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第46次南極地域観測隊 近江隊員の南極滞在記(2005年1月分)

1月1日(土)

 2005年を南極大陸(しらせ船上)で迎えました。初日の出と言っても南極は今、「白夜」で太陽が沈まない時期です。ですからこの時期の初日の出は果たしてどこからなのかよくわからないのが残念です。
 今年は、いよいよ2月1日に越冬交代をして45次隊より、昭和基地の管理を引継ぐことになる重要な年になります。今は夏期間の為、まだまだ南極と言ってもプラスの気温ですが、この時期を過ぎ冬に向かっていくと、相当厳しい気象、環境になっていきます。また「極夜」と行って一日中太陽が昇らない日が約50日間続きます。いよいよ越冬が始まる年を迎えました。果たしてどんな生活なのか想像も付きませんが、この数ヶ月の中での隊員のみ生活の延長線と気楽に考えると同時に、第46次日本南極地域観測隊という重責も感じながらこの越冬を乗り切りたいと思います。私にとって最高の一年と思うように悔いのない生活を送りたいと思います。
 さて、今日は朝の8時頃にしらせよりおせち料理が配られました。

配布されたおせち料理

配布されたおせち料理

 豪華に車エビがあります。しらせの料理担当が一生懸命に作ってくれた料理をおいしく頂きました。また、しらせ、観測隊合同の鏡割り、獅子舞、抽選会が行なわれ楽しいひとときを過ごしました。
 また、しらせ乗員・観測隊員全員で恒例の正月写真も撮りました。

松原隊長・渡邉越冬隊長・しらせ大平艦長の乾杯獅子舞

松原隊長・渡邉越冬隊長・しらせ大平艦長の乾杯・獅子舞

しらせ乗員・観測隊全員で「46」の人文字第46次日本南極地域観測隊全員

しらせ乗員・観測隊全員で「46」

第46次日本南極地域観測隊全員
(黄色い手袋が私です)

 16:30分。しらせより昭和に向けて帰る途中に、一匹のかわいらしいペンギンに遭遇。全く人間を怖がらない姿が余計にかわいい。

雪上車の前を横切る近づいてくるペンギン

雪上車の前を横切るペンギンとこっちに近づいてくる~

明日は、燃料ドラム缶91本の輸送の荷受けを行ないます。頑張ります。

1月2日(日)

 今日は朝から風が強く約20メートルの風が吹きまくりました。しかし天候は晴れ、しかし強風。風の強さについては、稚内で慣れているせいかあまり珍しくもありません。その中で今日もまた現場作業・・・
 本来であれば、風が弱ければ、朝から空輸でくるドラム缶(ヘリの燃料)91本を運ぶ作業が予定されていましたが、何せ風が強くヘリが飛べない状況で、ヘリが飛べる状況まで昨日の引き続きの車庫建設現場で作業でした。
 今日は1月2日で、日本にいれば正月気分のまっただ中で、家で朝からボーッとしているところなのに、こちらでは、正月気分は元旦のみで、2日より通常取り現場作業。ここは、ブリザードが来て作業が止まる可能性があるので
 決められた(1月末)までに終了しなくてはならないためには、仕方ありません。午後より風が少しおさまり、しらせよりドラム缶の輸送が開始されました。
 約200kgの重量のドラム缶がヘリより転がされてきたのを、隊員二人で古タイヤで受け止めるという作業。なかなか強烈な衝撃!その後、勾配を使って坂の下のドラム置き場へ転がす作業。衝撃はなかなかのものでした。

1月3日(月)

 今日は朝から晴天、無風。気温もプラスで最高気温もプラス5度くらいまで上昇。ポカポカ陽気となりました。作業開始前の格好は、ももひき、長シャツ、作業着、ジャンパー、さらにその上に観測隊名物の作業着、首にはタオル、頭と耳もカバーして、最後はヘルメットと相当着込んで作業をしますが、今日は汗ばむくらいの中での、いつもと同じ車庫建設現場。今日からしらせ乗組員がヘルプに来てくれています。観測隊にとって、しらせは無くてはならないもので、特に夏オペはしらせ乗組員の協力無しでは考えられません。
 その車庫建設現場。基礎工事がどんどん進んできました。今日は捨コンの上に基礎のコンクリートを流し込む重要な作業。少しずつ車庫が出来上がっていくたびに感動します。また明日も基礎コンクリート流し込みです。頑張ります。

1月7日(金)

 今日も快晴、晴天、ポカポカ陽気。現場作業するには絶好の天候。いささか身体が・・・
昨日に引き続き「荒金ダム堤防工事」です。

一生懸命、土嚢を作っています。しらせ乗員

一生懸命、土嚢を作っています。しらせ乗員


1月10日(月)

 今日は元日以来の休日。やっと身体を休める日が来たと思いきや、明日の越冬用食料空輸の為の下準備で10時から働いていました。この越冬食料は私達が越冬中に食べる、まさに命の綱、生命線となるものです。冷凍品、冷蔵品、乾物等、約57トンをしらせより運び込まなければなりません。これも重要な越冬隊にとってはオペレーションとなります。車両の運転手、冷凍品の冷蔵庫への搬入、乾物を乾物庫に搬入など種類によって搬入する場所が異なるために、各セクションが滞りなく倉庫に搬入できる体制の為の人員配置(案)を作成するのが私の仕事です。
 また、15時より45次隊とスポーツ交流の一環としてソフトボールを行ないました。南極で、ソフトボールなんて考えてもみませんでしたが、気温も4~5度程度あり、快晴、無風となれば、少しキャッチボールしただけで身体がほぐれ、汗ばむ位暖かい気候でしたので、清々しく交流を深める事が出来ました。

ソフトボールで「楽しく交流」のバックには氷山が・・・

ソフトボールで「楽しく交流」のバックには氷山が・・・

 夕方より、しらせ支援組、45次隊、46次隊の合同のバ―ベキューを、総勢100名程度でそれも屋外(第1夏宿前)で行ないました。まだ17時半と言っても白夜の最中で、太陽は燦々と照っていますが、さすがに気温は2~3度で、一時間もするとどんどん身体が冷えてきます。でも南極で、さらに屋外でソフトボール、バーベキューとは全く想像が付きませんでした。また、このバ―ベキューには、煙が観測のじゃまになるから風向き等を気にしてほしいと連絡があり、(最悪屋外では中止)シビアな観測に改めて関心すると同時に、昭和基地で生活していることを再認識しました。

南極でのBBQ

南極でのBBQ(第1夏宿前で一時を過ごす)


1月11日(火)

 今日もいつものように晴天、風は午前中の数時間やや強く感じられましたが、荒金ダムの現場作業には殆ど影響なしの天候で、気温もやはりプラス4度くらいで暖かく感じられます。今日の作業(仕上げ段階)で、殆ど完成に近くなってきました。多分。明日で工事終了予定となって居ますが最後まで何が起こるか解りませんので気を抜かないように頑張ります。何せ「水」が相手だけに水物ですから・・・
 今日は他の隊員は、越冬食料(約57トン)の空輸が行なわれ、その運搬、搬入作業を行ないました。この食料は私達、越冬隊にとって生命線です。越冬隊一人あたり平均すると約1.3トンとなります。冷凍、冷蔵、冷房品、飲み物等様々な食料、約1年間分ともなるとすごい量になるのかと関心しましたし、一人1.3トンも1年間で消費するのかとビックリ!

1月12日(水)

 本日、荒金ダム工事最終日となっていましたが、管理棟に水を供給しているホースを乗せている鉄骨台の移動に手間どり、完成には至りませんでした。
 さらに、夕方にその鉄骨台にホースを乗せるために胴付長靴を履いて胸の深さにホースを持って移動していたら、足が水中の石?につまずき軽く転倒、少し濡れた程度でしたが、その5分後、再度、ホースを持って移動すると、今度は大転倒をし、身体半分以上ずぶ濡れ、掛けていたサングラスが水中メガネに変わったのかと思うくらい頭も水中へ・・・多少暖かかったからまだ救われましたが、気温がマイナスだったらと考えると・・・でも、ちょっぴり寒かったけど、ナイスな想い出になりそうです。

完成間近の荒金ダム現場

完成間近の荒金ダム現場


1月13日(木)

 今日は、朝から曇って、風もやや強く久しぶりに寒い1日。太陽が照らないことと、南極特有の風で体感温度が下がります。でも、稚内では、真冬日が連続しているのと比べると「まだ全然暖かいかなぁ~。」まあ、今までが暖かすぎた反動かも・・・今後、一週間続く予報です。昼からは、昭和基地に来て、初めて雪が降りました。(真夏の雪もいいものです。)
 さて、昨日で荒金ダム現場は一段落、今日からは、燃料輸送管設置の高架の基礎となる部分の基礎枠にコンクリートを入れる作業の方に回り、私は、セメントプラント(ハセオチ生コン、これは、長谷川ドクター、越智ドクターが中心になって製造しているため、この名称がつきました。)

ハセオチ生コン

ハセオチ生コン(看板は私が作成)

で製造されたセメントを小型クレーン車両に乗って配達する、簡単に言いますれば、「トラック野郎」ってなところでしょうか?この仕事は配達と言っても、荷台にセメントをミキサーみたいな入れ物に入れて積み込んで居ますので、それをユニックでつり上げて降ろす作業が、非常に神経を使うというか、安全に細心の注意を払わなければ、事故につながりますので、体力的より、精神的な疲労感がありました。この小型移動式クレーンは、日本で訓練として、3日間、教習所でみっちり訓練し、講習修了証まで貰ってきていますので、意外と簡単にできると思いきや、約2ヶ月間のブランクがあること、強風の中での経験が無い等、不安要素だらけでしたが、回数を重ねるたびにうまくなったような(自己満足?)気がしました。また、明日も、トラック野郎かなぁ~?
 とにかく、無事に終了して良かったと胸をなで下ろしています。

1月14日(金)

 今日は午前中が曇りで風が冷たく多少寒く、いよいよ、夏も終わりに近くなってきているのかなと思いきや、午後からは晴れて、気温も少し上がり仕事がしやすい気温になっていました。
 昨日に引き続きトラック野郎でコンクリートの運搬をしていました。運搬場所は昨日と同じ燃料輸送管で、午後からは風力発電建設現場でした。

風発全景

風発全景

 この風発は、高さ10.8m、羽の長さ7m、出力10KW(写真有り)で稚内に設置してあるものと比べると小さい型のタイプです。この出力では、ドライヤーを一度に10台しか動かせない程度だそうです。これは、昭和基地管理棟の発電機があまり大きな電力を受けられないため、このサイズになったそうです。この風発より生み出される電力を制御する棟の基礎のためのコンクリートで、建物自体は小さいのですが、しかしこの風発には欠かせない重要な建物だそうです。
 この夏オペレーションはどの現場も着実に完成に近づいて居ます。なにせ約1月が経過し、残り2週間というところまで来ているのですから・・・。
 この夏オペレーションが終了すると夏隊は帰路に向かいます。そうなると、私たち越冬隊が2月1日に越冬交代(45次隊と完全に交代すること)の儀式を済ませると、45次隊もこの昭和基地から出発し、46次越冬隊のみがこの昭和基地に残って任務を遂行することになります。次に「しらせ」と47次隊が来るのは、今年の12月中旬になり、約10ヶ月間、我々のみの生活になります。これから冬を迎え寒さも南極らしいマイナスの世界になり、「極夜」という太陽が全く登らない日が約50日間続きます。この極夜を乗り越えればもうすぐ「しらせ」が迎えに来る時期になっています。そう考えると意外と早く過ぎるのかなぁ~なんて錯覚をしている今日この頃でした。

1月15日(土)

 今日は日本だと土曜日でゆっくりと休養なんですけど、なかなかこの夏オペ期間中は、そうゆうわけにはいかず短期決戦の為、本日も元気に(?)仕事!
 今日は、例の荒金ダムの土手に敷いた防水シートが強風でめくれあがったため、その補修をおこないました。シートの継ぎ目に強力両面テープを貼り、その上からさらに接着テープを貼り強力にシート同士を接着させました。またさらに相当数の土のうを置いて、完全な強風対策完成。これで全ての荒金ダム補修工事終了!その荒金ダム現場をふと丘の上を見上げると、なにやら小さなお釈迦様を発見!近づいてみると約15cm位のお釈迦様があるではないか・・・

小さなお釈迦様

小さなお釈迦様

 ちゃんと誰がかけたか解らないけど数珠もかかっていました。近くにはあげものとしてのお酒なんかもおかれていました。

しらせの無事を願ってるかのよう

しらせの無事を願ってるかのよう

 いつ、誰がここに設置したのは全く不明ですが、全ての安全を願ってのものなのでしょう。しっかりお釈迦様は守ってくれているはずです。

1月16日(日)

 今日も天候はまずまず。気温も午前中はマイナス2度前後でしたが、午後からは、プラスになり暖かくなってきました。今日は、生コンを運ぶトラック野郎で、1日同じ道を行ったり来たり。道路が舗装されていないため、そこら中に岩盤が顔を出していて、相当ユニック車が揺れます。その振動がお腹を空かすにはほどよい揺れになっているのも正直なところです。
 その、生コンの輸送ルートの途中に、通称「迷子沢」と言われるところがあります。これは、今まで昭和基地で使用されて来て、廃棄処分になったトラック、雪上車等が一列に並んで居るのです。これらの廃棄物は、しらせに積み込まれ日本に持帰って処分されるのですが、数が多くて順番待ちに並んでいます。
 精一杯南極で活躍して老後は、日本でとはいかずそのまま処分される車両たちは、何か言いたげな感じで居るように私には見えます。「後は任せたぞ」「若い者、しっかり頼むぞ」こんな言葉が聞えてきそうな感じがしてなりません。これらの「先輩」の期待に添うように私たちも頑張らなくては・・・

廃棄車両廃棄車両廃棄車両
帰りを待つ先輩?達

1月17日(月)

 今日の仕事もトラック野郎で生コンを運搬。輸送配管基礎のコンクリートで15往復は超え、そのたびにトラック運転とユニック操作がどんどん上達していっています。日本に帰ったら、これで何とか生活出来るかもしれません。(?)

生コンで奮闘中南極建設隊?

生コンで奮闘中

南極建設隊?

 今日は、宿舎が水不足になり、洗濯中止令が発せられました。水は南極にとって貴重で雪解け水を使用しています。日本のように大規模なダムや川、湖が無いため水は本当に貴重です。この水が不足することなんか地元では考えたこともなく、自宅で風呂に入っている時はシャワーを流しっぱなしにしたりして大切に使用した記憶というよりは感覚がありません。しかし、南極では造水機で水を作らなければならず、非常に限りがあります。こんなところにも南極らしさ!?があります。

1月18日(火)

 今日の仕事は、午前中が再び荒金ダムの防水シートの土嚢の整理。午後からはまたまた、トラック野郎でした。この生コンも今日で一段落,大御所の送油管の基礎のコンクリート打設がほぼ今日で終了したためです。相当量の生コンを使って様々な建築物の基礎が日々完成していきます。完成が近づくと夏隊の任務も終了に近づいてるってことでもあり、同時に越冬隊がこれから主役(越冬隊しか居なくなりますけど・・・)になっていきます。その越冬隊のさまざまな生活のこと、業務のこと等を協議する「越冬オペレーション会議」が開かれました。37名がよりよく生活をしていくための重要な会議です。着々と越冬に近づいています。

1月19日(水)

 今日は、天候も穏やかで、特に午後からはポカポカ陽気になりました。海を見ると、一面海氷に覆われていたのが、いつの間にか解けて、岸の方では海面が見えだしています。一年中氷の海に閉ざされていると多分、多くの皆さんがそう思っていることだと思いますが、昭和基地周辺の夏は、意外にも暖かく、雪もほとんどなく過ごしやすい気候(?)なんです。でも、冬の期間になると、皆さんが思っている南極になります。一面、白銀の世界になり、極夜(太陽が一日中、登らない日)が約50日続くという季節がやってきます。後、数ヶ月後は確実に厳しい南極の冬になるのです。
 今日の仕事は、「環境保全」のチームで、廃材、鉄材の整理を行ないました。
 この環境保全という業務は、この夏オペで各現場から出る廃材、針金等の焼却、持帰り用の梱包、また日常生活する上で出るゴミ等の処理等が主な仕事になっています。日本ではゴミについては、収集車が自動的に持って行ってくれるし(最近は分別がありますが・・・)トイレは下水道が完備されているため心配したことはない等、あまり気にとめない程度なんですが、南極では自分たちが自分たちの事をするのは当たりまえになっています。けして綺麗な仕事ではありません。環境保全担当者(夏隊1名(金浦町役場の伊藤隊員、越冬隊2名)合計3名ですが、作業服も人一倍汚れが染みついています。その環境保全の業務を1日行なって、つくづくと大変な業務だと身にしみて感じたところでした。環境保全の担当隊員の方へ「いつもありがとうございます。」

1月20日(木)

 今日は朝から正午くらいまで風が少々強く、耐寒温度もその分下がり、実際の温度(多分プラスだと思う)よりは当然下がってきます。稚内ではこれくらいの強風は慣れっこになっていますので、自分としてはこれくらい冬になると日常茶飯事で問題は無いのですが、強風の中で生活をしてきていない隊員にとっては大変だろうと思います。
 さて、今日の私の現場と言えば、風力発電建設現場で、制御小屋の中に制御装置をクレーンでつり上げ搬入するという仕事でした。
 この制御装置は非常に重要で、風力で生み出した電気を使用できるように変更する機械の為、この搬入作業でもしぶつけたりして壊してしまったらせっかく立ち上がった風車が一年間ムダになってしまう(交換部品が、この次のしらせが来るまで無いため)のでつり上げる私にとってはなかなか緊張ものでした。どうにか無事に格納することができホッとしています。

風車と制御小屋格納された機器

風車と制御小屋

格納された機器

 また、今日の18時過ぎに建設中だったコルゲート車庫(25M×15M)のコルゲートパネルが組上がり上棟式が行なわれました。この車庫は、大型重機(クレーン車、ユニック車等)を冬期間格納しておくために建設され、これで、厳しい冬期間、野ざらしにならずに済みますので、大切な重機を保護することになる重要な役割を持っています。

コルゲートパネルが張り上がりました

コルゲートパネルが張り上がりました

 また、この車庫は3Mの積雪に耐えられるように強化されているコルゲートパネルを使用しているそうです。南極は想像を超える厳しい自然環境(強風、積雪等)ですからそうとう強固な構造にしていませんと壊れてしまいます。南極に絶対ということは無いのです。

1月21日(金)

 今日は10日ぶりの休日となりました。休日なんですけどいつも通りに、目が6時半頃にさめ、それからあまり寝られず、結局中途半端な9時過ぎには着替えて資料づくりをしていました。昨日までは、夏オペの現場作業で夕食を食べ終わり、風呂に入ったらもう10時。それからパソコンに向かって資料を作っていると、いつの間にか11時過ぎには夢の中・・・こんな感じが毎日です。ですから休日に事務的な整理をすることになってしまうのです。また、たまった洗濯もしなければ、着替えも無くなってしまいますから・・・南極は全く道路が舗装されておらず、道路は全て土埃。まして雨は基本的に降りませんから非常にほこりっぽい為、いつも現場から帰ってくると全身土埃だらけになっています。そのせいで、毎日着替えなければなりません。(当たり前ですけど)ですから、休日と言ってもすることが山ほど有り、心身共にリフレッシュできなかった休日となりました。また、明日からも頑張ります

1月22日(土)

 今日の現場は、風発現場で、制御板格納小屋のコーキング、新しい機器の木枠梱包の解体等を行ないました。午前中は雲りで、少し肌寒い感じでしたが、どんどん日が出て来だし、温度も上昇、風も無くなり暖かくなりました、と言っても、プラス2~3度程度ですけど・・・
 いよいよ太陽が沈み始め、時間的には深夜12時過ぎくらいに沈むと言うよりは、地平線からわずか下の方を横に移動するだけなんです。日本の日の入りとはちょっと違いますけど・・・暗さも少し薄暗くなる程度です。

日の入りの夕焼け?日の入りの夕焼け?

日の入りの夕焼け?

 これから、徐々に日の入り時間が早くなって行くと同時に暗くなっていきます。季節は、真夏から短い短い秋に移り変わり、そして冬に近づいていっています。
 白夜はまだ明るくて気持ち的にも前向きになりますけど、極夜になると、いったいどうなることやら・・・

1月23日(日)

 今日は、日本では日曜日なんですけど、ここでは仕事をしています。いよいよ、各現場も終盤を迎えてさらにピッチをあげて頑張っています。
 今日は、またまたトラック野郎で生コンを配送しました。運び先では、私のトラック運転技術が上達して、非常に上手くなってきたとのもっぱらの評判です。
 地元に帰ったらこの運転技術なら職業を変えても大丈夫なんて褒められ、ちょっと図に乗って、その気になっている私です。でも毎日トラックに乗っていたら必然と「こつ」を覚え、トラックの「癖」も解ってきて感覚的にハンドルの切り方、幅寄せの感覚、逆ハンドルの方向転換、エアーブレーキの感覚、クレーンの操作等ほぼ、自分でも習得したなぁーなんて思っています。
 この技術習得は、南極に来る前に訓練として3日程度講習してきましたが、如何せん、現場で実際の作業とは気持ちの持ち方が異なり(周りに隊員がいる中で、停車位置が平らではなく、かなりの重量物を運び、そしてつり上げたりで周りに沢山の危険が取り巻いている状況)実際の体験で覚えていくことが身につけさせる早道かとつくづく身にしみて感じた今日この頃です。

1月24日(月)

 今日は多少雲が多いのですが、南極特有の薄くて低い位置に密集していない雲ですから雲の合間から多少日が入り、また風もなく寒さを感じない1日でした。
 午前中は、45次隊から当直業務の引継を受けました。当直の業務は、ほとんどが館内清掃です。厨房、食堂、廊下、階段、風呂、トイレ等の掃除機、モップで掃除をします。昭和基地の管理棟は、意外と広く朝の食事配膳から始まり、最後の風呂掃除までたっぷり16時頃まではかかります。団体生活で無くてはならない当直ですから、念入りにしなければなりません。手抜きをしようとしたらいくらでも出来ますが、みんなが手抜きをし始めたら、掃除にもなりません。
 団体生活だからこそ手抜きは許されないのです。一人一人がこの南極観測隊を支えているのです。

1月25日(火)

 今日は朝から快晴、微風。本当に南極の夏は気候が良いのにビックリします。水分が活発に蒸発するだけ気温が高くないため雲も薄く雨が降らないことは十分に理解しますが、これほど晴天続きとはサプライズ!!このことは南極に来てみなければ解らない事の一つだと思います。
 さて、今日は東オングル島一斉清掃を午後から行ないました。この東オングル島とは昭和基地がある島のことで、そうなんです、昭和基地は小さい島にあるのです。このこともなかなか知られていないことの一つでしょうか。
 この一斉清掃では、第46次日本南極地域観測隊行動実施計画の中にある「昭和基地クリーンアップ4カ年計画」の一環として取り組んだ訳ですが、私たち南極観測隊員が東オングル島の環境の現状を把握し、環境保護意識を高める機会とすると言う非常に堅苦しい内容に基づいて行なわれていますが、要は地球を汚さないように、住んでいるのは人間だけではありませんから。特にこの南極地域は人間の方が遙かに他の動物より少ない訳ですから・・・
  この、一斉清掃は私達46次隊の他、45次隊、しらせ乗員総勢約70名ほどで約3時間行ないました。結果は相当量のゴミが集積されその一部がしらせに積み込まれ、日本に持ち帰ることになっています。昭和で出たゴミは、基本的には、持帰りが原則になっています。

きれいなった水汲み沢

きれいなった水汲み沢

1月26日(水)

 今日もいつものように快晴、微風でした。本当に今年の南極の夏は天候が崩れず、何より風がないことが特徴的です。また、それに伴い気温が高く推移し雪解け(海氷も)も相当進んでいます。昭和基地の周りはほとんど雪がありません。
 今日は、45次越冬隊がまもなく越冬生活を終えようとしていますが、その1年間の業務生活に対して私達46次隊がお疲れ様の気持ちと感謝の気持ちをこめて「感謝会」を管理棟食堂で盛大に開催しました。

45次越冬隊の精鋭達

45次越冬隊の精鋭達

 45次隊山岸越冬隊長を先頭に各隊員が46次隊の盛大な拍手にて入場しました。まず、46次松原隊長の感謝の挨拶、山岸越冬隊長のこの1年間を振替えっての感想、渡邉46次越冬隊長の乾杯で始まりました。用意された料理は、46次隊の2名の調理担当が腕によりを掛けて豪華なごちそうを作ってくれ、「感謝会」に花を添えてくれました。また、45次各隊員よりこの1年間の中での感想、46次隊に対しての教訓、忠告(?)、激励の暖かい言葉を頂き、最後は46次佐藤総務担当の威勢の良い「3本締め」にてこの会を終了しました。
 45次越冬隊の皆さん、1年間という長くて短い間の業務、生活、大変お疲れ様、ご苦労様、そしてありがとうございました。
 次は私達「46次隊」が45次隊にかわってこの昭和基地を管理、運営していきます。45年間の諸先輩の皆さんの「地と汗と涙」の結晶、この「昭和基地」を守り抜き、与えられた観測業務等を完全遂行するように頑張り、そして47次隊に引継ぐことが私達の使命です。

1月27日(木)

 今日も天気は晴れ。風も微風程度。でも、気温がいつもと違ってなかなか上昇しません。日も沈む時間が徐々に長くなり今は、約2時間程度、薄暗くなっています。昭和も厳しい冬に向かって着実に寒くなりかけて来ました。そして、私達の本格的な昭和基地管理棟での越冬生活もすぐそこに来ています。

1月28日(金)

 いよいよ越冬交代が間近にせまり、本来の越冬庶務としての業務をしなければならない時期になり(ちょっと遅いかな・・・)今日も今後の日程等の資料を作成していました。まだまだかなぁ~なんて思っていたのが、あと3日で越冬交代。成田を出発してからちょうど2ヶ月、昭和基地に来てから、1月半が既に過ぎようとしています。早いものです。特に昭和に来てからは毎日、現場で建設作業に明け暮れ、身体のあちらこちらから朝起きると悲鳴が聞えて来て、ほとんど気持ちだけで乗り切っているようなものの中での生活でしたから、1日が過ぎるのがとっても早く感じられた日々の繰り返しでした。
 こうしてあと1年2ヶ月もあっという間にすぎてしまうのかなと思ってしまいます。その時に後悔しないように毎日を大切に過ごして行こう(大げさ?)なんて思っています。
 また、今日は45次隊の最後の「防火訓練」が行なわれました。

防火訓練防火訓練

 私達には事前に出火時間がしらされておりましたので、見学(来月から毎月1回行なう為)にいって出火場所の最前列で拝見させて貰いました。45次隊も自分たち以外の目で見られるのが多分最初で最後になるので、緊張していたように見受けられましたが、隊員がちゃんと役割をこなし、迅速な(?)対応で人命救助、放水等が行なわれていました。来月は私達がしなくてはいけませんので、ちゃんと記録に用にと多くの隊員がカメラ、ビデオ撮影をしていました。私達46次隊も45次隊以上に訓練できるかどうか・・・頑張ります。!!

1月29日(土)

 今日は朝から事務。特に記事は無し。

1月30日(日)

 本日も朝から事務。特に記事無し。

1月31日(月)

 いよいよ、明日は越冬交代式!その準備のためにこの数日間事務的なことをしていました。とそのとき、突然パソコンが動かなくなり一瞬、顔も、気持ちも凍ってしまいました。今まで蓄積してきた貴重なデーターが・・・明日から新しいパソコンにデーターを移し変えようと思っていた矢先でした。本当に汗が吹き出ました。がしかし、隊員の数人に相談してみると、データーをとにかく取り出すための方法を考えてもらい、何とかデーターは完全ではありませんでしたが、取り出すことができ無事に新しいパソコンに移し変えることができました。お世話になった皆さん大変ありがとうございました。さすが観測隊の優秀な頭脳の集まりということを改めて認識。(大げさ?)
 今日は夕方よりちらちらと雪が降って、今、外を見てみるとうっすらと銀世界になっています。明日の越冬交代式は天候が危ぶまれています。せっかくの式典ですからと思いますが、真夏の雪の中での「越冬交代式」も南極らしくて、記念になるし、記憶にも残るに違いありません。いずれにしても無事に終了してくれることを祈ります。45次隊の皆さん、お疲れ様でした。

第46次日本南極地域観測隊 越冬庶務 近江



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