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津軽藩兵詰合の記念碑

津軽藩兵詰合の記念碑の写真

 幕府がここ宗谷に最初に派遣したのは津軽や会津等東北の藩士でした。悲惨を極めた派兵も文政4年(1821年)に蝦夷地の幕府直轄が廃止されたことに伴い一応打ちきられましたが、その後安政2年(1855年)に再び幕府から藩士が派遣されました。

 しかし、この時代にはクワエヒル(ストーブの原型となったもの)が造られたり、フランケット(毛布)が使用されるようになったこともあり、妻子を連れて越冬できる程備えはできていたようです。

 幕府が再び北辺の地で越冬を命じた時には、水腫病の予防薬として和蘭コーヒー豆が配給されたという記述が残されています。

 この碑は、コーヒーを飲むことができずに亡くなっていった藩士たちを悼み、その後、薬としてコーヒーを大切に飲んだであろう先人たちに思いを馳せ、津軽藩士の故郷である弘前市の有志が中心となり建立したもので、平成4年(1992年)9月に除幕されました。

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