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旧藩士の墓

旧藩士の墓の写真


 江戸幕府が外口から、今の北海道やサハリンを護るため、最初に蝦夷地直轄を決行したのは文化4年といわれています。

 ただ単に寒さに強いはずという理由で、本州最北端の津軽藩士がまず、宗谷に派遣されましたが、厳冬のため、多数の越冬死者を出したといいます。

 そして翌文化5年に、同じ東北の会津藩士1,558名が交代要員として派遣され、会津藩士は、宗谷のほかに樺太、利尻、礼文にも分駐し、宗谷には587名が残ったとされています。

 宗谷公園に安置されている墓は、近くの海岸に点在していたものを明治時代に村民の手により1カ所に集め、さらに昭和32年現在地に移されたものです。

 以来、地元では毎年慰霊祭をとり行い、この地で果てた旧藩士の冥福を祈っています。

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