば防げた火災であったということです。これらの事例を紹介することでこの昭和基地での火災の恐ろしさ(生命に関わることと、観測事業に多大なる影響が出ること)を肝に銘じて生活、業務をしてほしいことを再認識してもらいたいということだと思います。
  実際には、様々な事故がこの基地で起こっています。基地の規模が第1次隊の約30倍以上、観測施設、生活環境は飛躍的に充実し向上をしています。今は、基地の建物の中にいる限り国内で仕事をしているのとほとんど大差が無い状況です。でも、外に出ると厳しい自然環境はなんら昔から変わっていません。
  ブリザード、低気温、クレバス、クラック・・・などが待ち構えています。
  また、生活の快適さや観測の高度化に伴い複雑で大型の機器類が設置され、雪上車、大型車両等が増え自然以外の危険をますます抱え込んでもきています。このような状況で事故がいつ何時起きても不思議はない中で、限りなく事故はゼロに近づけたいわけです。ですから過去の事例での原因、対策等が重要な財産となっています。その財産をきちんと私達は生かして限りなくゼロででは無くゼロのまま、任務を終了したいものです。

4月2日(土)

(天候:雪一時曇・最大風速:8.3m/s・気温(最高:-2.8℃ 最低:-5.0℃))

 午前9時、天候が穏やかになりFA(フィールドアシスタント)隊員の「中の瀬戸」付近のルート調査に同行をして来ました。気温はマイナス7度程度、しかし風が全くといっていいほど無く、寒さはそう感じられない程度、多少曇ってはいますが、雲も薄く時折太陽が見え隠れしています。調査には絶好のコンディションといったところでしょうか。総勢5名で出発です。昨日はかなりの量の雪が降り、道路以外はかなりの積雪で初めて足を入れるところは、いつも使用している陸上ルートであってもFA隊員が先頭になり慎重にゾンデ棒を使いながら前進します。ひざ上まで来るくらいに新雪が積もっていますので、慎重にならざるを得ません。少し雪の浅いところになると岩が凍り付いているのが解らずその上に乗って転ぶなんてこともしばしば。その岩自体、先が鋭く尖っているものが多くその上に転倒なんてことになると大きな怪我につながります。
  あくまでもどんな状況でも慎重に前進しなければなりません。距離にして約 1.5KMですが慎重に前進していますので約40分以上はかかります。ようやく目的地の中の瀬に到着。対岸には西オングル島が見えます。距離にして約50M程度。その間は浅くて多少の流れがあるために氷付いていません。その周りも海氷が薄く、そのうえ新雪がかなり深く積もっており、クラックが見えませんのでなおさら危険であるということらしいです。いずれにしろ寒さが増してくると凍りつくのでしょう。安全が確保されたら西オングルに渡ってみたいと思います。往復で約2時間、気持ちのいい汗をかいた旅?調査同行でした。

慎重に進んでます
到着!!
向こう側が西オングル島
(慎重に進んでます)
(到着!!)
(向こう側が西オングル島)

4月3日(日)

(天候:雪時々吹雪・最大風速:15.0m/s・気温(最高:-7.7℃ 最低:-17.9℃))

本日は休日日課。これといった行事もなくのんびりと過ごした一日となりました。
 夕方、何やら通路の壁に写真が続々と貼られているではありませんか。これは「第1回 オングル島フォトコンテスト」に出品された力作?です。

私の自信作品たち その1
私の自信作品たち その2
私の自信作品たち その3
(私の自信作品たち①)
自身作品 その1  
  自身作品 その2
(自身作品②)

 昭和基地に来てからの約4ヶ月間にそれぞれ撮り貯めた写真の中から、これはという作品(一人5作品)を募集したのです。部門は「業務」、「自然」、「生活」、「その他」の4部門です。最終的に70点ほどが出品されましたが、やはりペンギン、オーロラ、夕焼け、氷山等がテーマの自然部門が多くなっていました。
  また出品されている全てのものはそれぞれテーマがつけられ、一層、作品を引き立たせていると思われる?ものもありますが皆さんの感性が出て大変おもしろく見させてもらっています。第2回以降も企画する予定になっていますのでそれまでに私もいい獲物?を狙ってみたいと思います。
  明日から毎週月曜日夕食後に、「南極大学」が開講されます。これは越冬隊員全員がテーマは自由とし持ち時間を30分間として発表する企画で、1次隊から継続している伝統行事で、越冬隊恒例となっているそうです。出発前から話題になっており、どんな題で発表しようかと皆さん悩んでいました。それがもう目前となっています。ちなみに明日発表する3人の題目は「ラドンを測る」、「マンション購入時の注意点」、「いばらぎ」じゃなくて「いばらき」という興味深いお題になっています。どんな内容になるのか楽しみです。私もそろそろお題を考えなくては・・・

立派な木製看板です

(立派な木製看板です)

4月4日(月)

(天候:快晴・最大風速:11.2m/s・気温(最高:-7.6℃ 最低:-9.7℃))

 今日の午後より、越冬隊長と小型無人航空機の滑走路調査で海氷上に行ってきました。天候は晴れ、無風で気温はマイナス7~8度といったところでしょうか。
  この小型無人航空機(簡単に言うとラジコン機です)にMR磁力計を搭載して、高度150~500mを飛行させて調査をするらしいです。その小型無人航空機の滑走路として適当な広さで平らな使えそうな広場といえば、海氷上しかありません。その海氷上も一見平らに見えますが、サスツルギがあったり、海氷の凹凸があったりで、ちょうど良い場所を見つけるのに一苦労です。とりあえず何とか確保は出来ましたが無事離発着できればいいのですが・・・
  今日のイベントは、なんと言っても南極大学開講の話題です。越冬隊員全員がそれぞれの題を決めてそれについて30分以内で発表するのですが、初日は3人の発表がありました。
  まず、一人目の題目は「ラドンを測る」題は難しそうで私の最も苦手とする化学ですが、ラドンが空を飛ぶ放射能を持った気体ということがわかっただけでも良かったと思います?。
  次は、建設会社勤務の隊員らしく「マンション購入時の注意」でした。さすがマンション建設を担当している人でしかわからない裏事情等も含めて、購入する際の注意(良い物件、悪い物件の見分け方)等を話していました。会場からは「へえ~、そうなの? そうだったの?」という声も聞こえてきていました。ためになりました。そして、最後は茨城県出身で、「この~木なんの木、気になる木~」で有名な企業出身の隊員による「いばらぎ」じゃなくて「いばらき」という題目でおもしろおかしく「いばらき」の由来を話していました。もともとというより廃藩置県以来「いばらき」だそうなんですって。知らなかった・・・3人ともとてもよく纏められた内容になっており感心しました。さて、自分は・・・

ラドンを測る
 マンション購入時の注意

(「ラドン」「マンション」言葉は似てますが・・)

「いばらき」でうから その1
 「いばらき」ですから その2
(「いばらき」ですから)

 この南極大学を通じて、一人一人のまだ見つけることが出来なかった意外な性格や人間性等も見つけることができることも、この南極大学の良いところです。

4月5日(火)

(天候:晴・最大風速:11.2m/s・気温(最高:-7.6℃ 最低:-12.2℃))

 今日一日は、月例報告の取りまとめ・・・各部門より提出してもらった報告書を提出様式に合わせてまとめていきます。
  この報告書には、3月中の観測内容、設営業務内容が詳細に記入されており、それぞれの部門やそれぞれの隊員が精力的にさまざまな観測、業務をしていることが良く分かります。改めて観測隊の膨大な業務の多さを感じます。
  さて、生活係の中で「バ-」係があるということは以前に紹介しましたが、火、木、土の3回、担当の係員のローテーションを決めて営業をします。毎回、大盛況です。この「バ-」でいろいろな意見交換がなされます。これがまた面白いというか、ためになるというか。それぞれの隊員がいろいろな「引き出し」を持っており、そこから出てくるいろいろな話。これを聞いたり、話に参加したりすることは、私にとってすばらしい財産となります。南極観測隊として参加できてすばらしいことばかりですが、沢山の隊員と知り合えたことも何事にも変えがたくすばらしいことと思っています。特に今、こうして37名で、越冬生活を1年余り過ごすわけで、今後、再び同じメンバーが同じ状況でということはありえませんので、この今、そしてこれからをかみしめながら生活をしていこうと思っているのでした・・・

4月6日(水)

(天候:曇時々雪・最大風速:16.6m/s・気温(最高:-5.6℃ 最低:-7.5℃))

 10:41分、食堂でコーヒーを入れていたら、発報!!場所はどこだぁ~「仮作業棟」の警報盤が赤く点灯。それぞれの持ち場に一斉に飛んで行く。
  先日、過去の事故例の紹介の中で作業棟の火災について紹介があったばかり、瞬間的にこんどこそ火が・・・と頭の中を一瞬のうちによぎりました。とそのとき本部に現場で作業していた隊員より、電話があり「火災ではない。小型無人航空機のエンジンテストで出た煙が感知したのでは」という一報がありほっと胸をなでおろしたのでした。
  しかし、隊の消火体制は、火が出てなくとも現場配置をし、その時点で最終的に人員確認(行方不明者が居ないことを含めて)を行うことになっています。最終的に10:50分、現場指揮より本部に対して現場の状況、人員の最終確認の報告が来て消火態勢の解除になったわけです。
  この間の約10分、それぞれに割り当てられた持ち場まで無駄なくこなせたとは思いますが、中にはまだまだというところや新たな改善点が出てきたり。この問題を解決して態勢作りをしていかなければなりません。いずれにしても、この積み重ねが大切です。でも、警報音は心臓に悪いです。

総合防災盤(よく鳴ります)
(よく鳴ります)

4月7日(木)

(天候:曇一時雪・最大風速:18.6m/s・気温(最高:-4.8℃ 最低:-7.1℃))

 日本では、二日ほど前にフェーン現象で季節はずれの暖かさが記録され、山梨県で30度を超えたとか・・・この陽気で各地で続々桜満開の報道も。石垣市では既に海開きも済み暖かさが増しているようですが、昭和基地では、マイナス7~10度をキープ、日も確実に短くなり極夜期に向かっています。日本の桜満開に併せて昭和基地でも桜満開(コピー)の気分を味わっています。

桜、満開?掲示板にコピーが…
(桜、満開?掲示板にコピーが・・・)

 極夜期は約50日程度、太陽が全く昇らないわけではありませんが一番明るいときでも夕方くらいの薄暗い明るさがほんの数時間程度。後は真っ暗・・・どうしても気持ちが沈みがちになりそうですが、越冬隊員37名で元気いっぱいで頑張って行きたいと思っています。オーロラも極夜期が一番美しいらしいですから・・・
  さて、そのオーロラも最近は鮮明なものが出ていません。ぼんやり程度は出ているみたいですが、目がこえてきているせいかぼんやり程度でしたら外にも出なくなりました。最初は少しでもオーロラらしきものが見えたらダッシュで撮影しに行っていたものですが・・・慣れは恐ろしいものです。
  3月の月例報告も無事終了し、ほっと一息と思っていると、隊のメールに月末の会議予定が・・・時は金なり?時間は止まってはくれません。乗り遅れないように頑張ります。

4月8日(金)

(天候:曇・最大風速:18.6m/s・気温(最高:-6.0℃ 最低:-7.3℃))

 今日は、お釈迦様の誕生日で日本では花祭りをして祝福をしていますが、隊員の一人が本日めでたく誕生日。さすがに本人はお釈迦様と同じ誕生日だということは知っていました。夕食後のミーティングの時に本日の誕生日の隊員の名前が呼ばれ、皆で拍手!!全員で祝福をします。
  団体生活、特にこの昭和基地での鉄則とまで言いませんが、みんなで喜びも楽しみも出来るだけ一緒に味わうことが大切で、その中から一体感が生まれ1年間の越冬生活を乗り越えられると思います。越冬隊37名全員がひとつになるというのは非常に難しいことですが、ひとつになるように一人ひとりが努力し続ける気持ちに意義があるのです。自分もこの気持ちを忘れないようにと思っています。

4月9日(土)

(天候:曇・最大風速:14.6m/s・気温(最高:-6.8℃ 最低:-9.5℃))

 秋の大運動会、1居2階2連覇達成!!大盛況の内に終了!
 月1度のスポーツ大会が、13:30分から開催されました。
 今回は「秋の大運動会~体力でポン~」これは前回最下位でした私たち2居1階の住人が自分たちにとって最も得意とする体力競技を中心にリレー方式で競うという構成で満を持して企画をしたものです。「体力でポン」という訳の分からない副題ですがこの副題が示すとおりドラム缶引き、水槽雪入れ、5段パレット積み替え等々、これら以外に暗算、早や飲み、割り箸でのパチンコ玉つかみという観測隊らしい頭脳競技?器用技も取り入れて競われました。
  我が2居1階(チーム闘魂)は、決勝戦の戦い方を想定しながら1回戦に望みましたが、結果は惨敗・・・「取らぬ狸の皮算用」で計算どおり行かないのが勝負事でしょうか・・・
  結果的には気を取り直して3,4位決定戦で奮起し、何とか3位を確保して最下位を免れたわけです。ちなみに決勝戦は手に汗握るデッドヒートを繰り返しましたが僅差で1居2階チームが見事連覇を達成したのでありました。
  こうして休日日課の楽しいひと時を過ごしたのでした。でも、ほとんどの隊員は明日以降、筋肉痛に悩まされることになるでしょう。

開会
必死に… その1
必死に… その2
(開会です)
(必死に・・・)
まけられません!! その1
  負けられません!! その2
  負けられません!! その3
(負けられません!!)

 土曜日の昼食は恒例のカレーライス。そこには必ず野菜サラダがつきます。最近は農協係が栽培している貝割れがよくつきますが、昨日は何やら緑色の物体があるではありませんか。これは農協組合長自らが丹精込めて作ること3週間、見事な「サラダ菜」なのです。一人僅か3枚ですが、口に運んだ瞬間に柔らかくみずみずしい食感の他になんともたとえようの無い感触が口の中に広がりました。日本では感じられない感触です。丹精込めて作られ、みんなに美味しく食べてもらおうという気持ちがサラダ菜を通じて感じられたのだと思います。
  農協長、ありがとうございました!

4月10日(日)

(天候:雪一時曇・最大風速:6.5m/s・気温(最高:-10.3℃ 最低:-13.9℃))

 今日もテレビ会議システムを使った中継がありました。今日は「日米ライブフォーラム」と銘打って、東京(築地の朝日新聞本社)、ロスアンゼルス、昭和基地との3元中継でした。日米の高校生を中心とした企画で題目が「私たちと環境問題のグローバリゼーション」というさすがにハイレベルな題でいろいろな質疑応答がありました。日本側では、45次隊で越冬していました朝日新聞記者の中山さんがドームふじ基地での観測や生活についての体験談。LAではウエストナイル熱と地球温暖化との関係が話されていました。いずれにしても、真剣に地球レベルの問題を考えている高校生に妙に感心をさせられました。
  このような地球レベルの疑問ばかりではなく、南極についての素朴な疑問も含めていろいろな質問に答え、ひとつでも問題解決に役立ててもらえたらと思っています。
  いままで数回TV会議を行ってきていますが、必ずと言っていいほど「温暖化」による南極への影響は?氷が解けたらどうなる?という質問があります。実際にこの昭和基地で生活をしてみて肌で実感と言うのが正直よく分かりません。観測数値的には、場所により多少平均温度の上昇や氷河の減少等が観測されているそうですが、「灯台下暗し」なんでしょうか。最近はマイナス7~13度程度に推移していますし、確実に冬に向かって寒くなっています。ただ、寒さに対しての対策、例えば衣類、靴、手袋などは昔に比べると格段に良くなっており寒さに対する感覚が相当緩和されてきていることは確かです。1次隊の皆さんが今の昭和基地の様々な現況をもし、知ったとしたら・・・度々こんなことを思いながら、でも、あれが足りない、ここが不便、日本と違って使いづらいなど罰当たりのようなことを思っているのは私だけでしょうか・・・あまりにも物がそろいすぎている環境の中で生活していると「探究心」「創造性」と言うことを忘れがちになります。1次隊の越冬隊長の西堀栄三郎さん。私たちにとっては伝説の人。
 「夢」「ロマン」「勇気」「創意工夫」の塊だったそうです。私もこの昭和基地でこの言葉の原点に戻らねばと思っていますし、次世代を担う若者にもこの言葉を引き継げればと思っています。

4月11日(月)

(天候:雪・最大風速:16.3m/s・気温(最高:-10.2℃ 最低:-15.3℃))

 第2回目の南極大学が本日19:30分より開講。3人の隊員が趣向を凝らしながら発表していました。
  最初の隊員の題目は「昭和基地設備の変遷」。第1次隊から現在までの発電機の変化、構造物の建設、配置状況など詳しくわかりやすく説明をしていました。現在の環境が当たり前と思いがちになりますが、このような過去と現在の比較をすることによって1次隊以降の諸先輩方の苦労、努力を再認識させられます。
  二人目は、「自転車競技について考える」これは自分の趣味の中からの話題提供で、自転車競技(本題は競輪だったのですが)の簡単な説明と競輪に対する極意などが経験談を基に話されました。少しマニアックな内容でしたがタメに?なりました。
  3人目は「自己紹介+方言」和歌山県北部の独特の方言についての話でした。
 「ざじずぜぞ」と「だぢづでど」の区別がないらしく、例えば「ぞうさん(象さん)」を「どうさん」とか「れいぞうこ(冷蔵庫)」を「れいどうこ」また「ぜんざい(善哉)」を「でんだい」と言うらしいです。
  方言は、その地域の宝のひとつだと思います。稚内でも様々な方言があります。同じ北海道出身でも通じない言葉があったりで、その地域ならではの言葉。とても面白く興味をもって聞いていました。
  これで2回が終了し6人の隊員が今までそれぞれ特徴のある講義をしていました。自分の番まで着実に近づいています。何を話そうか悩んでいます・・・

本日発表 1人目
本日発表 2人目
本日発表 3人目
(本日発表の3人です。)

4月12日(火)

(天候:吹雪後一時雪・最大風速:18.8m/s・気温(最高:-8.4℃ 最低:-10.6℃))

 今日は衛星受信(担当)隊員によるVLBI観測が行われました。この聞きなれない観測とは?と思い少し調べて見ました。
  まず、「VLBI」とはまず何の省略なのか?Very Long Baseline Interferometryの略だそうで、日本語に訳すると「超長基線電波干渉法」となるそうですが、何のことやらサッパリ見当もつきません。電波天文学の分野で発達した計測方法だそうですが・・・昭和基地が誇る直径11mのパラボラアンテナ(多目的アンテナ)で数十億光年のかなたのクエーサー(準星、電波星)からくる電波を受信。世界の複数の観測点で同時観測を行うらしく、今回は昭和基地、南アフリカのハートラオ、オーストラリアのタスマニア島にあるホバートの3ヶ所で行われ、この3地点の距離がミリメートル単位の精度で算出されると言うことらしいです。
  「VLBI」の主な用途としてはプレート運動、地殻変動への応用で、地点間の距離の測定をすることによって南極プレートとインド・オーストラリアプレート、アフリカプレートなどの動きや、さらには南極大陸の変形まで測定できてしまうそうです。もうひとつは地球の自転速度を実測できるらしく、この自転速度は空気との摩擦などの影響で徐々に遅くなっていると考えられているそうです。
 ちなみに、4億年前には1年が400日くらいであったということも判明しているそうです。
 ここまで書いても・・・それくらい難しい観測を行っているということだけは解かりました。

4月13日(水)

(天候:吹雪後時々曇・最大風速:17.2m/s・気温(最高:-7.3℃ 最低:-9.0℃))

 「しらせ」が、私たちより一足先に昨年の11月14日に晴海ふ頭より出発し、フリーマントル港で私たちを乗せて昭和基地に向かったのが12月3日。46次夏隊と45次越冬隊を乗せ南極を出発したのが2月11日。3月20日、シドニーに到着し再び、3月28日に晴海ふ頭に向け出発。
  そして4月13日、本日「しらせ」は、無事帰国しました。日本を出発してからおよそ1年5ヶ月間の長い任務を終了しました。お疲れ様でした。しらせはこれからこの任務で痛んだ船体を整備点検します。そして今年の11月に再び昭和基地へと向かいます。私たちを迎えにくるために、首を長ぁ~くして待っています。
  このしらせ帰港を観測隊員は待っていました。これはほとんどの荷物(昭和で積み込んだ観測機器、私物等)が積み込まれているので、しらせが到着と同時に成田空港でそれぞれの職場、地域に帰っていった隊員たちがしらせ到着と同時に再び集合し、荷降ろし作業を数日間かけて行うことになっているからです。この作業が隊としての最後の任務となるわけです。
  来年の今頃は、当然私たちも同じことをするのでしょうが、あと1年後。やっぱりもう1年後になってきています。

4月14日(木)

(天候:薄曇・最大風速:21.2m/s・気温(最高:-5.8℃ 最低:-14.1℃))

 昭和基地は色々な担当隊員の力で動いています!!
 電気は、大型300kVAディーゼル発電装置2基が500時間ごとに交互に運転して発電をしています。1台が運転している間にもう1台は整備の繰り返しです。その整備作業も油まみれになりながら点検、整備をしています。
 また風呂、トイレ、厨房から排水される汚水は汚水処理タンクに一度溜め、浄化槽で処理をするようになっています。この汚水タンクや浄化槽も定期的にチェックをしています。異常が発生したら、すぐさまこのタンク内に入って調べることもあります。また車両整備も「寝板」と呼ばれるものを使い一日中、車両の下に滑り込んで整備をしています。この次の夏にすぐ使用できる状態にしておかなければなりません。
 けして綺麗な作業ではありません。しかし担当隊員は黙々と業務をこなしていきます。
 その他にも、調理担当、通信担当、医療担当、インテルサット担当、建築担当、フィールドアシスタント等、昭和基地運営のために日夜業務をしています。このような様々な裏方を縁の下から支える作業があるからこそ、私たちが普通に生活できますし、観測も当たり前のように出来るわけです。当たり前と思うとそれだけかもしれませんが、37名、それぞれが協力をして成り立っている昭和基地なのです。

4月15日(金)

(天候:曇後一時雪・最大風速:20.5m/s・気温(最高:-4.4℃ 最低:-7.1℃))

 1808年4月13日、稚内にもゆかりのある「間宮林蔵」がカラフト(現在のサハリン)探検に出発した日だそうです。カラフトが島であること、そして間宮海峡を発見したことは既に有名な話です。
  第1次南極観測隊は永田 武観測隊長以下、西堀栄三郎副隊長(兼越冬隊長)含め総勢53名、それにカラフト犬22頭が「宗谷」に乗り込み、1956年11月8日に晴海ふ頭を出発しました。その当時の日本の夢と希望を背に・・・
  どちらも、始めての「未知の地への挑戦」。ゼロからの出発です。今の昭和基地のように施設的にほぼ全てがそろっている状況とは全く異なり、全くなにもないところ「ゼロ」からのスタートです。
  西堀栄三郎さんが高校生の時にアインシュタイン博士からすばらしい言葉を頂いたそうです。「誰もやったことのない新しいことをやりなさい。一番大切なのは、まずやってみる「勇気」なのだ。」と・・・
  西堀さんが1次隊の越冬隊員に「とにかくやってみなはれ、やりなはれ」やり出さなければ失敗も成功もないことを言って勇気付けていたそうです。
  4月10日の日記にも同じようなことを書いていますが、過去の諸先輩の「勇気」を心に秘めて残りの越冬生活を過ごし行かねばと思っています。

4月16日(土)

(天候:雪後一時晴・最大風速:10.8m/s・気温(最高:-6.4℃ 最低:-9.8℃))

 午前8時より、極地研究所が企画した「白い大陸からのメッセージ」と題し、(45次越冬隊長の講演等TV会議システムを使って昭和基地と中継が行われました。極地研究所の近くの金沢小学校の6年生6人からの質問に答えるという内容でした。質問はどんな研究をしているの?食料は?基地の様子は?南極の動物は?服装は?このような質問でしたが、それぞれ担当の隊員が解り易く写真やビデオの映像を使いながら説明していました。このような質問は、今までのTV会議で必ずと言っていいほど出てくる質問ですし、私たちもTV会議を数回経験していますので、わかりやすく説明できたと思います。
  今は、このようにTV会議システムで昭和基地の存在が1万4千キロの距離を感じさせないくらい身近に感じるわけで、その日の昭和基地の天候、周りの様子も生中継されるわけですから、質問する子供たちもとてもよく理解できていると思います。
  モールス信号の時代、そして電話が通じ始め、テレビ電話もできるようになり、そして現在、インターネットで常時生の昭和基地周辺が見られますし、TV会議で生中継が簡単にできるところまできています。日本と南極、昭和基地との距離が今はほとんど感じられなくなってきていますが、南極の自然は以前となんら変わりありません。私たちも昭和基地内の環境が日本とほとんど変わらない中で業務をしていますので、ついつい錯覚を起こしているのが現状ですが、一歩外に出ると厳しい寒さが待っており1次隊が初めて南極に来た時と同じ厳しい環境であることを常に心がけていかなければと思っています。

4月17日(日)

(天候:雪・最大風速:5.2m/s・気温(最高:-9.7℃ 最低:-20.3℃))

 午前10時、初めての「遠足」が多数の参加で出発!!西オングル島のテレメトリー小屋、福島ケルン2箇所を回る往復約10キロの道程を5時間かけて楽しみました。
  この遠足は、レク係の企画で気候が厳しくなる前にということと、西オングル島までの海氷が安定するこの時期を選んで行われたのです。また、それぞれが生活場所周辺の地形を覚え、野外の経験を積み、越冬中の野外調査等を安全に行えるようにする重要な機会でもあります。
  午前8時過ぎ、レク係が持参するオニギリ作りを開始。ビニール手袋をはめ(一応、衛生には気を使っています)約60個あまりのオニギリを作成。作り慣れていないため大きさ、形等ばらばら。でも手作り感があり、個性豊かでOK!!
  出発前に天気、気温をチェック!薄曇、マイナス12~3度。風は微風!多少冷えてはいますが、風がほとんどないため、感じる寒さそれほどではありませんがしかし、ここは南極ですから出発前に服装もチェック!ほとんどが上下羽毛服、耳まで覆う帽子、分厚い手袋、そしてトランシバー(必需品です)を持っていることを確認していざ、出発!!目標のテレメトリー小屋までは、片道約4キロ。途中までは道路があり除雪もしてありますので歩くのには支障がないのですが、そこから先は道すらついていないところで、幸い雪の量がまだ少ないために助かりましたが、その分大小さまざまな尖った石がごろごろ、また凍っているところに新雪が薄くかぶっているようなところも多数。そこで足を滑らせてあちらこちらで転んでいる姿も・・・
  そんなこんなで歩くこと約1時間で目標のテレメトリー小屋に到着。

目標に向かって!
  昼食です
(目標に向かって!)
(昼食です。)

 朝、作った特製オニギリを食べていたのですが、温まっていた身体がどんどん冷えていきます。素手で食事をしていましたが短時間で指先が冷たくなります。食事もそこそこに次の目的地「福島ケルン」に向かって出発。このケルンは、ひとつは福島隊員が発見されたところ、もう一つはダビに付されたところです。よく考えると、昭和基地管理棟のすぐ傍で行方不明になり西オングル島のこの地点まで約5キロ程度をさまよったことになるのですから、よほどのブリザードだったことが窺い知る事ができます。二箇所で黙祷、線香、お酒をあげ福島隊員のご冥福をお祈りしてきました。
  帰り道は、行きと違い隊員の疲労が出てきていましたので、黙々と、ただひたすら前進で、昭和基地にたどり着いたのが午後3時。全員が無事に帰ってくることができました。この次は7月に計画されているそうですが、季節的には真冬。さてどんな遠足になりますことやら・・・

とりあえず登ってみます
  全員で!!
(とりあえず登ってみます)
(全員で!!)

4月18日(月)

(天候:曇一時雪・最大風速:5.3m/s・気温(最高:-18.9℃ 最低:-23.7℃))

 ついに皇帝ペンギン現わる!!
 昨日の朝、写真を持って走り回る隊員が・・・何かと思いきや、皇帝ペンギンがやってきたと、慌てて外に飛び出していきました。昭和基地管理棟から200~300m程度の海氷上に、体長がアデリーペンギンの約2倍くらいあったでしょうか、お腹のところが黄色く、いかにもどっしりして、貫禄がにじみでている皇帝ペンギン!隊員の数人は、10m位程度まで近づき(南極条約関連の指針で5m以内の接近は禁止されています)写真を撮っています。写真では見たことがありましたが、やはり本物ならではの迫力があります。さすがペンギンの王様です。

ザ 皇帝ペンギン その1
   ザ 皇帝ペンギン その2
   ザ 皇帝ペンギン その3
(The 皇帝ペンギン)

 今日の朝は一番の冷え込みで、日中もマイナス20度を越えず、南極らしさがようやく出てきた一日となりました。さすがにマイナス20度だと寒いより痛い感覚です。私も久しぶりにこの「痛い」感覚を味わいましたが、本当の寒さはこれからです。
 また、午前と午後とに分けて灯油コンロ(一連式、二連式)の取扱講習会がありました。これは特に山登りをする人たちが多く使用するそうで、気圧に影響されること無く、また、ガスボンベのように爆発の危険性が無いために南極で使用されているそうです。構造はいたって簡単で燃料タンクに圧縮空気を送り込んで気化させたものを燃焼させるというものです。ほとんどの隊員が始めて使用するらしく熱心に受講していました。ちなみに私も見るのも触るのも初めてでした。

火が大きすぎ?
 女性隊員も受講しています
(火が大きすぎ?)
(女性隊員も受講しています)

 さて今日は、第3回目の南極大学が開かれました。本日は大原鉄工所所属隊員の「大原鉄工所」、京都出身の調理隊員の「これからの道」、海上保安庁出身隊員「我が人生に曇りなし~栄光の奇蹟~」とそれぞれ独自に自己紹介を含めて旨く纏めていました。

もちろん全員、男性です!!
(もちろん全員、男性です!!)

4月19日(火)

(天候:雪・最大風速:9.9m/s・気温(最高:-14.6℃ 最低:-21.1℃))

 越冬生活最大のイベント「ミッドウインター祭」が今年も6月の冬至前後に開催されます。このお祭りも伝統行事となっていますし、世界各国の南極基地も同じようなお祭りをして、ミッドウインターを楽しんでいます。
 例年ですと、居住棟対抗演芸大会、餅つき、利き酒、カラオケ、オールナイト映画祭、屋台出店、また屋外に巨大雪像を作ったり、露天風呂を作った隊もありました。さて今年はどんな楽しいMWF(ミッドウインターフェスティバル)になるのでしょうか、とても楽しみにしていますし、すばらしいお祭りになるように全員で知恵を振り絞って企画をしていきます。
 このMWFの内容はというと、実行委員会なるものを作り、企画立案していくことになります。その実行委員は隊員の立候補者で構成をしますが、さてどれくらいの隊員が応募してきますことやら・・・積極的な参加を期待しています。
 また、この行事は隊の公式行事となっており、実行委員会の構成メンバーに、業務的な立場として庶務も参加することがオペレーション会議で決定されましたし、元々お祭りごとは嫌いではありませんので、今までの経験を生かし微力ながら実行委員の一員として頑張って行こうと思っています。

4月20日(水)

(天候:雪一時曇・最大風速:15.9m/s・気温(最高:-11.4℃ 最低:-18.1℃))

 今日の午前、午後と先日講習を行った「ロープワーク講習会」PART2を開催しました。今日も寒さが厳しく、講習会の始まる午前9時は、マイナス18度。講習会助手として参加しましたので、実際にザイルを使って昇り降りをする隊員の補助で私自身が動ごくことがあまり無く、厚着をしてはいたのですが、寒さがジンジンとしみてきます。参加した隊員は高さ約10Mの管理棟の非常階段を使っての決死の?訓練。登る時より降りる時のほうが恐怖感を感じるらしく、なかなか降りるまでの恐怖感を取り除けない隊員や降りる途中で、両手でザイルをあまりにも強く握り締めすぎて、スムーズに降りることができなかったりしていましたが、徐々に慣れたのでしょうか覚悟を決めたのでしょうか、何とか降りきっていました。
 実際には、クレパスなどに落ちた場合の救助する側、される側になりますので。しっかりと身に着けておかなければなりません。生命に係わるのですから。
 明日は、とっつき岬までのルート工作にスノーモービル部隊として参加します。距離は往復約40キロ程度ですが、冷え込みが厳しそうですので、充分に着込んで気合を入れて行ってきます。

4月21日(木)

(天候:雪のち曇・最大風速:14.6m/s・気温(最高:-7.1℃ 最低:-11.7℃))

 午前8時、とっつき岬までの最後のルート工作に出発。スキー部隊はフィールドアシスタントを筆頭に3名、スノーモービル部隊は越冬隊長を筆頭に3名、合計6名で出発。出発時の天候は曇り、気温はマイナス12度前後、微風。いざ出発です。

いざ出発
(いざ出発)

 今日の目的は、とっつき岬までの全長約19キロのルートの最後の部分4.5キロのルート調査を、スキー隊が海氷の状態、氷厚を測りながら前進し、ポイントに目印の旗竿を刺していきます。それをスノーモービル隊が正確に前後のポイント間の方位を測定しながら微調整をして確定させて行きます。
 このルートはこの後、雪上車が数台で内陸への輸送拠点であるS16地点へ物資移動を行う重要なルートになりますので、より安全な場所を選びつつ、雪上車が走行しやすい場所を想定しながら確定していかなければなりません。
 正午過ぎ、スキー隊は遂にとっつき岬(南極大陸)に到着。遅れること30分スノーモービル隊もポイント測定を終了し、無事到着。ようやくルートの完成です。そこにはデポしてあった雪上車、燃料等が雪に埋もれています。この雪上車もそのうち掘り起こし点検をしなければなりません。

雪に埋もれた雪上車
  燃料も埋まっています
(雪に埋もれた雪上車)
(燃料も埋まっています)

 また、大陸と海岸線には大きなタイドクラックができており、どの辺りがより安全で雪上車が通過できるかを決定する作業も・・・

タイドクラックです
  円くなって食事です
(タイドクラックです)
(円くなって食事です)

 その前に、腹が減っては~で全員で昼食です。雪面に毛布を敷いて一気に食べます。風除けの建物など一切無く風が吹き付ける中での食事で、ランチジャーに入れてあった味噌汁はどんどん冷えていくため、先に食べてしまわないと冷たくなりすぎますので一気に味噌汁を食べます。おかずもご飯も同様に一気に食べませんと直ぐ冷たくなってしまいます。また、素手で箸を持っていられないため、手袋を履き、目だし帽の口元を開けると目の部分が隠れてしまうというとてもぎこちない格好で食べなくてはなりません。でも南極大陸で食べる弁当は最高です。
 昼食を早々に切り上げ、いよいよタイドクラック地点をどのルートで渡しきるかを探さなければなりません。このタイドクラックはかなり大きなもので、海岸線に平行につながっています。深さも3~4m程度で上から覗き込んで見るとその怖さが良く分かります。このタイドクラックそのものを埋めてしまうことは不可能ですから、そこに渡し板を架けて雪上車を通過させる方法をとります。雪上車がクラックと垂直に渡らなければ危険ですので最も安全な地点を探すこと30分。ようやく適切なポイントを決定し目印の旗竿を立てて本日の作業は終了です。14時にとっつき岬を出発。帰りはスキー隊もスノーモービルに乗り込んで一気に昭和基地に向け出発。約1時間後、無事到着。往復38キロのとっつきルートの完成です。参加した皆さん大変お疲れ様でした。
 書き忘れましたが、私は何をしていたかというと、スノーモービルの運転をひたすら行っていました。スノーモービルの運転派は教育委員会勤務の時に、市民スキー場や歩くスキーのコース作りで相当経験させてもらっていましたので、この経験を旨く生かせることが出来たわけです。他の隊員は、意外と言うか当たり前というかスノーモービルを運転した経験者がかなり少ないのです。雪国でも私のような特殊な職場で無ければなかなか運転する機会が無いわけで、少しは庶務的な仕事以外でも役に立てて光栄です。ちなみにこの後、スノーモービル講習会の講師も頼まれました。大丈夫かなぁ~?

一応、運転しています
(一応、運転しています)

4月22日(金)

(天候:吹雪・最大風速:17.0m/s・気温(最高:-6.3℃ 最低:-7.8℃))

 いよいよミッドウインター祭に関しての動きが本格的にスタート!!
 先日、実行委員を募集したところ10名の応募があり、またオペレーション会議構成メンバーから、総務担当と私(庶務)、調理担当が入ることが決まっていましたので総勢、13名で実行委員会が構成されました。
 そのメンバーで、本日19時より第1回目の実行委員会を開催し、まず実行委員長を決めないことには始まりませんので、実行委員の互選で海上保安庁出身の隊員に目出度く決定!!その他、副実行委員も2名決定、日程も6月20日の前夜祭からスタートし、21日~23日の本祭、24日の後片付けの日程も併せて決定され、いよいよ本格的にこれからスタートします。
 過去の隊の資料を見ると、とても趣向を凝らし、おもしろく構成されたものばかりですが、それに負けないくらいの46次隊独自のお祭りにしていきたいと思っています。

4月23日(土)

(天候:雪のち曇一時晴・最大風速:10.2m/s・気温(最高:-7.4℃ 最低:-20.8℃))

 今日は休日日課でしたが、午後より漁協係主催による釣り大会が行われました。
 天気は曇り、風は微風、気温 度。まずまずのコンディション。9名が参加していました。いつものように収穫は「ショウワギス」タイプ。今回はサイズが小さく、ミニ、ミニミニサイズが多く、約50匹の魚獲でした。

釣ってます その1
  釣ってます その2
(釣ってます)
ミニミニサイズが釣れました
 本日の魚獲です
(ミニミニサイズが釣れました)
(本日の魚獲です)

と聞きました。と言うのは、私は釣りに参加せず、環境保全隊員の手伝いで、旧式の雪上車(お役ゴメンのもの)が20台近くアンテナ島に置かれており、来年、私たちが帰る時から計画的に持ち帰ることになっていますので、それらを解体して運び出すルートを調査していたわけです。
 この雪上車、全部で60~70トンありますので一度には到底無理ですので、少しずつ分解して小さなものはスノーモービルで、大きなものは木製の2トンそりに乗せ、雪上車で引っ張って運びます。一つ一つが重いものばかりですし、足場も悪いですからより安全なルートを探さなければなりません。またアンテナ島から運び出すルートは海氷上を通るルートですからこれもまた慎重に海氷の厚さを測定して安全を確認します。いくら冬で気温が下がったとしても、海氷は海の潮の満ち引きによって動き出しますので、いつクラックが出来てもおかしくありません。そのクラックにはまって海中に落ちたら最後・・とならないように慎重にルートを決めなければなりません。とにかく慎重に・・・

古い雪上車がずらり… その1
  古い雪上車がずらり… その2
(古い雪上車がずらり・・・)

4月24日(日)

(天候:晴のち時々薄曇・最大風速:7.0m/s・気温(最高:-14.1℃ 最低:-24.9℃))

 今日は寒かったぁ~!
 今季一番の冷え込みが6:33分に記録。マイナス24.9度。さすがに冷え込んだ感じが室内からも感じ取られるようでした。その一番の冷え込みの中、また休日日課の中、私を含む4名が朝の8時30分よりルート工作に行ってきました。マイナス20度を超えると空気が痛さを伴いながら鼻の中から体内に入り込んできます。寒さ対策で身動きが取れないくらい着込んでいますので、寒さは直接肌には触れませんが多少の時間が経過すると眉毛、まつげ、ひげがシバレつき真っ白になります。顔は「目だし帽」にサングラス、ゴーグルですので鼻の頭、頬が外気に触れると寒さを通り越して痛さが感じられます。

帽子と眉毛が凍っています
まつげが凍っています
(帽子と眉毛が凍っています)
(まつげが凍っています)


 もう少し冷え込みマイナス30~40度くらいになると、自分で気をつけて皮膚を触ったりお互いに皮膚の色を確認しあわないと凍傷にかかってしまう恐れがあるそうです。私もまだ幸い今まで凍傷になったことは無いので気をつけなければ・・・また踏みしめる雪が「キュッ、キュッ」。雪までも寒さを音で増幅させています。聞きなれない隊員にとってはこの雪の音の変化に気付くでしょうか?このルート工作に参加している私を含めての4名は、一人は旭川、一人はグリーンランドを中心とする冒険家、もう一人は極地研究所研究員ですから全員が寒さにはそう驚かないわけで、淡々とルート工作を行っていました。

ルート工作中
 氷山がビック!
(ルート工作中)
(氷山がBIG!)


 また、これだけの寒さになると水平線上によく、蜃気楼が見えます。今日ももれなく見えましたが、どう見ても氷山の蜃気楼でしかありません。(当たり前ですけど・・・)ちなみに「蜃気楼」とは巨大な蜃(はまぐり)が吐き出す息で楼閣(大きな建物)が見えると言う中国の伝説が語源だそうです。

蜃気楼が見えますか?
(蜃気楼が見えますか?)


 午前の部は11時に終了し昼食を取って午後の部、再び出発。正午を過ぎても気温は上がらずマイナス20度前後。一通りのルートチェック、氷厚チェックを済ませて管理棟に着いたのが16時。久しぶりに寒さを満喫しながら業務をした一日になりました。

4月25日(月)

(天候:曇後吹雪・最大風速:19.2m/s・気温(最高:-7.4℃ 最低:-16.9℃))

 居住棟の通路に何やら手紙らしきものが沢山張り出されています。よ~く見ると東京の小学校4年生のクラスからの激励のメッセージです。
 どうしてこんなに沢山のメッセージがあるかと言いますと、このクラスの担任である先生は、実は元剣玉の日本チャンピオンで、極地研究所の隊員室に私達が勤務していた頃、恒例になっている「剣玉教室」の講師として来て頂き、秘儀を伝授していただいた先生なのです。その先生のクラスの子供たちが私達に激励のメッセージをくれた訳です。

メッセージの一部です その1
メッセージの一部です その2
メッセージの一部です その3
メッセージの一部です その4
(メッセージの一部です)

 沢山の質問や頑張って下さいという激励のメッセージばかりです。ひとりひとりが一生懸命に南極のことを思い浮かべながら書いたんだろうと思えるものばかりです。是非とも将来、この中から一人でもこの昭和基地に来てもらいたいものです。そしてこの素晴らしい南極を体験してもらいたいものです。
  また私達はこのような子供達やそれぞれの家族、友人等、多くの皆さんからの応援、激励に支えられていることも忘れてはいけません。
  また、月曜日恒例の「南極大学」が開講されました。調理担当隊員のニューヨークに行った時の話、電離層担当隊員のロケットの話と奈良、京都の寺院名所案内、気象庁出身隊員の地震の話をしていました。この南極大学を見るたびにさすが南極観測隊員とうなずける物ばかりです。自分の順が来るのがとても恐怖です。

今日の講師3人です その1
 今日の講師3人です その2
 今日の講師3人です その3
(今日の講師3人です。)

4月26日(火)

(天候:雪一時曇・最大風速:15.8m/s・気温(最高:-4.6℃ 最低:-13.5℃))

 今日は火災報知機などの取り扱い訓練が実施されました。火災報知機が鳴ったら私達は直ちに、「初期消火」といって直近の消火器を持って火元にダッシュします。それで消火器で消せるところまで頑張ります。それで消えなければ消火班が放水を始めます。このように火を消す訓練は毎月行うのですが、火を見つけた場合の「自火報操作盤」と言って基地内に一斉放送をしたりサイレンを鳴らしたりするものですがこの使い方や、煙のある中を避難するときに付ける「緊急用防煙マスク」の装着方法、また熱感知器、煙感知器の仕組み等、いざ自分が巻き込まれたときの対処方法(自分の身を守る最低限)を身に着ける目的で行われました。この昭和基地はとにかく私達が守らなければなりません。

感知器を鳴らしてみます
  一斉放送の訓練
(感知器を鳴らしてみます)
(一斉放送の訓練)

防炎マスク、装着その1
(防炎マスク、装着その1)

 また月末になると1ヶ月の私たちの業務報告を纏める会議があります。
  観測部会、設営部会、生活部会、越冬オペレーション会議、全体会議と一連の会議が続きます。この会議が終了すると、「月例報告」を取りまとめてようやく1月サイクルの終了です。すでにこのサイクルが3回目となります。あと9サイクルしかありません。早いものです。

真剣そのもの・・・
(真剣そのもの・・・)

4月27日(水)

(天候:雪一時曇・最大風速:13.8m/s・気温(最高:-3.5℃ 最低:-11.3℃))

 昭和基地の水。私達が生活する上で最も重要なものです。この水が冬期間になると足りなくなります。
これは、水は基本的に130kL水槽に雪を溶かして溜め、その水を飲料用(浄水)と中水(洗濯、トイレ用)に分けて作ります。また荒金ダムの水(融雪水)を補助的(130kL水槽の水が不足したとき)に使用しています。夏の間はこの荒金ダムの水の融雪が進み、水位が上昇し、オーバーフローを起こすくらい溜まりますので、この水を130kL水槽に入れて使用しています。ですから水があまり不足するということにはならないのですが、冬期間はダムの水が凍ってしまい、補助的な水がなくなりますので130kL水槽に自分たちが雪入れをして水を作ります。しかしながら、基地で絶対使用しなければならない水量(食事用、トイレ、発電機の冷却水等)がかなり多く、そちらを優先して使用します。これで相当の量が消費され、その分また雪入れをして水を作らなければどんどん減っていきます。ですから水を絶えず造らなければなりませんが、雪を溶かして造る量にも限度があります。水槽にあふれんばかりに雪を入れても水になるのがその何分の一程度です。ですから、私達が使用する水量(風呂、洗濯等)を出来るだけ制限して使用量を減らすのです。日本でも節水(水を大切に・・・)を呼びかけていますが、ここ昭和基地では「まず節水」「自分たちの水は自分たちで」が基本になっていますので、身にしみて感じています。
ちなみに、ドームふじ基地(標高3810m地点)では昭和基地のような大きな水槽が無く、毎朝、隊員がその水槽に雪入れをしてその日に使用する分の水を造る訳ですが、1回の雪入れで出来る水の量は少ないですから、1日に数回行い、出来るだけ使用を控えるそうです。
  その雪入れ作業は、外気温が平均マイナス50度、高度が富士山よりもっと高く空気も薄いところで、まさに必死で水を造ります。
  昭和基地はドーム基地に比べるとまだましですが、私たちも水、電気をより大切に、そしてより節約していかなければなりません。限りがあるものですから。

4月28日(木)

(天候:曇後雪・最大風速:12.1m/s・気温(最高:-9.3℃ 最低:-14.3℃))

 今日は月に一度の誕生会(4月生まれ)が開催されました。今月は最も多く6人が対象。
  ひな壇に6人が、恒例の衣装?で並んでいます。(なんと表現していいのか・・・)

個性豊かな仲間たちです
  全員ではいポーズ!!
(個性豊かな仲間たちです)
(全員ではいポーズ!!)

 この誕生会は、夕食時に行われますので、調理隊員も腕によりをかけて食事を作ってくれます。先月同様、フレンチのコース料理が振舞われました。エスカルゴから始まり、舌平目のクリームソース、牛ロース、農協係が基地で栽培したサラダ菜、最後は喫茶係の手作りケーキと最後はお腹がはちきれんばかりに・・・誕生日を昭和基地で迎え、越冬隊の仲間の皆さんに祝福をしてもらうなんて最高の誕生日ではないでしょうか。この37名の仲間がこの昭和基地で今後一緒になることは二度とありません。ですからこの昭和基地での生活全てを大切に、記録と記憶に残していかなければなりません。
  まさに「一期一会」です。
  また、誕生会に先立ってフォトコンテストの表彰が行われ、見事私の出展した一枚が、その他の部門で金賞を受賞しました。よく聞くと何やらこの作品で問題が生じたらしく、通常は撮影者が出展するらしく、私の作品は私がモデルになっているのを、私が出展したのが問題になったらしく、今回に限り認めてもらったそうです。
  まぁ~内容はどうであれ、金賞に輝いた私の作品を再び掲載します。おそらく最初で最後だと思いますので。ちなみに、得票率は抜群だったそうです。
参考までにこの作品の寸評が「何回も繰り返したであろう努力と、見事な開脚度。太陽の光から弾かれたようなその躍動感あふれる姿は越冬の成功を示唆するものとして、高く評価します。」ということだそうです。

金賞作品
  その証拠です
(金賞作品)
(その証拠です)

4月29日(金)

(天候:雪後吹雪・最大風速:13.1m/s・気温(最高:-9.1℃ 最低:-17.5℃))

 以前に古い雪上車の移動準備のことを掲載しましたが、いよいよ今日は、その雪上車を移動し始めたのです。
  環境保全隊員とフィールドアシスタント担当(総合的なパワーNO.1の冒険家です)が、アンテナ島(別名deposit island)にある、あの雪に埋もれて、とてつもなく重いものをどのように移動させたかというと、まず人力スコップで掘り起こし、バッテリー、足回りの部品等総重量、3tをこれもまた人力で外します。少しでも車体自体を軽くするための方法です。そして本命の車体です。先ずジャッキアップをして、移動しやすい様に鉄板、丸太を敷きます。(言葉では簡単ですが、4~5tもあるものですから相当厳しかったらしいです)  
  次にワイヤーで引っ張りますが、海氷に穴を開け、アイスアンカーを打ちステイを取り安全を確認した上で雪上車にワイヤーをつなぎ、これもまた人力でウインチを巻いて動かします。そうするとどうでしょうか、動き出しました。あの重い雪上車がゆっくりと動いたではありませんか!!
日本ですと大型クレーン車で簡単に釣り上げ大型トラックに積み上げさっさと運搬終了ですが、ここ昭和基地では知恵と経験をフルに活用して時間をかけて人力で動かします。
大変ですけど達成したときの感動は物凄く大きく、達成感、満足感も凄いものです。でも、まだ17台残っていました・・・・
  また午後からは、二回目の防災装置等の取扱い講習が開催され、私もこれに参加しましたが、防煙マスクを実際に装着して見ると、非常に息を吸うことが難しく長時間は付けていられないことも実感!これは防煙のため空気を吸い込むところが煙成分を吸収するような工夫がしてある為だそうです、それにしても息が苦しい・・・
  最後まで装着することの無いように、普段から火気には充分、気をつけていかなければと思っています。火の用心!!

防煙マスク装着練習その2
  装着完成!!
(防煙マスク装着練習その2)
(装着完成!!)

4月30日(土)

(天候:吹雪・最大風速:24.2m/s・気温(最高:-7.9℃ 最低:-10.9℃))

 今日は朝から風速が強まり午前7時から外出注意が発令されました。注意令が放送で流れると全員の所在確認が有ります。今回の確認終了までのタイムは5分!!さすがに早くなってきています。これはほとんどの隊員が天候状況を見て、注意令が発令されるだろう、次は「所在確認」があるということを認識して連絡する準備態勢が既に整っていた証拠です。さすがに、「現状把握」やそれに伴うこれからの予測をし、自分がどうしなければならないかという感覚が必然と、この昭和基地での生活を通じて必然的に身についてきているのだと思います。
  この南極では私達が予想もしない、予想を覆すような、予想をはるかに超えたことが起こるところです。特にこれから野外活動が計画されていますが、南極の厳冬の環境は一瞬に私たちを飲み込みます。この厳しさは100年前と何も変わらない厳しさです。もしこれらの状況に遭遇したとき私達は、冷静な判断で最善の方法を考え行動し、次に何をしなければならないかということを自分で予測し実践しなければなりません。このような対処方法を身につけるために普段から自分自身もそうですけど、隊全体(チーム)で消火活動や野外レスキューのようなチームプレイもスムーズに出来るように普段から訓練をしているのです。

第46次日本南極地域観測隊 越冬庶務 近江


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