1月28日(土)
(天候:快晴・最大瞬間風速:15.5m/s・気温(最高:6.2℃ 最低:−2.8℃)(日出:2:15、日入:22:48)
47次隊へ昭和基地を引継ぐために基地内外で清掃が進められています。今日は、基地周辺の清掃が行なわれたのです。雪解けで現れてきたものや、一部雪に埋もれているものはスコップ、つるはしなどを使いながら集めました。最終的にはスチールコンテナ6個ほど集めることが出来ました。
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(こんなものも雪の下から出てきました) |
(ドラム缶を小さく小さくしています) |
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(こんなにたくさん集められました。それにしても青空がきれいです。) |
また、居住棟内も一斉に清掃が行なわれて、各部屋はもちろんのこと書庫、通路の壁、物入、機械室、ロッカー室、靴箱と全ての箇所を清掃し、これで無事引き渡しが出来る状態となったのです。
そして、今日は昭和基地での最後のオペレーション会議が開催され、各部会の報告、越冬交代前後の日程、しらせに乗船してからの生活などについて話され、30日開催される最後の全体会議での議題精査が行なわれたのです。これで会議関係も全体会議を残すのみとなりました。
さてドーム隊は、航空隊と雪上車隊とに別れて基地を離れます。航空隊は迎えの飛行機がドームふじ基地まで飛んできて、それに乗り込み、ロシアのノボラザレフスカヤ基地へ19時25分に無事到着したそうです。その後はケープタウン経由で帰国となります。
また、雪上車で降りてくる旅行隊は基地の閉鎖作業を行い、明日の朝出発することになりました。昭和基地へは2月11日頃到着予定となっています。
ちなみにドームふじ基地の本日の気温は−38.8℃、気圧604hPaとなっていました。
無事に昭和基地に着くことを祈っています。
1月29日(日)
(天候:晴・最大瞬間風速:18.3m/s・気温(最高:2.9℃ 最低:−2.6℃)(日出:2:22、日入:22:42)
今日は最後の消火訓練が行われました。今までとは少し違ったのはギャラリーがいたことです。47次隊への引継ぎをかねて行うことが以前よりアナウンスされていましたので、発報現場には多くの47次隊の皆さんが待ち構えていたそうです。私がいる本部にも47次隊の本部構成員がしっかり後方に陣取って様子を見ていました。正直、ちょっと訓練のための訓練となりつつあり、緊張感が薄れてきた頃でしたので再度、気を引き締めての訓練であったと思います。
ちょうど1年前、私たちが45次隊の訓練の様子を見ていました。その時は迅速に訓練が行われているんだとも思いましたが、さて今年は47次隊にとってどのように映ったことでしょうか。
過去には建物が全焼した事例もありますが、私達46次隊の越冬中に、火災が発生しなかったことが何よりでした。もし不幸にも火災が発生した時に、この消火訓練の成果がどれだけ出せたかはなんともいえないのですが、少なくとも最小限の被害に食い止めるような訓練をしてきたとも思っています。備えあれば憂い無し。普段からの訓練はもとより、火事を絶対出さないんだという気構えがもっとも重要だと言うことも改めて実感しています。
さて、過去の隊のほとんどが記念プレートを越冬記念として作成しているようですが、私たちもその記念プレートの作成に木工係が中心となりコツコツと進めてきており、ようやく全員の名前がプレートに刻み込まれたのです。
木製の盤に焼きごてで木製プレートに下書きしてある一人ひとりの名前の上から焼きこむのですが強弱が難しく、太くなった名前、曲がった名前、細すぎる名前、様々な名前が焼きこまれました。これもまた46次隊らしくていいでしょう。木工係の皆さん、お疲れ様でした。
昭和基地での生活はいよいよ残すところ2日となりました。
1月30日(月)
(天候:晴・最大瞬間風速:8.7m/s・気温(最高:0.3℃ 最低:−5.8℃)(日出:2:29、日入:22:35)
今日は昭和基地で最後の全体会議が開催されました。いつものように観測、設営、生活各主任より報告がありましたが、 特に設営主任より1年間の節水、節電に対する協力のお礼がありました。
この昭和基地の生活は管理棟内ではほとんど日本と変わりのない環境です。例えば、室温は外がマイナス30℃近く下がっても、管理棟内は発電機の廃熱を利用した温水暖房で常に適温になっており、居住棟、倉庫棟、汚水処理棟等の基地主要部はこの温水暖房で暖められていますので、軽装で過ごすことも可能なくらいな快適な暖かさになっています。
これらの心臓部となっているのが発電機で、2台(300kVA)の交互運転を行い昭和基地全体の電気をまかなっています。この発電機が2台とも故障してしまうと非常用発電機(200kVAが2基)にたよらざるを得なく、管理棟から夏期隊員宿舎に生活の基盤を移し非常に縮小した生活になってしまいますし、ごく限られた地域にしか給電しかできなくなります。越冬中にこのような状態になってしまうと観測どころではなく、かなり縮小した生活をしなければならなくなってしまいます。電気は生活の上ではなくてはならないものですし、観測自体にかなりの影響も出てしまうので、常に節電を心がけてきたわけです。
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(発電機の保守点検をする機械隊員) |
(発電機本体です) |
また、「水」もまた非常に貴重で生活する上ではなくてはならないものです。昭和基地では夏期間は荒金ダムの雪解け水を脱塩装置で飲料水にしています。雪はたくさんあるのですが、冬期間はこの荒金ダムが凍結してしまいますので、水槽に隊員が手入れで水を造り、自分たちの水は自分たちで作ることを実践してきたのです。
このように「電気」「水」についてこの越冬期間中に特に大きな問題、支障が発生しませんでした。これは担当隊員の毎日の並々ならぬ努力のお陰と感謝していますし、越冬期間中、皆さんの「節電」「節水」の心がけが良かったものと思います。
この他の議題としては、2月1日当日のタイムスケジュール、特に越冬交代式の内容、そしてしらせ船上での生活、シドニーでの注意事項、帰国後、しらせが着岸する4月13日前後のスケジュールが主な議題となった越冬最後のそして昭和基地最後の全体会議となったのでした。
1月31日(火)
(天候:晴後一時曇・最大瞬間風速:6.8m/s・気温(最高:0.3℃ 最低:−5.8℃)(日出:2:36、日入:22:29)
2004年4月、当時の総務部長の「南極に行ってみないか」という晴天の霹靂で始まった私の南極観測隊員としての第1歩。その後、7月1日、東京板橋区の極地研究所内に隊員事務室が開設され、さまざまな出発準備作業が始まり、11月28日、満を持して昭和基地へ向けて成田空港を出発。12月3日、私たちを乗せたしらせがオーストラリア、フリーマントル出航、そして12月18日、南極昭和基地に到着。到着早々の雪上車による深夜の氷上輸送、2005年1月1日、南極で迎える1回目の正月、2月1日、45次隊との越冬交代でいよいよ昭和基地管理棟での生活がスタート、2月20日の越冬成立、6月、約50日太陽が昇らない極夜、その極夜をお祝いする6月21日のミッドウインター祭、マイナス36.4℃の経験、瞬間最大風速48.2m/sのすさまじいブリザードとの遭遇、沿岸地域での野外観測の支援、11月太陽が沈まない50日間の「白夜」、12月18日、47次隊が昭和基地へ、2006年1月1日、昭和で迎える2度目の正月、そして1月31日、昭和基地最後の日となったのです。
過ぎてみるとあっという間の越冬期間ではありましたが、本当に楽しくそして充実した生活を送ることが出来ました。これも全て素晴らしい仲間の皆さんのおかげと感謝しています。
本当にありがとうございました。
昭和基地で過ごした約400日余りで見たり、聞いたり、触ったり、感じたりした全てのことを多くの子ども達に伝えていくことが私のこれからの仕事になるでしょう。そしてその中から将来、南極観測隊員として昭和基地を訪れ、その経験を次の世代の子ども達へと伝えて行ってほしいものです。この世代間の橋渡しの役目を担っていくのも、南極観測隊員としての責任ではないでしょうか。
南極大陸は国境がありません。私達人類の共通の財産として世界各国の基地が地球環境を守ろうとして南極で観測を続けています。私達人類は便利で不自由のない生活を手に入れることができましたが、その反面、地球をどれほど汚してきたことでしょうか。私達人類はこの地球上で一番最後に登場した生物にもかかわらず、人類だけの地球とどこかで錯覚を起こしてきたのも事実で、この地球が人類のみならず、全ての生物の共有財産である認識を再度持たなくてはならないのです。そして、この地球を守るために世界各国の人がこれまで以上に協力しあう努力をこれからますますしていかなければなりません。
今後、地球環境を守るためにさらに重要になってくる南極観測事業。ほんのわずかにかかわった者として、今後、もっともっと南極に目を向けて応援してほしいと切実に思うのです。
最後に、横田稚内市長や稚内市役所の皆様、知人友人の皆様、そして家族と多くの皆さんにこの間のご支援、激励などを頂き本当に感謝しております。
また、つたない文章ではありましたがこの記事を読んで頂いた皆様、本当にありがとうございました。自分なりに南極の素晴らしさをほんの少し皆様に伝えることが出来たのではと思っています。改めてこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
以上をもちまして私の「越冬日誌」を終了させていただきます。
ありがとうございました。
第46次日本南極地域観測隊
越冬庶務 近江 幸秀
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(昭和基地周辺ではこんな素晴らしいオーロラが出るのです) |
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(2月1日、越冬交代式で46、47両越冬隊) |
(2月1日、上空より見た最後の昭和基地) |
近江隊員の南極滞在記は、これをもちまして終了いたします。ご愛読いただきありがとうございました。
なお近江隊員は、3月下旬、日本に帰国する予定です。
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